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2010年9月22日 (水)

ダブルスタンダード

いまのパソコンから見るとショボすぎますが、480メガが主流の時代に買った960メガのパソコンは「大容量」ということでした。「信長の野望」というかなりの容量を食うソフトを入れても大丈夫なはずだったのに、それでも、「不正な処理が行われましたので、強制終了します」というフレーズが出てくるのですね。私はただ武田家と正々堂々と戦っているだけなのに、なぜ「不正」なのだ、正義に反した行いはしていなーい、と画面に向かって叫んでみても、もう帰らないあの夏の日……ということでソフトは閉じられてしまうのです。こちらがなんの指示も与えていないのに、パソコンが勝手に処理して、それを「不正」と言われましても、そりゃ納得できませんな、お代官さま……と言っても、あとの祭りです。ほんとにむかつきます。こういうことばを平気で画面に出せるセンスを疑います。

こういう人たちがパソコンのマニュアルを書いていたのですから、マニュアルも読めるはずがありません。意味不明のところばかりです。そういう下手くそなことばを使っているマニュアルがまた、くわしすぎる。最近はとくに、やたら分厚くなって、困ったものです。「猫をレンジに入れてはいけません」と書かなければ裁判でやられてしまうので、メーカーとしても、やむを得ないのでしょうが、分厚すぎると読む気がなくなります。ケータイのマニュアルなど、読む人がいるのでしょうか。と書いて、ケータイという略語にひっかかってしまいました。「ケータイ」って「携帯」ですから、「携帯電話」だけが「ケータイ」と言うのは変ですよね。「携帯灰皿」も「ケータイ」と言うべきだし、「携帯トイレ」も「ケータイ」のはずです。だいいち、「ケータイ」とは「持ち運びできる」「ポータブル」としか言っていない訳だから、大事な要素の「電話」の部分が抜けています。

むかし「へちまコロン」というのがありました。「オー・デ・コロン」の「オー」は「水」、「デ」は「の」、「コロン」は「コローニュ」という地名、つまり「コローニュの水」の意味なので、その「コロン」だけとってきて、へちまから作った化粧水を「へちまコロン」とは、トホホ……。「オー・デ・へちま」のほうがまだマシだったのですね。そういえば、一時はやった「なんとかピア」も同じパターンです。「ユートピア」を「ユート」と「ピア」に分けちゃいけません。いや、「ぴあ」でチケットを買ってゆくのなら「なんとかピア」もありですかね。

話をもどすと「ケータイ」は「携帯」ではなくなった別のものです。「柔道」が「ジュードー」と呼ばれる全く別の競技に変わったようなものです。ですから目くじらたてることもないのですが、それにしても、こういう略語の作り方はよいのでしょうか。ひとむかし前なら「ケーデン」になっていたはずです。四字熟語の省略形は「一字めと三字め」が基本パターンですから。一字めと二字めでは略にならんでしょう。「公衆便所」は「公衆」かい。「横断歩道」は「横断」かい。

もちろん実際には妙な略し方もよくあります。「就職活動」の「就活」はパターン通りですが、「結婚活動」の「婚活」は「結活」では意味がわかりにくいと思われたのでしょうか。二字めと三字めです。「ケッカツ」は発音しにくいし、音もきたない。「一般教養」の「般教」も同じで、「航空母艦」を「空母」としたのと同じですが、読み方が「ぱんきょー」なのが、いま風ですね。ふつうに読めば「はんきょー」になるはずです。

困った略し方としては、パターン通りではあるのですが、「西宮北口」の「西北」というやつです。むかしは「北口」という人も多くて、どこの「北口」やねんと思いましたが、阪急沿線で「北口」といえば通じていました。でも、「にしきた」は略したことばが方角を表す感じなので、本来なら避けていたはずの略し方でしょう。略した言い方が、もともと存在することばと同じになったらまずいと考えるのが自然だと思うのですが……。そういう気配りがなくなったのでしょうか。中には、略したことばから元のことばを推測しにくいのもあります。ベースアップの「ベア」もあまり賢い略し方ではないような気がしましたが、古いことばにもあります。大正時代にはやった「モボ」「モガ」なんて、ひどすぎます。「モダンボーイ」「モダンガール」であることがわかろうはずもなく。「キモい」なんてのはどうでしょう。「キモち悪い」の略ですが、「キモちよい」ともとれます。それに対して「キショい」は「キショくよい」であるはずがなく「キショく悪い」の略であることが明らかなので、ことばの「品格」としては、はるかに上だと言った人もいます。

よく似た形の「ウザい」は何でしょうね。「うざったい」の略であることはまちがいないようです。「うざったい」は東京の奥のほう、多摩とかそのあたりの方言だったと聞いたことがあります。それが東京の若者ことばとして使われだしたのですね。30年ほど前からでしょうか。そのころから、なんとなく「方言」が「かっこよい」ものでもある、という雰囲気が漂いはじめたようです。はやりのファッションに身をかためながらわざと「…するべ」と言ってみせたりする。つまり、「方言」自体がファッションになりだしたのではないでしょうか。その土地の出身でもないのに、わざと使うわけですから、「やぼったい」ものではない、ということですね。

ただ、テストの答えで方言を使われると困ります。低学年によくあるので、むしろこれは方言であることに気づいていないのでしょう。記述の中にたまに「……したらあかんから」なんてのがあります。話しことばとしては方言はOKですから、私などは授業ではべたべたの方言です。東京で授業していたときなどは、「大好評」でした。とくに、アクセントのちがいがおもしろかったようです。「橋の端を箸を持って走る」をNHKのアナウンサー風に発音したあと、これが大阪ではこうなると言って、べたべたの大阪アクセントでやると拍手までしてくれました。困ったのは、テキストの文章の朗読です。ふだん関西で読むときは意識していなかったのですが、基本的には標準語アクセントのつもりで、実はコテコテの大阪アクセントだったのです。東京では、朗読の際はNHKのアナウンサー、講義は「何してはりまんねん」の誇張された大阪弁でした。ダブルスタンダードってやつですかい。

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