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2010年11月14日 (日)

プロはつらいよ

昔からそういうものがあることはあったのですが、最近のドラマは漫画が原作のものばかりのようです。ドラマにするだけの値打ちのあるものなら、漫画であろうと小説であろうと関係ありません。よいものはよい、悪いものは悪いということですから。ただ、最近の風潮は、人気のある漫画が原作なんだから視聴率がとれるだろうという安易な発想に立ったものが多いような気がします。中には、漫画特有のキャラクターの表情やリアクションをそのまま人間に演じさせるという、ばかばかしいものもよく見ます。この安易さはなんかかなしいなあ。少し前のNHKの朝ドラマでも、漫画原作ではなかったようですが、漫画的シチュエーションで某女優が漫画的演技をさせられていました。

この安易さは何でしょう。「一億総子ども化」のせいでしょうか? とくにテレビの世界の幼児化現象はひどすぎます。スタジオの観客に声をそろえて受け答えさせるタモリなどは、おそらく確信犯でしょうが、それに乗せられて、うれしそうに声をそろえている人は幼児そのものです。紹介されたスイーツをゲストが食べるときの、「おいしそうー」とか言う、ほんとにスタジオにいるのかわからない人たちのさまざまな声も同様です。こういった手法は、むかしからテレビ局の手法として使われていたのですが、最近は制作サイドにいる人たち自身、同じレベルに下がってきているようです。大げさな擬音の挿入や画面にスーパーを入れるのは、視聴者を子供あつかいすることで、それをわかっていながらわざとやっていたのでしよう。でも、今はそういう意識もなく、そうすることが当然だと思っているようです。スタッフの笑い声を入れるというやり口も、最初は効果的だったのですが、今では単なる間抜けです。全然おもしろくない場面でスタッフだけが笑っているのですから。

ドラマの場合は、仕事として割り切ってはいるのでしょうが、きちんとした俳優がかわいそうです。そういえば一時期はやったケータイ小説というのはどうなったのでしょう。「泣かせる」小説・ドラマのブームはまだ消えてはいないのでしょうか。「はやっているから」ということで安易に書かれたものは、やはりすぐにすたれるのでしょうか。「(笑)」なんて表現のはいった小説は、こまったものです。座談などではありですが、第三者の記録でもなく、ほんとに笑っているわけでもない、むしろ「笑いの強要」としか思えません。「そんな安易な手段にたよるな、プロが」と思います。死んでしまいましたが、ある女性作家のエッセイで「(笑)」というのを見たとき、やっぱりと思いました。デビューのときから時代に迎合することのうまい人で、いかにもそういうことをしそうな人でした。擬声語・擬態語にたよるような小説も多そうです。プロなら、安易な表現にたよらず、工夫してほしいなと思います。笑福亭鶴瓶のしゃべりも擬声語・擬態語ばっかりですが、これは許す。芸にまでなっていたら、むしろ評価すべきかもしれません。

話をもとにもどすと、とにかく漫画の影響おそるべし、です。ただ、最近の漫画はキャラの区別のつかないものがあります。これもかなしいなあ。髪の毛の色がグリーンや紫なので区別できるのですが、顔は同じです。たしかに顔を線で表現するのは難しいのですが、たとえば山藤章二の似顔絵なんて、線だけでもモデルの人間の特徴を見事につかんでいます。顔文字でも、「顔」に見えるだから、プロだったら、もう少しなんとかせえよ、と思います。昔は「へのへのもへの」「へのへのもへじ」なんてのもありました。最近の子どもはあまり知らないようです。「つるにはまるまるむし」も知らないようだし、ましてや広東料理の「ハマムラ」なんて知るよしもありません。逆三角形状に打った点三つでも、よくよく見ていると顔に見えてきます。

三次元を二次元で表すプロの技というのは、すごいものだったのですが…。何にせよ、本来プロというのはすごいものです。法隆寺の修理の話など、感動します。昔の図面通りに地上で組み立てると、五重塔の屋根の釣り合いがとれないので、妙だなと思いながらも、その通り造ってみて、空高く上げると、屋根自体の重みで、バランスがぴたっと決まったといいます。そこまで計算して図面をかいているんですね。見るからにヤンキー風の金髪のにいちゃんたちが、釘の種類をたちどころに見分けて、「N釘よりNCにして、ツーバイに合わせて……」なんて、専門用語を交えて話しているのを聞くと、思わず尊敬してしまいます。あまりお会いしたくもないし、ふだん接する「チャンス」がないのが残念ですが、プロの掏摸(すり)や詐欺師もきっとすごいんだろうな。

バナナのたたき売りなんて、昔はけっこういましたが、考えてみれば、道ばたで通りすがりの人をつかまえてバナナを売ってしまうのだから、たいしたものです。へびを使って薬を売るおじさんを子供の頃見ましたが、この人はうまいなあと思いました。いきなり地面に棒で大きく○をえがき、こちらを見るともなく見ながら、「この中にはいったらあかんで、へびにかまれるでー」とつぶやいた瞬間、われわれ子供は○の周りに並んでいました。だんだん人が集まってくると、片隅に積んである箱らしきもの(風呂敷がかけられてあって中身が見えない)を見ながら、「この中には猛毒を持った大蛇がはいってる。あとで見せる」と言うものだから、子供はますます離れられなくなる。ところが、このおっさん、毒のない、しょーもない蛇をとり出して、なんやかんや言うのですが、なかなかその毒蛇を見せてくれません。そのうち、飽きてきた大人が立ち去りかけようとすると、「動くな、この中に掏摸がおる。今動いたやつが犯人や」と言うので、誰も動けなくなる。そうこうするうちに、結局おっさんはなんかわけのわからない薬を取り出してきて、それを売りつけるのです。で、最後まで「大蛇」は見せてもらえずでした。でも、みんな満足そうに薬を買って帰るのです。得体のしれない薬がほんとうに欲しかったとは思えません。今思えば、あれはおもしろい話芸に対する木戸銭だったのですね。昔はプロがいたのに、今は「一億総しろうと時代」でしょうか。

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