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2011年5月 3日 (火)

バイトの日々④

さて、大学時代およびプータロー時代に私が体験した二十種類ものアルバイトの日々についてしみじみと語るシリーズの最終回です。

最も長く私が勤めたバイト先、それは、「官報販売所」です。

みなさんは「官報」をご存じでしょうか。

官報とは、

『法律、政令、条約等の公布をはじめとして、国の機関としての諸報告や資料を公表する「国の広報紙」「国民の公告紙」としての使命を持っています。さらに、法令の規定に基づく各種の公告を掲載するなど、国が発行する機関紙として極めて重要な役割を果たしています。』(国立印刷局HPより)

てな感じのものです。

その販売所で官報をはじめとする政府刊行物その他の配達業務に携わっておりました。昔ながらの頑丈な業務用自転車をこいで仙台市内を走り回っていたわけです。雨の日がつらかったなあ。雪が積もったときも大変だったけど。

官報自体は、私なんかが読んでも正直まったくおもしろいものではありませんでした。それでも、若干不謹慎ではありますが、「行旅死亡人」の欄にはよく目を通していました。「行旅死亡人」というのは、要するに行き倒れの方のことで、官報に公告として掲載されるのです。なんとなくその欄から目が離せず、しんみりした気持ちで読んでいました。前にも少し書きましたが、いつか自分も・・・・・・という気持ちが心の底にあったからでしょう。いつもしんみりしていたわけではなく、都下八王子で亡くなった女性の方について「自称;おく・たまこ」と書かれていたのに吹き出したりしたこともありましたが・・・・・・。

たぶん、ほんとうに怖かったんだと思います。他人ごととは思えなくて。怖いと目が離せなくなるタイプなんですね。たとえば、新聞にひどく残虐な事件の記事が掲載されていたりしますよね。それがツボにはまってしまうときがあるんです。そうすると、もう調べずにはいられなくなります。いったい何でこんな事件が起きちゃったんだ、どういう動機なんだ、とか。でも、興味がわいたという感じではなくて、怖くてしかたがないから知らずにはいられないという感じです。未知が恐怖の源なんだから、未知の部分を減らさなきゃ耐えられん、そんな気持ちです。もちろん、調べるといっても新聞に載っている以上のことはわからないわけですが、ずっと心の片隅に残っていて、何年かしてからその事件のルポなんかが出たときについ買って読んでしまったりします。あの横溝正史の『八つ墓村』のモデルになった事件なんかいくつも関連書籍を読みました。

これは、怖い物好きとはちがいます。怖いものはキライです。お化け屋敷もホラー映画も大嫌いですから、絶対に入らないし見ません。

だから、そういった事件についての文章を読んでいても楽しくもなんともありませんし、ましてやカタルシスなんて少しも得られず、いつも後味の悪い思いしかしません。でも、調べずにはいられないんですね。怖いから。

◇◆

さて、話がそれましたが、バイトの話です。僕が勤めていたころの販売所は居心地がよかったです。よく遅刻しましたが、なんとなく「しかたないなあ、西川くんは」みたいな雰囲気で許してもらえて。

所長さんがもう八十近かったんじゃないかと思うんですが、矍鑠とした方で、時間のあるときにいろいろお話を聞かせていただくのが楽しかったです。

「ぼくはね、結核のおかげで命拾いしたんだよ」

「結核になったせいで徴兵を免れてね、でも結核で死ぬ前に戦争が終わってマイシンが入ってきたからね」

なんて話をきくとすごく新鮮でした。歯が痛くて苦しんでいると、

「西川くん、そういうときは塩をつめるといいんだ、塩は万能だ」

と言われ、口の中に大量の塩を詰め込む羽目に。じんじんしてつらかったなあ。

「どうだ、痛くなくなってきただろう」

「あの、しょっぱくて麻痺してきました」

昔から、お年寄りの話をきくのが好きなんです。僕の伯父が関東軍の将校だったんですが、この伯父さんの話もおもしろかったですねぇ。ノモンハンの話とかね。

「だってさ、とんでくるの向こうの弾ばっかりなんだもん、勝てるわけないっての」

なんて、飄々と言ってました。

「部下を動かすにはね、まず自分が動かなきゃだめなんだ」

なんていう立派なことも言ってましたねえ。

「たとえばさ、遮蔽物から遮蔽物まで移動するとするだろ。そのときに、部下に『お前たち行け』って言ったって、だれも行けないよ、みんな怖いんだから。だから、そういうときは、まず自分が行くんだ。自分が行ってから、『よし来い』って言うと、みんな来るんだよ」

一緒に話を聞いていた僕の兄はいたく感心していましたが、

「それにさ、先に行った方が実は弾にあたらないんだ。俺の姿を見てはじめて敵は人が出てくることに気づくからさ。」

というオチをしれっとした顔でつけてくれましたっけ。

◇◆

所長さんちは、あの『荒城の月』の詩をつくった高名な土井晩翠の親戚だということでした。地元の名家だったんですね。

結局仙台を去るまで、この官報販売所にお世話になりました。

ご存命ならもう100歳近いと思いますが、所長さん、奥さん、ありがとうございました。

◇◆◇◆◇◆

緊急予告!

いよいよ新シリーズスタート!

にしかわが仙台で過ごした7年半の青春の日々について、そのどうでもよい些末な部分についてだけ熱く語る!

夢も希望もなく、ただただ貧乏だった日々!

汗も涙も流すことなく、ただただ低血糖だった日々!

第1回『養鶏場かと思ったら寮だった(仮)』の巻

乞うご期待!

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