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2010年8月23日 (月)

強制終了

先入観や固定観念というものはだれしも持っているし、なかなか抜け出すことができません。ましてや「定説」などと言われると、無条件に信じ込むしかないのですが、「定説」って、ほんとに正しいのでしょうか。今まで「定説」とされていたことが、じつはまちがいでした、ということが何度もあったような気がするのですが。昔は「運動中は水を飲んではいけない」と言っていたのが、いつのまにか「飲まないといけない」に変わった、というようなレベルのものもありますし、自然科学や歴史の世界では枚挙にいとまがないのでは?

 むかし天声人語で「ほんとに地球はまるいのか」という内容のものがあり、あちこちの入試でよく出ていました。「学校で習ったのだから」という理由で地球がまるいと信じ込んでいるのは、「教会のえらい人たちが言っているのだから、地球はまるくない」と思っていた中世の人たちと変わらない、権威あるものを無条件に信じ込んで、いまでも「打倒ガリレオ」をやっているのではないか、という主旨の文章でした。では、教会の人たちにボコボコにされたガリレオは、そのとき何と言ったのでしょうか。「それでも地球はまわる」? いや、それもそう書いてある本を読んで信じ込んでいるだけでは? ボコボコにされたのだから、「いたい、いたい」と言ったという答えのほうが本当らしいような気もします。だいたい、有名人が言ったとされていることばはあやしいものが多いようです。ゲーテの死ぬ前のことば「もっと光を」は一見おっと思わせますが、じつは「暗ーい、カーテンあけてくれー」という意味だったとか。クラーク博士の「ボーイズ・ビー・アンビシャス」も「少年よ大志を抱け」は名訳過ぎるという話もあります。そのあとに「このおいぼれのように」と続くので、これは「おれのようなじじいでもがんばっているのだから、おまえら若いもんはもっとがんばらんかい」のレベルで訳すべきだとか。「板垣死すとも自由は死せず」は板垣退助が言ったことばではなく、新聞の見出しだそうですが、そりゃそうでしょう、刺された瞬間、そんなかっこいいセリフははけまへん、私だったら「いたーい、いたーい、医者呼んでくれー」とさけぶと思います。

なにか一つのことが発見されて昔はこうだったんだと決めつけるようなこともよくありそうです。たとえばなんらかの理由でいまの文明がほろび、とんでもなく時間がたって、たまたま発掘された私の部屋だけを見て、「どう見てもこの部屋に住んでいた人は『おっさん』のようだが、小学生用のテキストがやたらある。むかしの人は『おっさん』になっても小学校へ行って勉強していたにちがいない」と結論づけたら、どうでしょう。私の部屋以外に同時代のものが発掘されなければ、それが「定説」になるかもしれません。「思いこみ」や「先入観」はこわいものです。「おっさん」である私に「先生、年いくつ?」と聞く不届きな生徒がたまにいますが、私は「18才」と答えます。「えー、うそー」とみんな言いますが、そのあとに「と、360か月」と続けると、納得してくれます(すんません、ちょっと少な目に言いました)。「何才と何か月」という言い方をすれば、「18才」はうそではなくなるのですね。ということは11才や12才の6年生とそう変わらない感じになるから妙なものです。きっと、彼らもちょっと年上の「おにいさん」ぐらいに思ってくれているのでしょう、はっは。

げんに、そういう「おっさん」をつかまえて、「マーシー」とか「やまぴー」とか、わけのわからん呼び方をされたことがあります。「……やまピーって、山下智久かオレは……って、そんなえーもんか」というのは「一人のりつっこみ」に分類されるでしょうか…。耕平ならコーちゃん、正(ただし)でター坊はわかるが、「やまピー」の「ピー」は何なのでしょうね、Pですか、「のりピー」のピーとはちがうの、「かきピー」と同じではないはずですが。むかし「サユリスト」というのがありました。吉永小百合の熱狂的ファンということですね。「コマキスト」というのは栗原小巻(のぞみの先生ではありません)ファンです。「イスト」は「主義者」なので、いちおう納得ですが、時代がたって、安室奈美恵の真似をする「アムラー」というのが出てきました。「アナウンス」は「アナウンサー」、「キャッチ」は「キャッチャー」になりますが、「アムロ」を「アムラー」にするのは無理があります。「アナウンサー」は「アナウンスする人」ですが、「アムラー」は「アムロする人」ではないので、よいのでしょうか。「アムロ」になりきれない残念な人は「アララー」と呼ばれたはずです。で、「ラー」が人を表す接尾語になったのか、このあと「~ラー」がやたらにはやりました。「マヨラー」は「マヨネーズ」大好き人間でしょうか。「ゲリラー」は何なのでしょう。腸の弱い人? (こう並べると、人のさいふをぬきとる人は「スリラー」、うまい、ざぶとん一枚、なんて言いたくなるのは「おやじ」ですかね)

まあ、こういうのは芸能界から出てくるのでしょうか。「ヤバい」という、「かたぎの衆」が使わないことばを肯定的な意味で使っているのをはじめて聞いたのはスマップの番組でした。それ以前から使われていたのでしょうが、それ以降、若者ことばとして定着してしまいました。さらにその応用編とも言うべき「ヤバクね」ということばも一時期よく聞きました。「しまうらのろーたー」ははやりませんでした……。でも、「業界用語」にはみんなあこがれるのでしょう。希の中だけでしか通用しない「業界用語」も「かっこいい」のですかね。「復テ」なんて一般の人にはわからないだろうし、「6ベ」「NK」「公開」「最レ」「宿プリ」など、不思議なことばオンパレードです。パソコン用語も不思議ですね。「立ち上げる」「初期化」など、いきなり記述の答案に使ったら確実に減点されることばを数多く発明しています。コンピューターそのものがもともと理系のすごい人たちによって作られたからでしょう。こういう人たちの理系の力は天才的なものなのでしょうが、国語の力は「困ったなあ」という人が多そうです。灘中へ行く人たちを見ていれば、驚異的な算数力と「破壊的」な国語力を持った人がよくいます。ときどき画面に出てくる「不正な処理が行われましたので、強制終了します」というフレーズなどはむかつきますよね。こんな日本語を考えた人はどういうセンスの人なんじゃー……ちょっと暴走しそうなので、強制終了します。

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