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2010年10月17日 (日)

小学生のときに読んだ本⑧その他

アルセーヌ・ルパン シリーズ

小学生向けに、怪人二十面相とかシャーロックホームズとかアルセーヌルパンのシリーズが出ていて、かなり高い人気を誇っていました。

で、子どもたちはだいたいホームズ派とルパン派に分かれるんですね。

理屈っぽいやつとか理系のやつはたいがいホームズ派だったような気がします。

大学時代に一緒に住んでいた理学部の友人は圧倒的にホームズ派でした。彼はテレビでジェレミー・ブレッド?が主演したホームズのシリーズもずっとみてましたね。『太陽にほえろ』で「山さん」の役をやっていた露口茂が吹き替えをしていました。長いパイプを吸っていて、神経質そうな、ちょっと病的な感じで。あれは阿片だよね、ろくなもんじゃねえな、とか言いながらみてたような気がします。

僕はもうまったくホームズなんかは読まず、ルパンでした。

大人になってから、「ルパンのシリーズはおもしろかったから、子供向けでなく大人向けのを読んでみたいものだ」と思って、堀口大学訳のやつを買いました。

堀口大学といえば、

泣き笑いしてわがピエロ
秋じゃ! 秋じゃ! と歌うなり。

0(オー)の形の口をして
秋じゃ! 秋じゃ! と歌うなり!

なんていうかっこいい詩を書いている人ですから、この人の訳ならまちがいないと思ったんですね。

ところがですね、まず題が『強盗紳士』になっていてですね、なんだか不吉な予感が。

ルパンは「怪盗」だったはずだが・・・・・・。強盗ルパン・・・・・・。出刃包丁とか持ってそうで嫌だな。口のまわりに丸いひげとかはやしてたりして。

しかもですね、中をちらちらみてみると、ルパンが自分のことをですね、

「わし」

と言っているんです。あのおしゃれできざなルパンが「わし」! ありえない! 仁義なき戦いじゃないんだ! どうなっとるんだ、堀口大学!

というわけで、長い間読まずに放置してしまいました。

読んでみたらまあそれなりにおもしろかったですけれど。

やはり訳は大事ですね。

『愛と青春の旅立ち』は確か直訳すれば『士官学校』でしたっけ。まあ、そんな地味な題だったらあんなにヒットしなかったかもしれません。いずれにせよ僕はみていませんが。

『星の王子さま』も本来の題には「星」というのはないですね。小さな王子、かな。でも、これは圧倒的に内藤濯の『星の王子さま』という訳が定着しちゃいましたね。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は『ライ麦畑でつかまえて』というタイトルがすごく定着してしまいましたが、村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』というそのままの題で新訳を出しましたね。かなり気に入らなかったんでしょうか。『おおきな木』という絵本は直訳すれば『与える木』とでもなるべきところだったんでしょうが、村上春樹の新訳でも『おおきな木』ですから、やはり『ライ麦・・・・・・』は相当気に入らなかったんだろうなあ。

だいぶ前に村上春樹が、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は関西弁で訳したらぴったりだと思うと言っていたので楽しみにしていたんですが、新訳は残念ながら関西弁じゃなかったですね。ちぇっ。

直訳でも素敵な題はあります。

アンリ・コルピの『かくも長き不在』なんて良かったですねえ。すごくいい映画だったし。

やたらと「泣ける映画」や「泣ける小説」をもてはやす風潮がありますが、どうなんでしょう。『かくも長き不在』はべつに泣ける映画ではありませんでしたけれど、とてもいい映画で、深く深く感動しましたがね。

北村太郎という詩人が『ぼくの現代詩入門』という本の中で、森川義信の『あるるかんの死』という詩を紹介していまして、確か「深い沈黙に引き込まれるような感動」といった意味のことを書いていたと記憶しています(例によってあやふやな記憶ですが)。

この表現がすごくいいなあと思います。「泣ける」映画や文学より、「深い沈黙に引き込まれる」映画や文学の方が僕は好きです。

『かくも長き不在』をみたあとは、だれとも何もしゃべりたくない、ずっと黙っていたい気持ちになったように記憶しています。

前に書いた『白痴』を読んだときもそうでしたし、それこそ森川義信の『あるるかんの死』を読んだときも、シルヴァスタインの『おおきな木』を読んだときもそうでした。

「泣ける」話って、結局浅いんだろうと思うんです。なぜ「浅い」と感じるかというと、答えが書かれてしまっているからだと思います。

映画にも文学にも答えはいらないんじゃないかなと僕は思うんですね。重たい問いかけがあればそれでいいんじゃないかなと。重たい問いかけを心に残してくれる作品が良いように思います。

僕がシルヴァスタインの『おおきな木』や『ぼくを探しに』をほんとうに好きなのは、そういうところです。『おおきな木』よりも『ぼくを探しに』の方が読んでいてちょっと泣きそうになってしまい、そしてそのぶんだけ『おおきな木』のほうが好きなのは、『ぼくを探しに』には答えが少し顔をのぞかせているからじゃないかな。

ところで。

だいぶ前にビール酒造組合の広告について書きましたが、最近また新しいのが出ていますね。阪急電車のドアのところに貼ってありますが、こんなのです。

10代の飲酒。

どんなに価値観が多様化しても

全員一致で×です。

前回はですね、「勧められたらきっぱり断ろう/自分はまだ未成年なんで」というのが全然きっぱり断ってないんじゃないかということで茶々を入れてみたわけですが、今回はべつに揚げ足をとるようなところはなさそうです。

さすがに、「なに、10代の飲酒? ということは10歳未満ならいいのか?」というのは屁理屈が過ぎるように思います。

というようなことを考えていて、ずっと昔にみた、『路』というトルコ映画の一場面を思い出しました。

ユルマズ・ギュネイという人が獄中から監督したとかいうことで話題になった作品です。

クルド人の政治犯が一時的に仮釈放されて自分の生まれ育った村に帰ってくるんですが、5歳か6歳くらいの男の子たちにタバコをお土産にあげるんですね。すると、その子たちがいそいそとそのタバコをふかしている、そんな場面でした。かわいくて笑ってしまうんですが、でもやはりちょっと暗然とした気持ちにもなる、印象的なシーンでした。

この映画もやはり重たい問いかけを残す、「沈黙系」の映画だったなあ、となつかしく思い出します。

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