« 将棋の諺 | メイン | 入試分析会③ »

2010年3月 1日 (月)

俺はオレ?

「ひよどり」や「ひよこ」のように、擬声語・擬態語がもとになったことばは意外に多そうですが、英語などではどうでしょう。「st」は「ストッ」という音の感じで、固いもの、しっかりしているもの、動かないものというイメージがあります。「ストーン」「スタンド」「ストップ」などがあてはまりそうです。「sl」は「スルッ」なので、なめらかなもの、流動的なもの、すべるもの、という感じです。「スリップ」「スライド」などはまさしくその通りですし、「ずるい」という意味の「スライ」ということばも、うまくすりぬけてごまかす感じから来たものでしょう。「カッコー」と鳴く鳥の名前はどの国のことばでもよく似ているらしいのですが、これは当然鳴き声からつけられた名前だからです。
でも、日本語と英語で擬声語・擬態語が異なるというのも、よく話題になります。「ワンワン」が「バウバウ」、「コケコッコー」が「クックドゥードゥルドゥー」、「キラキラ」が「ツィンクルツィンクル」……。
日本では「幼児語」(というより「幼児に対して使う語」)として擬声語・擬態語を利用することがよくあります。犬を指さして、「ほら、ワンワンちゃんよ」とか。「ブーブーに乗ってお出かけしましょ」と言えば、たぶん自動車でしょう。場合によっては「お母さん」におんぶするのかもしれませんが……。こういうのは外国にもあるのでしょうか。幼児語そのものはあるのでしょうが。
日本人はどうも子どもにあまいというか、子ども中心というか、子どもを基準にすることが多いようです。家庭内での呼び名も、夫婦だけのときには「あなた」と呼ばれていた夫が、子どもができると「お父さん」と妻から呼ばれます。その子が結婚して孫が生まれたらめでたく「おじいちゃん」に昇格します。妻にとっての「おじいちゃん」ではなく、孫を視点の基準としているのですね。つまり家庭内の一番幼い者が座標軸の原点になります。欧米では、原点に自分を置くのでしょう。そしてそれは確固不動のものなので、だれが相手でも、自分は「I」です。ところが、日本人は相手がだれであるかによって、「ボク」「わたし」「わたくし」「オレ」「お父さん」「おじいちゃん」と使い分けます。「拙者」「吾輩」「小生」なんてのもあります。
古くは、自分は「わ」、相手は「な」、第三者は「か」、わからないやつは「た」でした。中国に行った使者が、「おまえの国の名は?」と聞かれて、「えっ、オレ?」と聞き返したときの「わ」が「倭」になったのです。断定したらだめですが……。でも、やはり「わ」は紛らわしいのでしょう。なぜか「れ」がついて「われ」「なれ」「かれ」「たれ」となりました。「たれ」は「だれ」と濁り、「なれ」は消えましたが「われ」「かれ」は残っています。そして「われ」は「をれ」になり「おれ」になったり「おら」になったりしたのでしょう。
ところで、塾生相手に講師は自分のことをどう表現しているのでしょうか。「いいか、先生はだな……」というように「先生」と言う人も結構いそうですが、どうでしょう。「ボク」は幼稚だし、「私」もかたすぎる感じがあるし、「俺」も品性を疑われそうだし、「わし」といえば、じじい丸出しだし、「拙者」というと「なに時代や」とつっこみがはいりそうだし、「オラ」というとバカにされそうだし……。たとえば「麿の言うことを聞かへんと入試には通らへんのでおじゃるよ、ホッホッホ」なんて言いたいのですが、だめでしょうか。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク