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2010年5月25日 (火)

その盾、ほんとについてほしい

栗原先生が苦しい中から無理矢理話題を見つけ、西川先生がひとの話題を使って相撲をとり、私は自分自身の書いたものの世界に閉じこもって、一人尻取り式に話題を見つけるという、それぞれのカラーがはっきりしてきました。今回も尻取り式に、「相も変わりませずのお話でございまして……」という感じで。

未来や過去とのかかわりだけでなく、ちょっとした「矛盾」というのはよく起こります。「『クレタ島に住む人間はうそつきだ』とクレタ人が言った」というのは有名ですね。「なるほど、うそつきなのか……でも、それを言っているのはうそつきのクレタ人だから、そのことばはうそ、つまりクレタ人は正直者ということになる。正直者のクレタ人のことばを信じたら、クレタ人はうそつきになる……」ということで、母親殺しのパラドックスと同じことになります。「例外のない規則はない」という規則にも例外があるのか。考えると夜も寝られなくなります。

筒井康隆は「一匹狼の大群がやってきた」というフレーズが好きらしいのですが、これはたしかになんとなくおもしろい。「オレは友だちなんていらない」「オレもいらない」「気が合うな、友だちになろう」という、わけのわからない会話もなかなか味があります。「髪の毛が全然ない人はハゲやねえ?」「うん、ハゲや」「ハゲの人に髪の毛を一本たしてもハゲはハゲやね」「そらハゲやろ」「二本たしてもハゲやね」「うん」「三本たしてもハゲやね」……(中略)……「十万本たしてもハゲやね」「うん」「髪の毛って平均して十万本らしいで。ということは世の中すべての人はハゲやね」「うん」……さて、問題です。この会話の話し手のうち、どちらが奥村先生でしょう?

先生が「来週の月曜から金曜のうちで、抜き打ちテストをする。いつするかおまえたちにはわからんときにするでー」「月曜から金曜いうたら五日間か。できたら最後の金曜にしてほしいな」ところが、来週の木曜の自分を想像してみると、金曜にテストがあるとわかってしまっている、ということに気づきました。それでは抜き打ちテストになりません。ということは、金曜日にはテストはないはずで、月曜から木曜の四日間になります。ところが……木曜のテストもあり得ないのではないでしょうか。水曜までテストがなくて、さらに木曜にテストがなければ、金曜にテストがあると予測できることになりますが、金曜日のテストはありえないということになったはずです。木曜にテストがあると予測できるのだから抜き打ちになりません。ということは、同じように水曜のテストもなくなりそうです。火曜までなければ、木曜と金曜にもないのですから、水曜しかない。抜き打ちではなくなります。ということは火曜のテストもないことになります。つまりテストは月曜にあることがわかりました。あれー? わかってしまえば、抜き打ちにはなりません。ということは、……テストはなしです。ところが! 月曜日にいきなりテストがあったのです。「そんなあほな。『いつするかおまえたちにはわからん』というのはうそやったんか」「うそやないでー。事実、今日テストがあるとわからんかったやないか」……わけがわかりまへん。

もっとシンプルに、「奇数でも偶数でもない数字」なんてのはどうなのでしょうか。「0」はどっち? 調べてみたら「奇数でも偶数でもない」と書いているものと「偶数」と書いているものがありました。これぞ「矛盾」。「はじまりでもあり終わりでもある」という言い回しはどうでしょう。ことば遊び的な表現でなくても、たとえば円をかくときの出発点はあてはまりそうですね。「直線だけで円をつくれ」という問題は、五本の直線を使えば「円」という漢字をつくれます、という国語的発想で逃げられそうです。「紙の表でも裏でもない部分」というのはどうでしょう。紙には分厚さがありますから、たしかにそういう部分は存在しますね。これは矛盾にはならないか。「彼はかさもささずに道を歩いていたが、まったくぬれなかった。いったいなぜか」というクイズも、じつは「晴れていたから」というひどい答えなので矛盾にはなりません。「食ってるとき食わず、食わないとき食うものは何か」も、「釣りをする人の弁当」という答えで、「食う」の主語がちがうのに、わざと省いて混乱させているだけだから、やはり矛盾とは言えそうにありません。「森が動かないかぎりおまえは負けない」というシェークスピアの有名なせりふはどうでしょうか。敵軍は木の枝をかざして森を進んできたので、森が動いているように見えた、というのは苦しいかもしれません。手塚治虫の「バンパイア」は、この「マクベス」から着想を得て「おまえは人間には殺されない、人間以外のものにも殺されない」という予言を受けた間久部緑郎と狼男の少年(テレビでは水谷豊が演じていました)とのたたかいを描いています。吸血鬼がすべての人類を吸血鬼にしてしまって世界征服すればどうなるんでしょうね。だれの血を吸えばよいのでしょうか。これは「矛盾」ですね。

いずれにせよ、世の中には「絶対的矛盾」はそうないようです。数学や論理の世界ならいざしらず、人間世界には。「白か黒か」だけではなく「灰色がある」わけだし、「○か×か」に対して「△がある」というのが世の中であり、国語があつかうのはそういう世界ですね。だから、ややこしいし、反面おもしろいとも言えるのでしょう。

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