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2010年6月 3日 (木)

クウトプーデル

「○」は「マル」ですが、「×」は「バツ」か「ペケ」か、「○×式」は「マルバツ式」なのか「マルペケ式」なのか。「ペケ」は口語っぽいし、やや幼稚な感じがしますね。でも関西人は「ペケ」と言うことが多いような気もします。関西人は幼稚な語感が好きなのかなあ。「△」はもちろん「サンカク」ですが、「三角形」はどう読むのが正しいのでしょう。つまり、「さんかくけい」か「さんかっけい」か、ということです。

話すときにはあまり気にしないし、どっちでもまちがいではないのでしょうが、国語の問題文に出てきて振り仮名をつけなければならないときに困ることがあります。先日も「奪三振」は「だつさんしん」か「だっさんしん」か迷いました。あとにカ行やサ行、タ行、パ行がくるときには「っ」になることがありますが、いつもそうなるとは限らないようです。「三角+形」という意識が強ければ「さんかくけい」だろうし、「三角形」で一つのことばだという感覚が強くなれば「さんかっけい」になるのかもしれません。

では「研究所」はどうでしょう。「けんきゅうしょ」か「けんきゅうじょ」か。「保育所」は、調べてみると、「ほいくじょ」と書いている辞書と「ほいくしょ」としている辞書がありました。これもどちらでもよいのでしょうが、「消防署」などの「署」は「しょ」であり、「じょ」となることはなさそうなので、それにならって「所」も「しょ」と読むことが多いのでしょうか。

にごるかにごらないか、というのはたいしたことではないとも言えるし、反面、大ちがいになることもあります。「か」と「が」は、かな書きなら濁点という「おまけ」をつけるかどうかですが、ローマ字で書けば「ka」と「ga」ですからまったくちがいます。名簿にある「山崎」を「やまざき」と読んだら、「ちがいます。『やまさき』です」とにらまれて、ごめんごめんと謝りながらも心の中では「『やまさき』も『やまざき』もおんなじやないかー」と思ってしまうのは私だけでしょうか。でも当人にしてみれば大ちがいなのですね。「世の中はすむとにごるで大ちがいハケに毛がありハゲに毛がなし」というすばらしい歌もありますし(最近ハゲねたが多いような気もするが、気のせいでしょう)。たしかに「窓ガラス」は「ガラス」ですが、「旅ガラス」は「カラス」ですから大ちがいです。「茨木」「茨城」はどうでしょう。「茨木市」は「いばらき」ですね。でも人名のときには「いばらぎ」と読むこともあります。「茨城県」も「いばらき」なのですが、現地の人は関東なまりがあるので、「おら、いばらぎだっぺー」と発音するのではないでしょうか。「き」のつもりでなまってしまったのか、「ぎ」のつもりなのか、不明です。

また、振り仮名通りに発音しないことばもありますね。「女王」の読み方は「じょおう」のはずですが、その通りに発音しているのを聞いたことがありません。みんな「じょうおう」と発音しています。「十本」は「じっぽん」と書かなければ×(バツなのでしょうかペケなのでしょうか)なのに、みんな「じゅっぽん」と発音します。最近では、発音にあわせて「じゅっぽん」という書き方も認めようという動きも出てきているようです。「言う」は「いう」ですが、「ゆう」と発音します。ただし、「言った」は「ゆった」ではなく「いった」でしょう。「うそをついたことがない」の意味の「うそと坊主の頭はゆったことがない」という言い回しは「うそを言う」と「頭を結う」をかけたシャレなのですが、「ゆった」の形なのでイマイチわかりにくいようです。「行く」は「いく」と「ゆく」のどちらの読み方も認められています。「ゆく」が本来の形だったのだろうということは「逝く」の読み方が「ゆく」であることからもわかります。格調高いのが「ゆく」で、それが口語的にくずれたのが「いく」なのでしょう。このあたり「良い」が「よい」から「いい」になるのと同じ変化だろうと思われます。「よい」は「よかった」「よければ」と活用しますが、「いい」は「いかった」「いければ」とは言いません。「いい」の形で言い切るか、名詞にかかる形で使うか、つまり「いい」の形しかないくせに形容詞になるという、妙なことばです。

では、「よい」と「いい」はどう使い分けるのでしょうか。子どもは耳で聞いてことばを覚えますから、「いい」をまず基本形として覚えるのですね。親の話しことばでは「いい」を使うのがふつうですから。そこで子どもは、自分で書くときにも「…していい」と書きます。ところが、そのうち書き言葉では「…してよい」となっていることに気づいて、改まった文章では「よい」を使わなければならないのだ…というように、自分のことばを修正していきます。そういう学習をしないで話しことばだけの世界に生きているアホタンは、いざ書かなければならないということになったときにも平気で「まあいん電車の中はいやなふいんきだった」と書くのでしょう。ただ、こういうことは昔は大人でも多かったようです。駅や停留所のことを「ステンショ」と言ったのは「ステーション」を耳で聞いて「~ション」を「~所」だと思ったからでしょう。灘の誇るべき卒業生中島らもが書いていましたが、ある店で「シングル」「ダブル」と書かれている次に「サブル」と書かれていたとか。

こういう、和製英語どころか、れっきとした日本語のくせに外国語めいた音にする「遊び」がありました。「オストアンデル」「ヒネルトジャー」なんて、幼稚すぎて笑えます(ちなみに前者は「まんじゅう」、後者は「水道」です)。私が好きなのは「さつまいも」の「クウトプーデル」。平賀源内が発明した蚊を取る機械は「マアストカートル」でした。ハンドルを回すと蚊が取れるんですね。薬の名前で「スグナオール」は、オイオイそれは…と思いますが実在しましたし、「ノドヌール」もあるし、「ケロリン」となると聞いたことがある人も多いでしょう。

反対に、実際にある英語の「ケンネル」が「犬小屋」の意味であることに感動した人もいるのではないでしょうか。そういう人は「トンネル」が「豚小屋」ではないことが納得できなかったのだろうなあ。

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