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2010年4月16日 (金)

無限ループ

話の送り手が、どういう考えのもとにそういう表現をとったのか、つきつめて考えていくと、その人の心理的状態だけでなく、もろもろの事実まで感じ取れることもあるようです。外国の小説に、「九マイルは遠すぎる。まして雨の中ではたいへんだ」ということばだけで、発言した人が犯罪者であることを推理する、という「そんなアホな」みたいなものがありました。

横溝正史の『獄門島』では、犯人のつぶやき「きちがいじゃが、仕方がない」というのが人気の高いフレーズですね。「きちがい」は「季ちがい」です。俳句に見立てた殺人事件だったのですが、季節ちがいになってしまったので思わずつぶやいたことばでした。おまけに被害者の周辺には精神に異常をきたした人がいます。古い時代の小説なので差別云々という意識はなかったころですが、のちにテレビドラマ化したときも、このくだりはさすがにカットせずにやっていました。ここは、読者や視聴者の目をまちがった方向にもっていくミスディレクションであるとともに、犯人を特定する伏線になっているキモの部分ですからね。そして金田一耕助が疑問を持つのが「じゃが」という逆接でした。このことばの発言者は犯人を知っていてかばっているのではないか、その犯人は「き×がい」の人ではないか、と最初に思った名探偵は、思い直して、それなら「き×がいだから仕方がない」となるはずだ、なぜ逆接なんだ、と考えて真相に迫っていきます。このあたりは読んでいてワクワクするところです。

こんな風に、ちょっとした言い回しのちがいが相手に与える影響は大きいのですね。たとえば叱り方一つとってもそうでしょう。「なんだ、これは! こんなミスをしていいと思っているのか。君みたいなやつは死んでしまえ」とか言われたら、叱られたほうは、そこまで言うかと、反省どころか反感を持つことにもなりかねません。「君ともあろう者がどうしてこんなミスをしたんだ」と言われたら、あ、この人はオレをそういう風に評価してくれていたんだ、と思って素直に叱責を受け入れるかもしれません。単に、「アホ、バカ、マヌケ」という罵倒語を羅列しても、感情的になって人格否定をしようとしているようにしか聞こえません。「怒る」と「叱る」はちがうのに。「アホいうやつがアホじゃ」という古典的反論をしたくなります。あるいは「アホ」と「バカ」はどうちがうの、なんて内心で冷笑しているかもしれません。

たしかに「アホ」と「バカ」は少しちがうようですね。「バカ正直」とは言いますが、「アホ正直」とは言いません。「学者バカ」「親バカ」はいますが、「学者アホ」「親アホ」はいません。「バカうま」はあっても「アホうま」はなく、言うなら「アホほどうまい」になりますね。「アホ」は阿房宮から、「バカ」は「鹿をさして馬となす」から来たという説があり、前者は秦の始皇帝、後者は二世皇帝にちなむことなので、もしそうならどちらも歴史の古いことばということになりますが、どうでしょう。

「男どアホウ甲子園」「空手バカ一代」というときの「アホ」「バカ」はプラスイメージでしょうか。もともと関西では「アホ」は必ずしも悪いイメージではないようです。「踊る阿呆に見る阿呆」は「アホウ」だから許されるのでしょう。場合によっては「ほめことば」になることさえあります。「バカじゃないの」はきついことばですが、「アホちゃう」というのは「かわいい」感じがあります。「こいつバカだぜ」と言われるとムッとしそうですが、「こいつアホやねん」と言われると、「うん、オレ、アホやねん」と自然に出てきます。「アホ」は「売り」になるのです。

結局この二つはどうちがうんでしょうかね。関西と関東のちがいもあるようですが。「アホとバカの境目はどこらあたり?」というマヌケな投書を取り上げたTV番組では、「天下分け目の関ヶ原というから、きっとそのあたりだろう」と言って関ヶ原のとある家に飛び込み、「お宅ではどう言いますか」「ウチは『アホ』と言います」道路を隔てた向かいの家に行くと、「うちは『バカ』です」と言われ、「では、この道が境目」、というばかばかしい結論を出しました。ところが、これがやたら反響があり、そのうち「名古屋では『タワケ』と言うぞ」という声もあがり、アホ・バカ・タワケの三つの文化圏が勢力争いをするという三国志的様相を呈してきたのを、番組ではちゃっかり本にしてまとめました。『全国アホ・バカ分布考』(新潮文庫でも出ています)というものですが、なんと、それが「民俗学」として評価されたのですね。アホ・バカの研究も立派な民俗学なのです。柳田国男も『桃太郎の誕生』で民俗学というものを世に知らしめました。「桃太郎」といえばだれでも知っている話ですが、では三十字で要約するとどうなるでしょうか……(いちばんはじめの投稿にもどる)。

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