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2010年2月11日 (木)

ぷらちな奴

むかし東京の大森区と蒲田区が合併して「大田区」になりました。こういうパターンのほかに、福岡県の五つの市が合併して「北九州市」というえらそうなものになったケースもあります。大阪近辺では「東大阪市」のような、謙虚というか安易というか権威を借りるというか、のパターンもありました。
最近でも例の大合併のせいでこういうのが増えてきました。「四国中央市」という、スケールでかすぎ、というようなものに対して、「西東京市」は謙虚パターンでしょうか。これがなんだかとぼけた感じがするのは「西」と「東」が連続するからでしょう。第一、「東京」自体が「東の京」なのだから、その「西」だったら、結局「京都」のことやないかーい、とつっこみを入れたくなります。
意味のよくわからない都市名もあります。「つくばみらい市」も妙な感じですが、「みどり市」、「さくら市」となると、「なぜ?」と言いたくなります。結局採用されなかった「あっぷる市」というのはお茶目でよさそうでしたが、「南セントレア市」は「やってもたー」という感じでしたね。「南アルプス市」はまだましですが、どうしてカタカナことばなのか、という疑問が残ります。そこまで行くのなら、いっそのこと「RHマイナス市」ぐらいの名前なんてどうでしょうかね。意味不明なアルファベットの羅列はインパクトがあります。
ちなみに、「国鉄」が「JR」に変わったときは不評どころか、酷評の嵐でしたね。「J」は発音も難しいし、センスのなさは感心するほどだという意見が多かったのです。さすがに「E電」という名称は消えましたが、こちらはさらにほれぼれするほどのネーミングセンスでした。「×××(アルファベット三文字伏せ字)銀行」というのも天下無双のセンスだと思います。「○ニバーサル・フタジオ・○ャパン」の略かいな、と思わせておいて、省略形ではなく最初からアルファベットを並べただけという、一般人の常識の及びもつかない発想で、まさに脱帽ものです。今後これを凌駕する命名はないでしょうね。
地名のつけ方もいろいろで、合併でなくても「長浜」「高知」「大阪」のような改名パターンもあります。また、「岐阜」のような創設パターンは明らかに人為的な命名です。しかし地名のほとんどは、その土地の特徴を表すところから来た自然発生的なものでしょう。
というよりも、世の中で使われている多くのことばは、ある特定の人がつくったものではなく、いつのまにやら生まれたものですよね。ですから、「花」がなぜ「はな」なのか、よくはわかりません。しかし、「鼻」も「はな」だし、「端」も「はな」であるなら、どうやら日本人は「はしっこにあるもの」は「はな」と呼んだようです。A地点にあったものがB地点にも登場すれば「うつる」です。中国人は、A地点のものがなくなったのなら「移」、A地点にも残っており、同様のものがB地点にも出現したのなら「写」、光などを利用して現れるなら「映」のように区別していますが、日本人はそんな区別はしなかったようです。
だれがつくったのかわからないのですから、「やま」がなぜ「やま」なのか、「かわ」はなぜ「かわ」なのか、と言われたら困ります。「まつげ」なら「目(ま)・つ・毛」で「つ」は「の」の意味の古語だし、「みなと」は「水(み)・な・戸」で「な」は「の」の転化したものだから、一語のように見えても分解すればわかるものもあります。しかし、分解した最小単位がなぜそう名づけられけたかはわかりませんし、分解できそうもないものはお手上げです。
「光」がなぜ「ひかり」なのか。これは何となくわかるような気がします。「ひ」の音は今でこそhiと発音されますが、室町時代ごろの都の人たちは「fi」と発音していたことが、宣教師たちのつくったポルトガル語の辞書によってわかるそうです。「ひと」は「fito」、「はな」は「fana」です。さらにさかのぼると「ひ」は「pi」と発音されていただろうと推測されるので、「ひかり」は「ぴかり」だったことになります。「ピカリ!」とするものだからそのまま「ぴかり」と呼んだにちがいないではありませんか。「ひよどり」や「ひよこ」もピヨピヨ鳴くものだったのですね。だからプラチナを盗んでいくような奴は「ぷらちな奴」というのです。

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