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2010年6月24日 (木)

映画を観てきました

ひさしぶりに映画館で映画を観ました。

暴力描写がえぐくて(実際それで評判になっているみたいです)、一気に心理状態が悪化。

その後昼寝するまで胃の調子が悪かったです。

監督が、情宣活動の中で「エンターテインメントだ」と言っていたけれど、本気でそう思っているのか怪しいものです。かなり悪意に満ちた皮肉なんじゃないか、額面どおりに受け取ったら駄目なんじゃねえかと思いました。

この映画をエンターテインメントとして楽しめる人は、どこか壊れていると思います。

いわゆるエンターテインメント映画には暴力シーンがつきもので、それは幼児向けのアニメや実写のヒーローものにもありますね。

「仮面ライダー」や「なんとかジャー」はもちろん、ポケモンのバトルだって暴力シーンです。

この映画を撮ったK監督は、以前から「痛そうな」暴力シーンを意識的に撮ってきているわけですが、今回はそれをこれでもかこれでもかとやっている感じです。

だから、特に映画の前半部分は観ていて心臓ばくばく、苦しかったです。

でも、それは映画としてむしろ良質なんだと思います。

「暴力シーンが痛そうじゃない」映像ばかり見せられたら、かえっておかしな感性が育つと思いませんか?

ポケモンにしろ、ブルース・リーのカンフー映画にしろ、「かっこいい暴力」を描いているので、観ている方は、無意識に「暴力をふるう側」に立って映画を観てしまい(ましてポケモンなんてペットにたたかわせて自分は見ているだけという残酷さ!)、暴力の「痛さ」がわからないようになっているのですが、この映画は自然と「暴力をふるわれる側」に立って観てしまいます。

観ていて思わず「痛い痛い、痛いがな」とつぶやきたくなる場面の連続です。

また、仮に、暴力をふるう側の立場で観たとしても、あまりカタルシスは得られないんじゃないですかね。暴力をふるう感触の気持ち悪さもたっぷりあったように思います。

本来、「暴力」はそういう視点で、つまり、いつなんどき自分を見舞うかわからないものとしてとらえるべきものです。でも、今の暴力的な映画はそこを表現しないものばかりですね。そうでないとふつうは楽しめないですから興行収入のことなど考えたらやむをえないのかもしれませんし、まあ僕もべつにそれでいいと思ってはいますけど。

すべての映画が同じ考え方をする必要はないですし。

『ゴッドファーザー』という有名な映画がありますね。アル・パチーノがマフィアの親分を演じている、とてもかっこいい、そして文学的な名作です。僕も大好きで、ときどきⅠ~Ⅲまでぶっ通しで観て(9時間ぐらい?)ふらふらになったりしていました。

このかっこいい文学の香り高い映画にも暴力シーンが再々登場しますが、やはりあまり痛そうではありません。

K監督は、今回は文学的な感じじゃない映画にした、といったような発言をどこかでしていましたが、それも皮肉だったんじゃないかと疑っています。

痛いはずの場面がきちんと痛そうに見える、そういうことをきちんと表現することこそが、「映像」の意味なんじゃないか、文学的な映画て何のことですか、みたいな。

それもひとつの見識だと思います。

そういえば、何年か前に灘中学で出題された岩田宏氏の「動物の受難」という詩も、暴力をふるう立場が突然(しかし当然のごとく)暴力をふるわれる立場になってしまう、恐怖の一瞬をえがいたものでした。

この詩をはじめて読んだときも怖かったなー。

まさか灘でこの詩が出題されるとは。でも、なぜか①Nの教材には入れてたんですけど。

映画の話に戻りますが、俳優はみんな素晴らしかったです。椎名桔平は以前から絶対に悪役が似合うと思っていたんですが、ほんとにぴったりでした。個人的に助演男優賞を差し上げたい。大好きな石橋蓮司も良かったです。哀れな感じがたまりませんでした。

もちろん、どの場面も印象深く、ある意味うつくしく、特に黒塗りの車体の深い輝きは、きれいであり、怖ろしくもあり。

もちろん、塾生諸君にはまったくお勧めしません。

大人になってから観てください。

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