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2010年6月18日 (金)

聞きまつがい

日本語と英語の結びつきでは、辞書をディクショナリーと覚えるときに「字引く書なり」と考える、というのがあります。「いま何時ですか(ホワット・タイム・イズ・イット・ナウ)」を「ホッタイモイジクルナ」と覚えるというのもありましたね。テレビで実際にアメリカに行って通じるかどうかやっていましたが、結構通じていました。「ウェストケンジントン」という地名は発音が難しいので「上杉謙信」と言ったほうがかえって通じるというのもありました。まちがって「武田信玄」とさけんでしまったとか。

「聞きなし」というのがあります。動物の鳴き声を人間のことばに当てはめて覚えやすくしたものです。ウグイスの「ホーホケキョー」は「法華経」ですね。ホトトギスの「テッペンカケタカ」も有名ですが、「トッキョキョカキョク」と聞こえると言う人もいるようです。コジュケイの「チョットコイチョットコイ」はまだしも、ホオジロの「一筆啓上つかまつりそうろう」は「うそつけー」と思いますし、サンコウチョウの「月日星ホイホイホイ」はその鳴き声がもとになって、三つの光だから三光鳥という名がついたのだ、というのは、なんだかなあという気がします。「仏法僧」と鳴くから「ブッポウソウ」という名がついたのに、実はそう鳴くのは別の鳥だった、というわけのわからない話もあります。でも、こういう「聞きなし」を知ったうえで聞くと、たしかにそう聞こえなくもないから不思議です。

あるテレビ番組に「空耳アワー」というコーナーがありました。英語の歌詞の一部分が日本語に聞こえてしまうというものです。それとはちょっとちがいますが、日本語の歌の文句を勝手に聞きまちがえてしまうこともありますね。「赤い靴はいてた女の子」は「異人さんにつれられて行っちゃった」なのに「ひいじいさんにつれられて行っちゃった」と思っていました、というやつです。「うさぎ追いしかの山」を「うさぎ、美味しい蚊の山」と思って、うさぎに大量の蚊が吸いついている光景が頭にこびりついて離れない、というのもあります。いちばん有名なのは「巨人の星」のテーマソングでしょう。「思い込んだら」の部分を「重いコンダラ」と聞いてしまい、「画面で星飛雄馬が引っ張っている大きなローラーのことをコンダラというのだと思ってました」というのは定番のネタですね。「なごり雪」の「なごり雪も降る時を知り」の部分は「を知り」の部分のイントネーションからどうしても「振る時お尻」に聞こえてしまい、ふざけてお尻をふってるのだと思いこんだバカな子供はたしかにいたでしょう。「赤鼻のトナカイ」で「でもその年のクリスマスの日」では、「でも」と「その」の間の微妙なつながり具合のせいで「デモッソの年のクリスマスの日」という妙な解釈をしたという人もいるそうです。どうやら「デモッソの年」という特別な年があって、その年のクリスマスの夜はいつもより暗いらしいんですね。「この世界中」が「殺せ怪獣」に聞こえたりすると、前後とつながらなくなるのですが、なんとなく勝手に理屈をつけてしまう。妙なものです。

錯覚する場合にはそれなりの理由もあるでしょう。自分が知らないものは知っているものに置き換えて安心したいという心理が働くのかもしれません。新聞で見出しに「米朝」と出てきたら、アメリカと北朝鮮でしょうが、熱烈な落語ファンなら「桂米朝」だと思います。何かの事件でつかまった犯人以外に逃亡していた「中島」を含む何人かが逮捕されたときの見出しが「中島らも逮捕」だったのですが、私はてっきり灘の誇る卒業生「中島らも」さんが逮捕されたのだと思いました。なぜそう思ったのでしょうかね。ある模試で、マチルダという女の子が登場する文章を出したことがあります。「マルチダ」と書いている答案がやたら多かったのは、マチルダはややなじみのうすい名前であるのに対して「マルチ」はよく聞くことばだからでしょう。「コスモポリタン」が「コスモポタリン」になるのも同様でしょう。

ただ、カタカナは読みにくいということもありそうです。「パソコン」か「パソコソ」か、ちらっと見ただけでは区別つきませんし。昔のコンピュータで名簿を作ると名前はカタカナでした。読みにくかったです。例の年金問題もそれが原因の一つですね。漢字で書けば、比較的読み間違いが少なくなるのは、漢字が表意文字であり、見た瞬間意味のわかる字だからでしょう。それだけに、その字の持つイメージがあたえる影響は大きくなります。「障害者」の「害」を「碍」にしてほしいという意見もたしかにうなずける部分があります。ただ、こういう書き換えをむやみやたらに認めていくと「言葉狩り」「漢字狩り」につながるおそれもあります。「子供」の「供」はよくないイメージだから「子ども」と書くべきだとか、「婦」はおんなへんに「ほうき」だから女性差別だとか。ひどいのになると、おんなへんの字にはろくな意味のないものが多く、すべて差別だからなくすべきだ、とか……。そんなこと言うと「横」には「横暴」とか「横やり」とか、ろくでもない意味が含まれているから、「横川」という苗字の人は「縦川」と変えなければならなくなってしまいます。むかしのCMで「世の中、バカが多くて疲れません?」というのがありましたが、「バカとはなんだ」とクレームをつける人が出てきて、「世の中、お利口が多くて疲れません?」にさしかえました。しかも、あらかじめ、そっちのバージョンも撮っていたとか。「お見事」のひとことです。

だいたい、こういうことを言う人は「ヒステリック」になりがちなので困ります。主張の根本にあることは正論で、反対できないことが多いのですが、それだけにほかの考えの人の意見に聞く耳を持たず、「私の意見は正しいざます!」と声高に叫び、場合によっては例の過激な環境保護団体のように「暴力」にうったえる人も出てきます。ヒステリックなのはあきまへんなあ。自分の意見が正しいと思っても、ほかの人の意見を認めないのは正しくないざます!

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