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2010年3月25日 (木)

カツ丼はペロリと平らげよう

ダジャレでも「ふとんがふっとんだー」「アルミ缶のうえにある蜜柑」が、悲惨なまでにおもしろくないのはなぜでしょう。笑うどころか、そんなものを聞かされる理不尽さに我が身を呪いたくなります。おそらく作為性が強すぎるのでしょう。ダジャレを言うためにわざわざつくりました、という感じがミエミエでわざとらしいからではないでしょうか。

「あなたはキリストですか」「イエス」というのも同様なのですが、こちらはややバカバカしさがある分おもしろい。「あなたはキリストですか」という質問自体ありえない設定なのですが、わざとらしいというより、まぬけっぽい感じなので許せるような気がするのでしょう。

6年生の講義中、「プライド」ということばが出てきて「意味、わかるよな」と言ったら、「うん、知ってる。ケンタッキープライドチキン」と、にこやかに答えた某君には知性のきらめきを感じたものですが……。でも、「洗濯機」と言われて「センタッキーフライドチキン」と答えるのは、「わざとらしい」のですね。このちがいはどこから来るのでしょうか。

「困ったなあ。どうしょー、どうしょー。どうしょー平八郎の乱」なんてのは、困ったものです。それでも、「しまったしまった島倉千代子」より0.5ポイントぐらい上でしょうか。「よっこいしょ」とかけ声をかけるところを「よっこいしょーいち」(古すぎ!)というのは、おもしろさは皆無なのですがレベル的にはかなり高いのではないでしょうか。「島倉千代子」が「しま」という二音しか共通性がないのに対して、「よっこいしょ」まで同じで、ことばとしては完結してしまっているのに、さらにそのあと「いち」がつくことによって、単なるかけ声から昭和という時代の悲哀を感じさせる名前に持っていく展開には端倪すべからざるものがあるような気がします。やはり意外性というのは大事なのであります。

「北海道はでっけえどー」は三歳以上の人間なら誰でも思いつくのでおもしろくないのでしょう。もちろん、こういうフレーズを嬉々として人前で言う勇気がある人が存在するという事実は非常におもしろいとは思います。本当に自分でおもしろいと思っているとしたら、それはそれでまれな資質の持ち主として評価できますし、他人もおもしろいと感じるだろうと考えて言ったのなら、そういう人でも社会生活を営めるのだという、この世の優しさに感動できます。

新聞で、猫が話題になるとなぜか「捨てられてかなしいニャー」とか、犬なら「こまったものだワン」とか書いてあるのは、本当にかなしいニャー。だいたい新聞は決まり文句、紋切り型のオンパレードです。台風は必ず「つめあとを残す」し、歳末商戦でデパートは「ホクホク顔」だし、バッグをひったくられたおばあさんは「ガックリ肩を落とす」し、つかまった犯人は悪びれた様子も見せず、出されたカツ丼を「ペロリと平らげ」ます。投書欄でも「……と思う今日この頃です」や「……と思うのは私だけでしょうか」でしめくくる文章をよく見ますね。

もちろん新聞記事に斬新な描写、格調高い芸術の香り豊かな表現をされると困るでしょう。「無残に破壊された車体は、破壊されながらもその破壊から超絶していた。もしくは超絶を装っていた。」なんて記事を読まされたら、朝から疲れてしまいます。第一、事実の細かい部分なんて読者は要求していないのです。ほとんどの場合、おおまかな骨組みだけで十分なのであって、ディテールは読者には関係ないのですから。

そういう場合に紋切り型を使うことで、「あのパターンということで、どうかひとつ、胸にお納めを」「なるほど、あのパターンか、朝日屋、おぬしもワルよのう」と、お互いに納得できるですね。いいかげんなようですが、じつはこういうことができないとコミュニケーションというものは成り立ちません。共通のイメージをつくれる紋切り型の威力は絶大なものがあると思う今日この頃です。

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