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2011年6月 1日 (水)

ソコソコ

西川先生は「徹底」ということばが大好きであると以前のたまわっておりました。

その言動をつぶさに見ていて、うなずける面も多いわけです。

山登りにしても、映画にしても、音楽にしても、その徹底精神はいかんなく発揮されているようです。

その反面(対比の目印というやつですね。今ベーシックで教えているところ)、私は。

たとえば、映画が趣味とは言うものの、

アラン・タネールなんて通なカントクの名前など知りませぬし、

そもそも「ハリウッド」「ロードショー」「ハッピーエンド」の三つが基準ですから、

「映画通」だなんてとんでもなく、単にちょっと映画が好きなおっさんです。

他にも、将棋が趣味とこのブログの紹介にも書いているくせに、

せいぜい自称アマ初段の腕前。

ケータイのアプリの将棋ゲームを電車内でやっていたり、NHKの将棋トーナメントを毎週録画してほほーっとなっている程度。

「徹底」にはほど遠いわけです。

私は「美術の先生」になるべく、教員養成系の大学に進んだ訳ですが、

肝腎の作品制作はほとんどせず、大学に行ってはトランペットを吹いていて、

すっかり音楽科の学生だと思われていたようなのです。

しかも、学生時代から「塾の先生」でもあったので、スーツを着て大学に通い、

いつも「こいつは何者じゃ」のような顔で見られていました。

「大学に入ったら、古いジーパンとTシャツを着て油絵の具と木炭にまみれ、

食パンの耳をみちみちとかじっているかっこいい貧乏学生になるのじゃ」

という夢も、その夢にぴったりすぎる汚い大学の校舎をみてすっかり萎えてしまいました。

貧乏な暮らしも経験したのですが、西川先生のような「赤貧」を経験したでもなし。

バイトも結構いろいろやったんですが、人に聞かせるエピソードもなし。

幅広く器用だがそれまで。

「徹底」の二字は私にはないのであろうか。

……とここまで書いてみて、実はそんな生ぬるい自分が大好きであることに気づきました。

深淵を覗くのがこわいんですね。何かを究めようとすると、とてつもない苦労が待っているような気がして。

「徹底して」、幅広い「そこそこ」を目指すぞう!

オチもそこそこでした。

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