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2010年5月12日 (水)

売らない

安倍晴明の母親は狐だったそうで、だから妙な力があるのかもしれませんが、陰陽道というのは宇宙を陰と陽の二つに分けて、木火土金水の五つの要素との組み合わせで、自然や世の中、あるいは吉凶を説明しようとするものです。当時としては最新の「科学テクノロジー」だったという人もいます。

木火土金水を陽(「兄」と見て「え」と読む)、陰(「弟」と見て「と」と読む)に分けて、「きのえ・きのと・ひのえ・ひのと…」とし、甲乙丙…とあてはめたものが十干で、これと十二支を結びつけると六十通りの組み合わせができます。これでいろいろ説明するのですね。だから「えと」は、ほんとは十二支ではなく十干のほうだったのです。

夏になればよく聞く「土用」ということばも、東西南北という四つの季節に木火土金水という五つをあてはめるとき、土をまん中において別格としたのです。一年360日を四つの季節に分ければ90日ずつ、1月、2月、3月の90日で春なのですが、「土」にも分けてやってよ、ということで各季節の終わり18日を土に提供しました。そこで各季節は90-18で72日、土は18日を各季節からもらって18×4で72日、これで均等です。つまり、昔は各季節ごとに土用があったのですが、いまは夏の土用だけが残っているのですね。

また東の方角は、季節で言えば春、色で言えば青、守り神は「竜」になります。なぜ「青春」というのか、これでわかりますね。東子さんという名前を「はるこ」と読ませることがあるのも、皇太子を意味する「春宮」が「春宮」とも書いて「とうぐう」と読めるのも「東」イコール「春」だからですね。北原白秋の「白秋」も西の方角は秋で白だからです。ちなみに東の青竜に対して西は白虎です。南は朱雀で、南に向かってまっすぐ進む道は朱雀大路です。「石山の石より白し秋の風」という芭蕉の句では、全山が白い石でおおわれている寺の境内で詠まれたものだそうですが、「秋」は「白」だから、「秋の風」も白いのです。

北に十二支の子を置いて、右回りに順にあてはめると南に午が来ます。北と南をつないだ線は子午線です。北東の方角は鬼門とされ、十二支で言えば丑と寅の間で、「うしとら」の方角と言います。鬼に二本のつのがあり、虎の皮のパンツをはいている理由がこんなところにあったのですね。子を夜中の0時と考え、右回りに行くと、昼の0時は午です。これより前が午前、あとが午後です。草木もねむる丑三つ時といえば、方角で言えば鬼門にあたりますから、化け物が出るのでしょう。

いわゆる風水も結局この流れです。当たるも八卦当たらぬも八卦と言いますが、これも共通する要素があります。「春宮」も八卦では東が長男を意味するところから来ているという説もあります。これらすべてをおおざっぱに言ってしまえば「占い」ということになりますが、占いが当たるというのはどういうことでしょうか。

タイムパラドックスという問題があります。タイムマシンで過去にもどって自分を生む前の母親を殺すとどうなるか。自分を生まないうちに死んでしまうのだから、自分は生まれず過去へもどって母親を殺すことはできない。ということは母親はそのまま成長して自分を生む。ということは自分は過去へもどって母親を殺せる。ということは自分は生まれず、母親を殺すことはできない。ということは……。

逆に未来を知ってしまったら、どうなるのでしょう。未来が悲惨な事態になることを知ってしまったら、そうならないように変えることは可能なのでしょうか。知らなければ、そのまま悲惨な未来に突入してしまいます。知ってしまえば、そうならないように努力することはできるでしょう。その結果、悲惨な未来が訪れないということになったら、「未来を知った」のは本当に知ったことになるのでしょうか。また、変えることができたにしても、どういう方向に変わるのかは予想できないのなら、結局未来を知ることはできないということになってしまいます。

うーん、わけがわからん状態になってきましたね。じゃあ、占いで「よくないことが起こる」と言われた場合、どうすればよいのでしょう。受け入れるのか、変えようと努力するのか。…結論。「人を不安にさせる占いはダメ」ですね。恐怖の大魔王は降ってきませんでした。「このままじゃ、あんた死ぬよ」というのは絶対に当たります。死なない人はいないのですから。(ちなみに「明日は雨が降るような天気ではない」も当たります。雨が降らなかったら、「『降るような天気』ではないと言ったでしょう」と言えばよいし、降ったら、「『日は雨が降るような。お天気ではありませんよ』と言ったでしょう」と言えばよいのです。)良心的な占い師は、悩みを持った人がその悩みを人に打ち明けることで、気持ちが安らぎ、事態が好転することがあることを知っているのでしょう。うらないと言いながら、安心感を売っているのですね、という古くさいダジャレで終わるのは心残りですが……。

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