« 2010年6月 | メイン | 2010年8月 »

2010年7月の6件の記事

2010年7月30日 (金)

すしってタコよね

今を去ること十数年前、何人かの講師が集まって新しい塾をつくることになりました。で、どういう名前にするか、みんなで相談したのです。創立メンバーがいろいろあげた中には「サミット」なんてのもありました。大勢はそのおしゃれな名に傾きかけたのですが、前田卓郎前学園長は「学園長」という呼び方にこだわり、「○○学園」がよいと主張、しかも「○○」は漢字一字にしたいということで、「おまえは国語担当なんだから、何か考えろ」。命令を受けた私は新しい塾の名を考えることになったのです。

「夢学園」…授業中みんな居眠りしそうです。「幻学園」…はかなく消えそう。「風学園」…飛んでいってしまいます。「虹学園」…「へび学園」と読まれそうです。「骨学園」…男っぽいのか無気味なのか。「玉学園」「花学園」…音だけ聞くと某学園のパチモンと思われそうです。……意外に漢字一字で塾名にふさわしいものはないのですね。「傷」とか「腸」とか、使えそうもない字ばっかりです。漢字二字なら「希望学園」なんてよさそうだけど、でもなんか頭わるそうな名前だしなあ、と思っているうちに「希学園」か「望学園」で「のぞみがくえん」というのはどうだろうか、と考えたのです。ただし、前者なら字面はいいのだけど「のぞみ」とは読みにくい、後者は読みやすいが字面がイマイチです。二つのうち、どちらか選んでもらおうということで、結局「希学園」に落ち着きました。よかったですねー、「へび学園」にならなくて。ちょうど新幹線「のぞみ」が走り出したころで、タイミング的にもよかったのです。ときどき「のぞみ」が故障して新聞の見出しに「のぞみ、またストップ」とか書かれたこともあり、前学園長がよくぼやいていたのもなつかしい思い出です。

なんか、「今だから話そう」みたいな感じになってしまいました。幕末に活躍した若者が維新後何十年もたって古老と呼ばれるようになって昔語りをしているみたいです。子母沢寛という人が昭和になってから新撰組の生き残りの元隊士にインタビューしています。幕末なんてたかだか百五十年前ですから、そんなに昔ではないのですね。徳川慶喜でさえ、死んだのは大正です。私の死んだ母方の祖母が、「戦争が終わったとき、万歳、万歳と言って提灯行列したんじゃ」と言っているのを聞いたとき、何を言うとるんじゃと思ったのですが、あとで考えると日露戦争だったのですね。でも、そんなの驚くことでもなんでもない。子供の頃、役所に出す書類の生年月日の欄に「○で囲め」として、明治・大正・昭和だけでなく慶応というのもありました。慶応って、れっきとした江戸時代です。つまり、江戸時代生まれの人がまだ生きていたということです。そう考えれば、テレビの大河ドラマでやっているようなことも遠い過去の話ではなく、わりと身近なことなのかもしれません。

最近は「歴女」とかいう人たちも多く、歴史ブーム、とくに戦国時代ブームのようです。ゲームからはいって、武将もゲーム・キャラとしてとらえているのでしょうが、武将の本質も意外にふつうのおっさんだったような気がします。故郷の実家のすぐ前の小さな山が城山と呼ばれていて、その山の中にうちの家の畑もありました。べつに城があるわけでもないのに、なんで城山?って思っていたのですが、昔は城があったらしいんですね。南北朝時代にはすでにあったようです。戦国時代にはこの城を拠点として勢力を伸ばしていって、結局は豊臣秀吉に屈したものの、江戸時代にも有力大名として残りました。何年か前、山のてっぺんまで登ってきましたが、ゲームのキャラになっているあの人たちはここで生まれましたという案内と石碑(「誕生石」と書いてましたがなんだか妙です)がありました。大河ドラマなどでは、格調高いセリフまわしで、いかにも戦国武将らしく、重々しく描かれるのですが、うちの家のすぐ前に住んでたおっちゃんたちです。要するに、自分たちの土地を守るために武装した「百姓の親方」ですよね。「おーい。となりの権助がまた欲かいて、おらとこの土地をかすめべえって手ぇ出してきただよ。おっとう、どうすんべえ」「まーた、権助のやつかい、いっぺん痛い目にあわさんけりゃなんねえべ」「やるべか」「おう、わけぇやつら集めべぇ、こんだあ、がつんといわしてやるべ」…みたいな感じだったような気がするのですが、どうでしょう。

戦い方も、沼かなにかに軽石を敷きつめて地面があるように見せかけたところに敵をおびきよせて、みんなしずめてやった、と父親がまるで自分がしたことのように言っていましたが、本当だったのでしょうか。そんな間抜けな作戦では大河ドラマになりそうもありません。子供のけんかみたいです。

坂本龍馬にしても、あのイメージは本当なのでしょうか。司馬遼太郎の作った坂本龍馬という虚像がいつの間にか実像になってしまっているのではないでしょうか。じつは「やな奴」だったかもしれません。だれかによってつくられたイメージが一人歩きすることはよくありそうです。たとえば清少納言なんて、自分の頭のよさを鼻にかけるような「やな女」のようによく言われますが、そうだったのでしょうか。有名な「春はあけぼの」にしても、学校では「趣がある」という意味の「をかし」を補って「春はあけぼのをかし」としたうえで「春はあけぼのが趣深い」と訳すように教えるのですが、橋本治という人が、そんなことをする必要はないと言いました。これは、そのまま「春ってあけぼのよねー」と訳すべきだというのです。つまり、いまどきの若い女の子のしゃべり方そのままで訳せるし、そのほうが当時の「ギャル(死語ですね)」である清少納言の口ぶりにふさわしいという主張でした。そうなるとお高くとまった感じではなく、清少納言が身近に感じられます。その主張を紹介していたNHKのテレビ番組で清水ミチコが、その口調は「すしってタコよねー」というのと同じか、という鋭いつっこみを入れていました。さすがです。

2010年7月24日 (土)

小学生のときに読んだ本②

ダーウィンの伝記

出版社はおろか、もはや筆者の名前も正確な書名すらも忘れてしまいましたが、とにかくダーウィンの伝記です。けっこう字も小さくて中学生の読書にも耐えられるレベルだったような。 

これは個人的に影響が大きかったです。

大学生のとき、文学部にもかかわらずダーウィンの『種の起源』を読んでいたのは、小学生のときにこの伝記と出会っていたからですね。

『種の起源』の感動的なところは、ダーウィンが自説の弱点を包み隠さずに述べている点です。 これについては今のところ根拠がない、かくかくしかじかの化石が見つかれば・・・・・・というふうにごまかしのない誠実な書き方をしています。

当時、スティーヴン・J・グールドの、進化論についてのエッセイが流行って、僕も『ダーウィン以来』とか『パンダの親指』とかいくつか読みました。

ダーウィンの時代の人々にとって進化論(ダーウィンはこの言葉を使っていないようですが)がいかにも容認しがたい説と映ったのは、人間の祖先がサルであるなどと非常識なことを述べているから、ということではなく(そもそも『種の起源』ではそのへんには踏み込んでいない)、進化論が「唯物論」だったから・・・・・・と書かれていたように記憶しています。

また、グールドのエッセイによると、実際ダーウィンが発表を禁じたノートには、神というのは人間の脳髄が生み出したものだ・・・・・・と書かれていたとか。

まさに唯物論の時代だったんですねぇ。マルクス、ダーウィン、フロイト、みんなそうです。

「進化論」だけでなく「遺伝学」にも興味がわいて、医学部の友人から「遺伝学概説」みたいなテキストを借りて読んだりもしました。何かに役立てようという気持ちがまったくないですから、まさに純粋な興味、純粋な好奇心です。かっこよくいえば「知的好奇心」ですな。うひょー。

今でも、ときどき「進化論」関係の本を読みますが、何がおもしろいのかと訊かれてもうまく説明できません。小学生のときに植え付けられたんですね。

小学生のときは、ダーウィンに限らず伝記をよく読みました。他に印象に残っているのは、エジソン、源義経、野口英世といったあたりでしょうか。

エジソンは偉さが小学生にわかりやすいですね。その点、友人の読んでいた「良寛」は何が偉いのかよくわかりませんでした。いい歳した大人が子どもと遊んでばかりいてよう、なんて思ってました。

「源義経」は軍事的天才の華々しさみたいなものが小学生男子のハートをつかんだんでしょうね。後々、司馬遼太郎の『義経』を読むと、軍事的天才とは裏腹の政治的無能ぶりがえがかれていて、それはそれで面白かったですけど。その頃には源氏より平氏びいきになっていました。

源氏は兄弟で殺し合ったりしてちょっと陰惨過ぎる気がします。

平家物語なんて読むと、平知盛の最期の場面とかかっこいいですよね。「見るべきほどのことは見つ」なんて言っちゃってね。

自分というものを知らず、政治状況も理解しないまま、右往左往して滅びていく義経と比べると、何もかもわかったうえで滅びへと身を投じていく知盛は、やはりかっこいいですな。そういえば山崎正和でしたか、ギリシャ悲劇的な意味合いで真に「悲劇的」にえがかれた人物は日本では平家物語の平知盛だけと述べていましたね。

伝記の話でした。

野口英世は、今となっては業績のほとんどが否定されていて悲しい気持ちになります。昔、小室直樹が、「日本人は成り上がり者が嫌い」と言っていたけれど、野口英世の人生にもその悲哀を感じますね。一度はもてはやしますけれど、決してほんとうには成り上がり者を受け入れることはしないのが日本人だと思います。

もちろん、野口英世の業績が否定されているのはそのせいではありませんが、逆に、日本で受け入れてもらえないから、結果を出さなければいけないと焦ってしまったのかな、と思います。

伝記はおもしろいです。今でもたまに読みます。

比較的最近になって読んだのは、尾形亀之助という詩人の伝記ですが、この人はもう・・・・・・何といえばいいのか。野口英世とは逆に大金持ちの家に生まれ、はじめは画家を、次に詩人を志しますが、詩人として成功しようという気持ちをいつからかなくしてしまいます。そして、そのころには、実家も膨大な借金を背負って逼迫しているのです。

最後の詩集である『障子のある家』には次のような序文が載せられています。

自序

 何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。
 私がこゝに最近二ケ年間の作品を随処に加筆し又二三は改題をしたりしてまとめたのは、作品として読んでもらうためにではない。私の二人の子がもし君の父はと問はれて、それに答へなければならないことしか知らない場合、それは如何にも気の毒なことであるから、その時の参考に。同じ意味で父と母へ。もう一つに、色々と友情を示して呉れた友人へ、しやうのない奴だと思つてもらつてしもうために。(すべて原文ママ)

これは相当に風変わりな人ですよね。なんといったらいいのか・・・・・・変です。

僕自身は、「それに答へなければならないことしか知らない場合」という部分が好きです。突き放すようで突き放しきれない感じが、なんともいえず優しく、哀しくて。

そんなふうに思うのは僕だけですかね?

2010年7月19日 (月)

カミングスーン

「アマチュアでロックやってます」的な人たちが、外国人風のニックネームをつけてお互い呼び合っていることがありました。最近はさすがにそんなはずかしいことはなくなっているのかなあ。れっきとした日本人で、どう見ても「純和風」としか言いようのない顔立ちで、名前を聞かれもしないのに「おれトミー、そこんとこよろしく」とか「おれのことはジョンと呼んでくれ」とか。おまえは犬か、と言いたくなるような、「痛い」人たちが結構いました。「トミー」というのは苗字が「富田」とか「富井」なのでしょうか、それとも苗字は村山だけど名前が「富市」? 元の名前と関係なく、「ジョン」という音の感じにあこがれている場合もあるのでしょう。山田花子が「わたしのことはエリザベスと呼んで」という、あのノリなのですかね。

ところが不思議なことに、こういう場合の「外国人風」というのは欧米系で、アジア系やアラブ系はあまりありません。「おれムハンマド」「おれっちアブドーラ」とか「ゴータマ・シッダルータと呼んでくれい」とか言うやつはいません。当然、「おれ毛沢東」というひょうきん者もいないでしょう。ロックそのものがアメリカからやってきたのだから当然ではあるのですが、いまだに「欧米系はかっこいい」という鹿鳴館的感覚があるのかもしれません。歌詞に英語のワンフレーズを入れるだけでなく、発声のしかたも「て」が「つぇ」になるような「英語っぽい」感じで矢沢永吉あたりがやりだしたころはかわいいものでした。それが桑田佳佑になると、かなりオーバーになってきました。そして、そのような歌い方こそが「かっこいい」とされるようになり、しかもなんとなく、うまく聞こえるような気がするのですね。そこでほとんどすべての若手の歌手がそんな発音で歌うようになりました。さすがに演歌系はそうなりませんでした。「ファコネイファティリノオ、ファンズィロワウ」ではわけがわかりませんので。たとえばタ行は「ちゃ・てぃ・ちゅ・ちぇ・ちょ」になってきます。完全な赤ちゃん言葉で、もはやギャグの域に達しているグループもいました。「なになにしたい」が「なになにしちゃーい」になってしまっては、本人は「どうだ、かっこいいだろ」と思っているのでしょうが、「おまえは『でんでん』か」と突っ込みを入れたくなります。……なんのことだかわからんだろうなあ。でも、ふだんのしゃべりでは日本語で話せるのに、歌うと「赤ちゃん」になる人が、いまだに結構いるようです。

たしかに、英語の「音」って、「かっこいい」と感じることがありますね。平板な日本語に比べると抑揚があり、力強さが感じられることもあります。政治家のスピーチなどでは特にそれが目立つのではないでしょうか。日本の首相の話し方とアメリカの大統領の説得力を比べれば、なんとなく後者に軍配があがります。映画の予告も日本語ではだめですね。アメリカ映画の予告でしゃべるおっさんはなぜか超低音です。腹に響きます。タイトルを言ってちょっとタメがあったあと、しぶーく「カミングスーン」とか言って、ドラムで「ドゥーン!」とやられると、「見にいこ」と思ってしまいます。

しかし、そういう予告を見なければ、最近の映画はタイトルだけ聞いてもどんな映画なのかわかりません。カタカナになっているために、もとの単語が何だったのかわからないというだけでなく、そんな単語知りまへーん、というものが多いのですね。(むかし習ったのに、年のせいで忘れてるだけ? ほっとけ。)「プライベート・ライアン」も、「個人的なライアンさん」って、なに? 調べてみたら、「プライベート」は、この場合一等兵とか二等兵とかの意味らしいです。「かつては日本語の題名をつけるのが普通で、しかも元の題より心に残るものが多かった、たとえば『望郷』という邦題は……」という、よくあるジジイのぼやきをするつもりはありませんが、ここにもカタカナ崇拝が残っているのでしょうか。元のことばをただカタカナにするだけの題名は、やはりそれが「かっこいい」と思う感覚があるのでしょう。アメリカ礼賛がなくなり、カタカナ語のありがたみは薄れているはずなのに、根っこの部分では残っているのですね。

日本の伝統的(?)話芸、漫才のコンビ名でもそうです。昔は「やすし・きよし」のパターンが基本でした。「大助・花子」「ひびき・こだま」「くにお・とおる」とか二人の名前を並べるものです。もちろん、「かしまし娘」「コメディ№1」のような「ユニット名」もありましたが、少数派でした。それがいつのまにか、主流になってきています。「B&B」「ツービート」というのは当時は新鮮な感じがしました。その後も「ダウンタウン」「トミーズ」「ナインティナイン」…ほら、やっぱりカタカナが多いでしょ。って、こんなことを言うと、必ず例外があって、突っ込まれるんですね。「中川家」。これは兄弟だからなんとなくわかります。「雨上がり決死隊」…。わけがわかりません。

カタカナではなくても、ユニット名にするのが多くなってきたのは、むかしのように「弟子入り」をしなくなったからでしょうね。むかしは師匠の名をもらって、「海原なんちゃら・かんちゃら」と言っていたのが、いまは養成所から出てくるシステムに変わってきているようです。二人の名前を組み合わせる名前もありますが、むかしとは少しちがいます。「タカアンドトシ」のような形であったり、「ますだおかだ」のような苗字の組み合わせであったり。「おぎやはぎ」も後者で、漢字で書けば「小木矢作」ですが、知らないと意味不明です。「FUJIWARA」も「藤本原西」の省略形ですから、「コブクロ」と同じですね。あれは漫才コンビですか。そう言えば「オグシオ」というのもありましたね。最初は馬の名前かと思いましたが…。だれが付けたんでしょうね。まさか自分たちから言い出したとは思えませんが、売りだすためのブレインがいて、その発案かもしれません。

どんな名前をつけるか、ネーミングというのは大切ですね。イメージとかかわってきますから。企業でも社名変更をしてイメージアップを図ることがあります。男性化粧品の「丹頂」が「マンダム」に変わったのは有名です。人はまず名前からはいってくるのですね。それは塾でも同じかもしれません。では、なぜ「希学園」は、この名前になったのでしょうか、それは……次回につづく、カミングスーン!

2010年7月14日 (水)

小学生のときに読んだ本

西川が小学生のときに読んだ本で印象に残っているものを紹介する新シリーズスタート!

べつにおすすめというわけではありません! 西川の印象に残っているだけ!

おまけに記憶はあやふや!

本当にシリーズ化できるのかまったく自信なし!!

『セキレイの歌』 小笠原昭夫・ 金尾恵子

これはですね、セキレイという鳥の生態を観察して、絵本にしたものですね。小学校3・4年生向けでしょうか。

物語仕立てになっていて、チビというセキレイが巣立つところから、何度かの子育てをするところまでを描いていたと思います。

絵がなかなかきれいで、いまだにヒヨドリとムクドリの区別もつかない僕ですが、セキレイだけわかるのはこの本のおかげです。

この本が印象に残っているのは、とても悲しい場面があったからだと思います。

チビのヒナがヘビに食べられてしまうのです。するするとヘビが近づいてくるので、チビが果敢にヘビに攻撃をしかけるのですが、残念ながらヒナが一羽呑み込まれてしまいます。

悲しいのは、そのあとです。ヘビが去ったあと、チビとメス鳥(名前は忘れてしまいました)は何事もなかったかのように、ヒナの世話を続けるのです。

数が数えられないので、一羽へってもわからない、という説明が載っていました。

この理不尽な悲しみの正体がわからない、的確に言葉にすることができないため、何だかとても苦しかったのをおぼえています。

単に、ヒナが死んでしまうから悲しいというのではないのです。

で、この記事を書くにあたって、あらためて考えてみました。

そこで思い出したのが、高校生か大学一年のときに読んだ、高橋源一郎さんの『さようなら、ギャングたち』です。

この本の中で、主人公が「キャラウェイ」という名の娘を亡くす場面があります。

確か、何月何日にお宅のお嬢さんは亡くなりますという死亡通知が役所から届き、主人公は、まだ生きている幼いキャラウェイを背負って、子ども用の墓地まで連れて行くのです。そういう決まりというかシステムになっているんです。

おんぶしたキャラウェイとお話をしながらとぼとぼ歩いていくところが悲しくてたまらない。

この場面を思い出しました。一見、全然ちがうんですが、悲しみの感触が似ているような気がします。

これはたぶん、「大切なものの死が適正な重みで受け取られていない」ことに対する悲しみなんじゃないですかね。

ここでさらに思い出すのが、詩人である石原吉郎が書いた「三つの集約」という文章です。

「私は、広島告発の背後に、『一人や二人が死んだのではない。それも一瞬のうちに。』という発想があることに、つよい反発や危惧をもつ。」

「『一人や二人』のその一人こそ広島の原点である。年のひとめぐりを待ちかねて、灯籠を水へ流す人たちは、それぞれに一人の魂の行くえを見とどけようと願う人びとではないのか。」

「一人の死を置きざりにしたこと。いまなお、置きざりにしつづけていること。大量殺戮のなかのひとりの重さを抹殺してきたこと。これが、戦後へ生きのびた私たちの最大の罪である。」

「適正な重み」という僕の表現はもちろん稚拙ですが、こうしてみると、石原吉郎の文章を読んでいたからこそ出てきた言葉のように自分では感じます。

さて。

『セキレイの歌』の場合には、大切なものの死であるにもかかわらず、それが0の重みでしか受け取られていないということが、小学生の僕にとって衝撃だったのだと思います。もちろん誰が悪いというのではなく、自然の摂理としてそうなっているわけです。だから、仕方がないわけです。仕方がないということが、さらに気持ちを重くします。

『さようなら、ギャングたち』の場合には、大切なものの死が(あるいはキャラウェイにとっては自分自身の死が)、受けとめることのできる限界をはるかに超えて重く重くのしかかっています。これは、その社会のシステムがそのようになってしまっているわけです。だから、やはり個人の力でどうにかすることはできません。

昔から人は死んできたわけで、大切なものの死(あるいは自分自身の死)は誰にとっても避けられない事態なのですが、せめて自然な、適正な重みで受けとめることができるべきだと思います。そうできないとき、それが理不尽さとして感じられるような気がします。

と、そこでまたまた思い出しました。

友人の息子さんが教えてくれた絵本ですが、

『わすれられないおくりもの』 スーザン・バーレイ

はその点心あたたまるといいますか、ええ感じの絵本になっていると思います。

(西川)

2010年7月 9日 (金)

授業前の会話

授業開始5分前の予鈴と同時に入室。

ぼく(にやにやしながら)「お、ひさしぶりだねい、諸君」

塾生「先週も会ったやん」

ぼく(怪訝な面持ちで)「・・・・・・え?」

塾生「?」

ぼく「先週、俺休んだじゃん」

塾生「来てたやん」

ぼく(真剣そのもののの表情で)「え? だって先週は実家の南極に帰ってたけどね」

塾生「来てたやん!」「ていうか実家南極?」

ぼく(はっとして)「あっ、くそ、またか!」

塾生「?」

ぼく「あいつや、あいつが現れたんや」

塾生「は? 何の話?」

ぼく「きみたちが先週会ったのはブラック西川や」

塾生「ブラック西川・・・・・・!」「何じゃそりゃ」

ぼく「ブラック西川は俺にそっくりなんや。そして、あっちこっちで俺のふりをして、悪いことやいいことをするんや」

塾生「いいことも?」

ぼく「そうや。いいことも悪いこともするんや」

塾生「先週はふつうに授業しとったで」

ぼく「お、先週はいいことしてんな」

塾生「対比に気をつけなあかん言うてたで」

ぼく「ええこと言うな、ブラックのやつ」

塾生「じゃ、先生はホワイト?」

ぼく「ホワイト? 人のこと歯磨きみたいに言うな」

一週間後。授業開始5分前の予鈴と同時に入室。

ぼく「ごんぬづば」

塾生「先生、今日はブラック? ほんもの?」

ぼく「はあ? ブラック? ほんもの? 何を言うとるんや、ねぼけてんのか」

塾生「何か態度悪いな」「ブラックちゃうか」

ぼく「がたがたうるさい、自習せえ自習」

塾生「ブラックや」「ブラックや」

ぼく「人のことをウイスキーみたいに言うなって言うてもわからんやろうけどとにかくやかましい暴れるぞ、ごるあっ」

塾生「うひょ~、ブラックゥ」

毎日楽しいです。

(西川)

2010年7月 5日 (月)

何の用だ!?

西川先生の「フリ」というか「縦パス」を受けなければいけない、ということで、ここは映画の話をします。

観て気分を悪くする映画といえば、「13日の金曜日」シリーズとか「オーメン」とかが昔は有名でしたね。今ならさしずめ「ザ・ゴーヴ」でしょうか(爆)。

真面目な話にもどすと、観て気分を悪くする映画で思い出したのは、スティープン・スピルバーグの「プライベート・ライアン」です。お勧めの映画です。

いや、「気分が悪くなるからお勧め」ってことではなく、皮肉という訳でもないんですが、「気分を悪くする価値がある」という意味で。

有名な冒頭のシーン。時は第二次世界大戦末期の「D-Day」。いわゆる1944年6月6日ノルマンディー上陸作戦におけるオマハ・ビーチ(血のオマハ)での戦闘シーンです。

冒頭の20分間、とにかく人が死にます。

この映画はこの20分を観るためだけにあるとも思います。冒頭の部分がなくても、ストーリーとしては成り立ちます。単に話題を提供するためという目的で、この戦闘シーンが描かれたのでは決してないと思います。

戦争ほど愚かで恐ろしくて汚くて格好悪くて惨めで悲しくて辛いものはない。

これを実感させてくれる20分なのです。

メカのかっこよさなどに憧れて、つい男の子は戦争の兵器である戦闘機や戦車などに憧憬をいだいてしまいますが、戒めのためにも、この映画を観て欲しいと思いました。

映画は「第七芸術」と呼ばれることがあります。音楽・美術・文学・演劇という他の芸術の要素を包含した総合芸術なので、「芸術の中の芸術」っていう人もいる。

私を含め、映画好きの人に映画を語らせる(いや聞かされる)とき、正直ややうざいと思いませんか。思いませんか、そうですか。アナタは心の広い人ですね。

そもそも芸術自体、自分の趣味や美学を人に披瀝することになっているわけです。

じゃ、平たく言うと芸術って全部自慢だったり押しつけだったりなんでしょうか。

「すべてのエッセイは自慢である」と私は授業でいうことがありますが、芸術の本質はそうでないと思いたい。

じゃ、何のために映画(特に悲劇)があるかってことですが、「カタルシス」もさることながら、やはり「不幸をなくす努力をしないといけないよね」と少しでも思わせてくれるところにあるのではないでしょうか。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク