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2010年7月30日 (金)

すしってタコよね

今を去ること十数年前、何人かの講師が集まって新しい塾をつくることになりました。で、どういう名前にするか、みんなで相談したのです。創立メンバーがいろいろあげた中には「サミット」なんてのもありました。大勢はそのおしゃれな名に傾きかけたのですが、前田卓郎前学園長は「学園長」という呼び方にこだわり、「○○学園」がよいと主張、しかも「○○」は漢字一字にしたいということで、「おまえは国語担当なんだから、何か考えろ」。命令を受けた私は新しい塾の名を考えることになったのです。

「夢学園」…授業中みんな居眠りしそうです。「幻学園」…はかなく消えそう。「風学園」…飛んでいってしまいます。「虹学園」…「へび学園」と読まれそうです。「骨学園」…男っぽいのか無気味なのか。「玉学園」「花学園」…音だけ聞くと某学園のパチモンと思われそうです。……意外に漢字一字で塾名にふさわしいものはないのですね。「傷」とか「腸」とか、使えそうもない字ばっかりです。漢字二字なら「希望学園」なんてよさそうだけど、でもなんか頭わるそうな名前だしなあ、と思っているうちに「希学園」か「望学園」で「のぞみがくえん」というのはどうだろうか、と考えたのです。ただし、前者なら字面はいいのだけど「のぞみ」とは読みにくい、後者は読みやすいが字面がイマイチです。二つのうち、どちらか選んでもらおうということで、結局「希学園」に落ち着きました。よかったですねー、「へび学園」にならなくて。ちょうど新幹線「のぞみ」が走り出したころで、タイミング的にもよかったのです。ときどき「のぞみ」が故障して新聞の見出しに「のぞみ、またストップ」とか書かれたこともあり、前学園長がよくぼやいていたのもなつかしい思い出です。

なんか、「今だから話そう」みたいな感じになってしまいました。幕末に活躍した若者が維新後何十年もたって古老と呼ばれるようになって昔語りをしているみたいです。子母沢寛という人が昭和になってから新撰組の生き残りの元隊士にインタビューしています。幕末なんてたかだか百五十年前ですから、そんなに昔ではないのですね。徳川慶喜でさえ、死んだのは大正です。私の死んだ母方の祖母が、「戦争が終わったとき、万歳、万歳と言って提灯行列したんじゃ」と言っているのを聞いたとき、何を言うとるんじゃと思ったのですが、あとで考えると日露戦争だったのですね。でも、そんなの驚くことでもなんでもない。子供の頃、役所に出す書類の生年月日の欄に「○で囲め」として、明治・大正・昭和だけでなく慶応というのもありました。慶応って、れっきとした江戸時代です。つまり、江戸時代生まれの人がまだ生きていたということです。そう考えれば、テレビの大河ドラマでやっているようなことも遠い過去の話ではなく、わりと身近なことなのかもしれません。

最近は「歴女」とかいう人たちも多く、歴史ブーム、とくに戦国時代ブームのようです。ゲームからはいって、武将もゲーム・キャラとしてとらえているのでしょうが、武将の本質も意外にふつうのおっさんだったような気がします。故郷の実家のすぐ前の小さな山が城山と呼ばれていて、その山の中にうちの家の畑もありました。べつに城があるわけでもないのに、なんで城山?って思っていたのですが、昔は城があったらしいんですね。南北朝時代にはすでにあったようです。戦国時代にはこの城を拠点として勢力を伸ばしていって、結局は豊臣秀吉に屈したものの、江戸時代にも有力大名として残りました。何年か前、山のてっぺんまで登ってきましたが、ゲームのキャラになっているあの人たちはここで生まれましたという案内と石碑(「誕生石」と書いてましたがなんだか妙です)がありました。大河ドラマなどでは、格調高いセリフまわしで、いかにも戦国武将らしく、重々しく描かれるのですが、うちの家のすぐ前に住んでたおっちゃんたちです。要するに、自分たちの土地を守るために武装した「百姓の親方」ですよね。「おーい。となりの権助がまた欲かいて、おらとこの土地をかすめべえって手ぇ出してきただよ。おっとう、どうすんべえ」「まーた、権助のやつかい、いっぺん痛い目にあわさんけりゃなんねえべ」「やるべか」「おう、わけぇやつら集めべぇ、こんだあ、がつんといわしてやるべ」…みたいな感じだったような気がするのですが、どうでしょう。

戦い方も、沼かなにかに軽石を敷きつめて地面があるように見せかけたところに敵をおびきよせて、みんなしずめてやった、と父親がまるで自分がしたことのように言っていましたが、本当だったのでしょうか。そんな間抜けな作戦では大河ドラマになりそうもありません。子供のけんかみたいです。

坂本龍馬にしても、あのイメージは本当なのでしょうか。司馬遼太郎の作った坂本龍馬という虚像がいつの間にか実像になってしまっているのではないでしょうか。じつは「やな奴」だったかもしれません。だれかによってつくられたイメージが一人歩きすることはよくありそうです。たとえば清少納言なんて、自分の頭のよさを鼻にかけるような「やな女」のようによく言われますが、そうだったのでしょうか。有名な「春はあけぼの」にしても、学校では「趣がある」という意味の「をかし」を補って「春はあけぼのをかし」としたうえで「春はあけぼのが趣深い」と訳すように教えるのですが、橋本治という人が、そんなことをする必要はないと言いました。これは、そのまま「春ってあけぼのよねー」と訳すべきだというのです。つまり、いまどきの若い女の子のしゃべり方そのままで訳せるし、そのほうが当時の「ギャル(死語ですね)」である清少納言の口ぶりにふさわしいという主張でした。そうなるとお高くとまった感じではなく、清少納言が身近に感じられます。その主張を紹介していたNHKのテレビ番組で清水ミチコが、その口調は「すしってタコよねー」というのと同じか、という鋭いつっこみを入れていました。さすがです。

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