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2011年8月 4日 (木)

鉢巻きの色は青

機械的に暗記しようとしてもなかなかうまくいかないので、語呂合わせにたよることになります。ただ、語呂合わせでも意味の上でもなるほどと思えるようなものは忘れにくいようです。「なくようぐいす平安京」「いいくにつくろう鎌倉幕府」、「いごはなみだの室町幕府」はなんとなく納得ですが、「奈良の納豆」はイマイチです。本能寺の変の「いちごパンツ」ぐらいになればインパクトがあるので悪くはありませんが。

英単語でも、「集中する」という意味の「concentrate」が、「con」が「ともに」の意味であり「ate」が動詞化する働きをもち、まん中が「center」であることがわかれば、「センターに集める」つまり「集中する」であることが納得できます。こざとへんは「阜」がもとになっています。中国の周のホームグラウンドである「岐山」から借りてきて信長が「岐阜」と名付けたのですから、「阜」の意味は「山」です。そこで、こざとへんの字は土のもりあがったところを表し、一方おおざとは「邑」の変形で、これは「むら」ですから、人の集まるところを表します。さんずいは「水」ですが、にすいは「氷」で、「冬」や「寒」の下の部分はもともとにすいでした。そういったことをしっかり納得して覚えれば二度と忘れることはありません。

とはいうものの、世の中には物覚えの悪い人もいるようで、落語の「くっしゃみ講釈」は、胡椒を買いに行くのに「のぞきからくり」をやる話です。どこに何を買いに行けばよいか、どうしても覚えられないので、「のぞきからくり」の「八百屋お七」を思い出せ、と言われるのですが、さあ、いまどきの人は「のぞきからくり」も「八百屋お七」も知らんのでしょうなあ。こんなことを言うと、おまえは何時代の人間やと言われそうですが……。のぞきからくりというのは、レンズのついた穴があいている箱です。それをのぞくと中に錦絵を描いた板がつってあり、節をつけた語りにあわせて引き上げたり降ろしたりして場面をかえながら物語っていくという、古くさーい見世物です。八百屋お七は、江戸時代の大きな八百屋の箱入り娘で、江戸の町が大火事になったときに避難した駒込吉祥寺の小姓に一目惚れします。再会するためにはまた火事にならねばならないと思い込み、放火して捕らえられ火あぶりにされました。井原西鶴の「好色五人女」にも描かれています。……ということで、お七の相手は寺の小姓ですから、「胡椒」を思い出す手がかりになるのですが、結局思い出せず、八百屋の店先でのぞきからくりの語りをえんえん繰り広げることになります。「小伝馬町より引き出され、ホェー、先には制札紙のぼり、ホェー、同心与力を供に連れ……てなもん、おくれ」「そんなもん、おまへんわ。」「ホェー」「またかいな、この人」「はだか馬にと乗せられて、ホェー、白い襟にて顔隠す、ホェー、見る影姿が人形町の、きょうで命が尾張町……てなもん、ちょっとおくれんか」と、さんざんやって「売り切れ」と言われるんですね。八百屋のおっさんに「あんた今時のお方やおまへんな」と言われます。帰ると、「八百屋のおっさんわろてたやろ」と言われ、「ほめてたで、あんた今時のお方やおまへんやろ言うてた」という、ばかばかしい話で、このあたりは是非とも桂枝雀で聞いてください。

ところで、八百屋お七はそのあとの裁判で、奉行が命だけは助けてやろうと考えます。十五歳以下なら罪が減じられるので、「おまえは十五歳だな」と言い含めるように言うのですが、お七は「いいえ、私は丙午年生まれの十六歳」と言ってしまうのですね。では、なぜお七は丙午でなければならないのか、そしてなぜ丙午はよくないとされるのでしょうか。前にも書いたような気もしますが、十二支を右回りの円に配分してみるとわかります。子を上に午を下になるように書いて、これに東西南北をあてはめます。北を子、南を午とすれば、北と南をつないだ線を子午線と言う理由がわかります。さて、この東西南北にはさらにいろいろなものがあてはめられます。東には春・青・竜、南には夏・赤・おおとり(朱雀)……というように。まん中には無理矢理黄色をあてはめます。これに宇宙を構成する五つの要素、木・火・土・金・水を強引にあてはめると、まん中を土にして、北は水、南は火ということになりました。つまり、午は火なのですね。「丙」は「火の兄」つまり「火」のプラス(陽)ですから、丙午は火が重なることになります。そこで、この年生まれの人は激しい気性の持ち主ということになり、とくに女の人は男を食い殺すとまで言われたのでした。お七は放火犯でもあり、まさに丙午の代表とされたわけですが、そんなの迷信だろうと思いきや、昭和四十一年の出生率が低かったのは、その年が丙午だったからです。

ところで、南の午を頂点として、寅・戌を結ぶ三角形を火へ向かうグループと見ると、その逆は、北の子を頂点とした辰・申とのトライアングルになります。辰は水神ですから、水の神様でありながら、ねずみのような顔をして、猿のような姿をしたものがこのトライアングルから浮かび上がります。そう、河童です。なんと十二支に河童が隠れていたんですね。こいつは当然、水のグループということになります。川辺に水を飲みに来た馬が小さな河童が引きずり込まれるのはそのためです。なぜなら馬は火であり、河童は水でしょ。水は火に勝つじゃないですか。消すことができるんですから。同じように、水に勝つのが土で、土に勝つのが木で、木に勝つのが金で、金に勝つのが火ですね。また、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生むとも言われます。たとえば、漢帝国をつくった劉邦は赤龍の子と呼ばれていたので、赤にあたる「火」から漢は「火の徳」の王朝とされました。やがて漢が衰えたころ、黄巾賊というのが出てきました。火は土を生むのですから、漢王朝の次の時代を支配する者は、土に相当する「黄」が目印になるはずです。だから黄色い布を頭に巻いたのだ、……という説があります。希の塾生が青い鉢巻きをするのにも、何か意味があるのかなあ。

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