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2010年3月13日 (土)

がんもどきは滑稽ではないけれど

「麿」つまり「まろ」は「丸」と書いてもかまいません。「からたちも秋はみのるよ まろいまろい金の玉だよ」です。「まろ」も「まる」も同じです。
名前の下に「丸」とつくのは幼名に多いようですね。実は名前の本体ではなく、愛称つまり「~ちゃん」というニュアンスなのでしょう。自分のことを麿というのも「ボクちゃん」という感じです。だから親は「牛若丸」と呼ばずに「牛若」とよぶこともあったでしょう。秀吉の幼名が「日吉丸」なんてはずはなく、きっと「サル」とでも呼ばれていたにちがいありません。でも、のちの伝記作者たちはかりにも関白の幼名を「サル」とするわけにはいかず、サルをおつかいとするのは比叡山の日枝(ひえ)大明神、日枝は「日吉」とも書くから「日吉丸」でいこうとでっちあげたのだそうです。藤原四兄弟の末っ子の名が「麻呂」なのは、親や年の離れた兄貴たちから甘やかされて「まろ、まろ」つまり「ボクちゃん、ボクちゃん」と呼ばれていたからだという説もあります。

ということは柿本人麻呂の「人麻呂」は「人ちゃん」ですね。万葉歌人には高橋虫麻呂という人もいたので、これは「虫ちゃん」です。この「人麻呂」に無実の罪を着せて名前まで「人」を「猿」に変えておとしめたのが「猿丸大夫」の正体だと言った人もいました。たしかに猿丸大夫は三十六歌仙の一人で、歌の名人ということになっているのに、猿丸名義の歌が残っていないのは不思議です。「もみじ」といえば「鹿」、という取り合わせの元になったとまでいわれる「奥山に…」の歌にしても猿丸作という確証はないそうな。梅原猛『水底の歌』は推理小説を読むようでたいへんおもしろいものです。

梅原説によると人麻呂は流罪になって恨みを飲んで死んだので、たたりをおそれてまつるために神として扱ったということです。菅原道真同様、たたりそうなやつは神様にしてうらみを忘れてもらおうという発想です。怨霊となったと言われる崇徳院の「王を民とし、民を王としてやる」という誓願によって武士の時代が到来したと、朝廷の人々は信じていたのでしょうか、何百年もたって王政復古の時が来たとき、明治天皇が真っ先にしたことは崇徳院をまつる神社に参拝することだったそうです。怨霊をまつる神社の威力はすごいものがあります。

人麻呂の場合は、柿本神社というのもありますが、人丸神社というのもあります。歌の名人の人麻呂をまつっているのに、なぜか火事を防ぐ神様、安産の神様になっています。理由は「火止まる」「人産まる」。あとのほうはちょっと苦しい。要するにダジャレですね。神様の御利益をダジャレで決めてしまうのもどうかと思いますが……。なにせ「駄」ですからね。

でも、そういうダジャレを好む人が世の中に多いのもたしかです。とくに「親父」には多いようです。年をとるにしたがって、頭の中でダジャレ菌が繁殖してくるのでしょうか。「親父」系のダジャレの中は全くおもしろくないものが圧倒的に多いのですが、おもしろいものもないわけではありません。ちょっと苦しいぐらいのものがばかばかしくて笑えることがあります。「へびが車にひかれて血が出ちゃったよ。ヘービーチーデー」なんて、むっとする人もいるかもしれませんが、志ん生の口調で言われると笑ってしまいます。

考えてみれば「音が似ている」だけなのに、なぜおもしろいのでしょうか。笑いの理由を説明するのは難しいのですが、どうも「まったくちがうもののはずなのになぜか似ている」ということが笑いを呼ぶようです。TVでよくやる「そっくりさん」がそうですね。「そっくりさん」、知ってますよね。紙に「あいうえお」とか「はい」「いいえ」と書くやつではありません。それは「こっくりさん」ですから。いま言っているのは「そっくりさん」。けっして「おもしろい」顔ではない人がだれかに似ていると思った瞬間、笑える顔になります。単体として見た場合にはそれなりに独立しており、決して笑いの対象にはならないはずのものが、何らかの、特にある種の権威あるものと比べて似ている、となったとき「もどき」の位置に転落することから生まれるおかしみでしょう。要するに、「もどき」は滑稽なのです。世の中には「人間もどき」も多いようですが……。

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