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2011年9月13日 (火)

コロンの卵

外国の小説の中でアルカード(Alucard)と名乗る人物が現れたら、その正体はまちがいなく吸血鬼です。ドラキュラのさかさことばですね。「吸血鬼文学」ということばがあるぐらい、吸血鬼というのは小説のテーマとしては魅力的なようで、多くの人が手がけています。スティーブン・キングの『呪われた町』なんて、そんな古典的なテーマを扱いながらも、古くささを感じさせない、いわゆるモダンホラーでした。まあ、「ホラー」と言っても、べつにこわくはないんですがね。だいたい、ホラーというのは何がこわいのでしょうか。

とくに外国物は、恐怖はほぼゼロですね。『エクソシスト』や『オーメン』なんて、むしろワクワクする楽しさでしょう。『オーメン』が文庫で復刊したときの値段がなんと666円でした。出版社のほうだって、そんなおちゃらけたことをやっているぐらいです。細かいストーリーは忘れましたが、たしかジャッカルが生んだ子とかいう設定ではなかったかなあ。荼枳尼天ですね。『リング』のテレビ化もひどかった。ビデオを見たら死ぬというのが、小説を読んでいない人たちの間で広まって都市伝説にもなったぐらいですが、文章の形ならまだしも映像になったらダメですね。テレビの画面から出てくるところは想像すればこわいだろうなとは思いますが、人間が演じて現実にやってしまえば滑稽ささえ出てきます。

やはり想像力、イメージの力というのはすごいものがあります。イメージで思い出しました。6年で「漢字の征服」というイベントをやっているのですが、ある生徒が質問しました。「合格点は96点? 前と同じですか」「なんや、君だけ98にしてほしいということか」「(あわてて)いえいえ、そういうわけでは」「じゃあ、君だけ特別に合格点を決めよう。君の合格点は、君のとった点数プラス2点、いうのはどうや」「えー、それ、にんじんを前にぶらさげた馬やんか」このやりとりで、この馬のイメージを瞬間的に思い浮かべられる人は国語力が相当あります。Nくん、君のことだよ、ハッハッハッ。

話をもどすと、三遊亭円朝が「天井から血がタラタラッ」と言った瞬間、話を聞いている人たちが一斉に寄席の天井を見上げたとか、畳の席に座っていた客が満杯だったのに、話が進むにつれて、四隅があきだしたとか。あとのほうはもちろん、こわさのあまりみんなが身を寄せ合いはじめたんですね。怪談は見るよりも聞く方が圧倒的にこわいようです。稲川淳二が人気のあるゆえんです。ミロのヴィーナスの美の理由も想像力だそうです。手が発見されていない形だからこそ見る人が想像で補い、そこに美が生まれるのだと。最初から手があれば100点なのかもしれないが、ないことによって120にも150にもなるということだそうです。このへんの考えは吉田兼好も言っています。教科書にもよくとられている部分です。「月はくまなきをのみ見るものかは」というやつです。満月でなくても心の中でえがく美しさがあるし、雨であっても雲の向こうの月を想像する美しさがあるというのです。花も同じで、咲く前、散ったあとにも見どころがあると言っています。

『徒然草』にはデジャブの記事もありますね。「今見ている情景、こんなん、たしかにあったよなー、と思うのは私だけでしょうか」と言っています。でもデジャブが起こるのは、脳の調子が悪いときらしい。脳は、今見ている情景を自動的にカードに記録して、とりあえず脳内のキャビネットや机の引き出しに入れるそうです。それを睡眠中に短期・中期・長期記憶のどれかに分類して必要に応じて取り出したり、「ごみ箱」に入れたりすることになっているようですね。ところが、たまにカードを入れた引き出しを思い切り強く閉めると勢いではね返って、引き出しがもう一度出てくるときがある。そうすると、脳が錯覚を起こして、「あれっ、今見ているこの情景、引き出しから取り出した過去の記憶カードに書いているぞ」ということになってしまいます。これがデジャブだとか。ということは、「おれはデジャブ、よくある」と自慢している人は頭が弱くなっているのを自慢しているということですね。

何度も書いているような気もしますが、最近のドラマや映画もデジャブかと思うぐらい同じようなものばかりですな。泣かせるために主人公を白血病にしてしまうのは、大昔の少女マンガでよく使われる手でした。もういいかげん飽きて、さすがにこんな安易な手を使う人がいなくなったころ、「セカチュー」というのが出ました。もうそのころには、これが安易な手であることを知らない人が増えてきていたのですね。入試でよく出題され、手アカがついたような文章があります。安岡章太郎の『宿題』とか、最近ではあさのあつこや重松清の作品とか。どの問題集にものっているので、またか、と思うのですが、さすがに何年かたって改訂されると、そういうものが消えていきます。みんなの見る機会が減ったころ、思い出したようにまた出題されるのですね。「セカチュー」はタイトルからして、「なにそれ」と思いました。『世界の中心で愛を叫んだけもの』という作品名をそのまま使っています。この作品名をパロディとして「エヴァンゲリオン」がパクったものをパクったのでしょうか。ひょっとして、そういう先行作品があることを知らなかった? あえて「デジャブ」をねらったのなら、それはそれで評価できます。

「タイムスリップもの」もそろそろいいかげんにしてほしいなあと思いますが、もはや「時代劇」「推理もの」「タイムスリップもの」というようなジャンルになってしまっているのかもしれません。『仁』にしたって、設定は安易でした。『戦国自衛隊』も安易でしたが、ばかばかしくておもしろかったなあ。自衛隊が戦国時代にタイムスリップして上杉謙信を助けるという発想が、そのころは魅力的でした。半村良はなかなかでしたね。この人が「タイムスリップもの」を始めたわけではないでしょうが、初期のころは新鮮でした。コロンブスの卵ですね。でも、卵は底を割らなくても、そっと立てると立ってしまうとか…。コロンブスはスペイン読みでは「コロン」という発音になるというのもおもしろい。

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