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2010年10月12日 (火)

ウォンビン、ビール瓶

厳密に言うと、アクセントとイントネーションはちがうのでしょうが、要するに日本語の場合は音の強弱というより高低ですね。最近は高低がどんどんなくなっていくような傾向にあります。とくに、外来語が妙なことになっていて、たとえば「ネット」は「網」の意味のときと「インターネット」の意味のときではイントネーションがちがってきます。「ファイル」もパソコンの場合には、書類をまとめる文房具のときとはちがいます。こういうことばがニュースに出てきたら、NHKのアナウンサーはどう発音するように教えられているのでしょうか。きちんと区別しろと言われているのかなあ。

NHK大河ドラマや、「そのとき歴史は動かなかった…」なんかのナレーションで違和感を感じるのは「河内」のイントネーションです。「天正何年、信長は河内へ進攻した」なんて格調高いナレーションなんですが、「か」が高い発音が関西人には気色悪いです。強くは発音するのですが、高くはないんですね、われわれは。あの発音では、「信長どこへ行ったー?」と聞き返したくなります。

大阪が舞台のドラマで登場人物が大阪弁を使っているという場合に、大阪以外の土地出身の人のイントネーションはつらいですね。もちろん、これはどの土地を舞台にしたドラマでも同じことでしょう。逆に、たとえば鹿児島を舞台にしたドラマで鹿児島弁をパーフェクトにやられると、意味不明です。鹿児島はもともとわかりにくい方言だったのに、関ヶ原で負けて以来、幕府の密偵をすぐに見破るために、わざといっそうわかりにくいことばにしたという話もあるぐらいです。大河ドラマで西郷と大久保が会話するシーンをリアル薩摩弁でやると、ドイツ語にしか聞こえないような気がします。純粋津軽弁はフランス語にしか聞こえないらしいです。

実際、幕末の志士たちの会話はどうだったのでしょうね。教養のある武士なら、単語そのものは書物を通じて知っていたでしょうから、なんとかなったかもしれません。だいたい、方言の中には、もともと都で使われていた古いことばも多いようです。たとえば岡山など中国地方で使われる「きょーとい」ということばなど、「こわい」という意味らしいのですが、「気疎い」という古語から出たものです。博多などでは「大便をする」ことを「あぼまる」と言うそうで、この「まる」もいわゆる「おまる」の語源になった古語です。方言の代名詞のような「だべー」「だんべ」だって、「べ」は「べし」が「べい」になって変化していったものですからね。ですから、困るのは単語そのものより、おそらく発音つまり訛りへのとまどい、聞き取りにくさにあったのでしょう。「す」と「し」がごっちゃになるような地方の人は、「寿司」と「獅子」と「煤」は区別できるのでしょうが、他の地方の人が聞いたら、わけがわかりません。江戸っ子だって、「ひ」の発音ができずに「し」になってしまうし、大阪人はその反対に「ふとんを敷く」とは言わずに「ふとんひく」です。「質屋」は「ひちや」です。江戸っ子が「買っちゃった」と言うのに、大阪人は「買うてもた」です。

これ、いわゆるウ音便ですね。「買う」+「た」で「買いた」が、東京では「買った」、大阪では「買うた」になります。ということで方言あつかいされ、参考書などではウ音便が無視されています。ところが、「ありがたい」+「ございます」のような、格調高いことばを使おうと思った瞬間、「ありがたくございます」が「ありがとうございます」となって、ウ音便を使わざるを得ません。江戸のことばはここまで成熟していなかったのですね。敬語が使えないことばです。また、「買う」は「買わない・買います・買う・買うとき・買えば・買え・買おう」のように、ワ行で活用します。「会う」「言う」なども同じで、これらは「買った」のように、「っ」つまり、いわゆる促音便になります。ところが、「問う」は「問った」とは言いません。ウ音便を借りてきて「問うた」と言うしかないのです。大阪弁なら、すべてウ音便でいけます。こういうところからも、江戸のことばの「未開性」は明らかですな、はっは。やつらに言っておきましょう。韓流スターの名前のようなウオンビンをばかにすなーい。

そうそう、時代劇の安易な田舎弁もいやですね。「おら畑耕してただ」とか「こうなりゃ一揆するしかないべ」のような言い回しがどの地方を舞台にしていても聞かれます。これは方言というより「役割語」ですね。こういう言い方をすれば、「江戸時代の農民」を表す、というような働きをしています。「わしはのう、こう言ってやったんじゃ」になると「老人語」、「あら、私はそうは思わなくってよ」と来たら「女性語」。ただし、じつはこれらは小説の中のみにしか見られないという指摘もあります。たしかに、実際の現代女性の話し方は文字にしてしまえば、男性のことばとほとんど変わりません。逆に、だからこそ小説では「女性語」にしないと、だれの会話かわからなくなるのでしょう。ステレオタイプは便利です。昔は「ハウ、インディアンうそつかない」とか「××あるよ」とか安易に使っていました。そう言えば、宇宙人もなぜか、のどのところを軽くたたいて、声をふるわせながら「ワレワレハウチュウジンダ」と言います。きっと、一人でやってきても「ワレワレハ…」と言うのですね。

最近あまりテレビのドラマを見ないのですが、ドラマの電話シーンの相手のことばの反復、というのはまだやっているのでしょうか。刑事ドラマで電話を受けた刑事が、「えっ、××町3丁目6番地で、はたちぐらいの女の人が何者かに殺されたって?」と聞き返すやつです。現実には絶対にありえないやりとりですね。食事のシーンでも、昔は口にごはんを入れたまましゃべるということはありませんでしたが、最近はリアルにやっているのでしょうか。現実にはごはんつぶを飛ばしたりしながらしゃべって、怒られたりするのですが、そこまではやらないのかなあ。向田邦子のホームドラマはその点、けっこうリアルな部分がありました。たしか西城秀樹は親子げんかのシーンでほんとに骨折してしまったのではなかったかな……。

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