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2011年12月10日 (土)

さんぞくのわらじ

問いかけの意味が明らかなようでありながら、いくつかの解釈ができてしまうことがあります。「希学園では何人の子どもが勉強しているのですか」と聞かれたら「希学園には何人在籍しているのか」の意味ですが、「そうですね。だいたい5%くらいかな」という「まぬけ」な答えが出てくるかもしれません。問いのどこに重点があるかの解釈のちがいですね。「希学園には何人」に重点があると解釈すれば在籍者数を答えるでしょうが、「何人が勉強」に重点があると解釈すれば、真剣に勉強している人の数になります。

これを応用すると、「ナポレオンは赤いズボンつりをしていた。なぜか」という問いになります。「赤い」ということばがあると、それにミスリードされて、なぜ「赤」なのだろうと考えてしまいますが、答えは「ズボンがずれないようにするため」というもので、「赤」にはたいして意味がないのですね。国語で問題を作るときにも、こういうことが起こります。「ズボンがずれないようにするため」を模範解答にしているのに、「ナポレオンは赤い色が好きだったから」という答えを書く人が出てきて、採点するときに困ることがあります。まあ、ほとんどの場合は文脈からそういう答えは認められないということになるのですが、たまには別解として認めなければならない場合も出てきます。

六年生の女の子が質問として持ってきた問題で、「『チョメチョメ(  )』の(  )に適当なことばを入れて、言い回しを完成させなさい」というものがありました。答えは(  )の中にはいる「ペケペケ」ということばだけになっているのですが、その子は「チョメチョメペケペケ」と答えているのですね。解答欄に書くことばとしてはちがってくるので×なのでしょうか。問いは「言い回しを完成させなさい」なので、その子は完成したことばを書いたのです。これなどは、問い方があまいのであって、×にすることはできませんね。

「なぜ」「どうして」という問いも困ったものです。原因・理由だけでなく目的を答えてもよい場合があるのですね。「君はどうして学校へ行くの」は「行かないと叱られるから」「立派な人間になるため」のどちらもありです。原因・理由にしたって、「義務教育だから」「友だちと遊ぶのが楽しいから」「給食が食べられるから」など、何を基準とするかによって、いろいろ出てきます。中には「歩いて」という答えもあります。この答えを防ぐには「どうして」ではなく「なぜ」と言っておけばよいのですが。それでも「学校が来てくれないから」というすごい答えもあります。

「どうして交通事故が起こったのですか」「車が発明されたからです」という、「ごもっとも」という答えを書かれたら、採点者も困ります。「どうして車が発明されたのですか」「人類が文明をつくったからです」「どうして人類は文明をつくったのですか」「人類が猿から進化したからです」「どうして…」とさかのぼるうちに、「宇宙が誕生したから」というところまでさかのぼれるのですね。ということは、国語のどんな問題でも、根本的原因は「宇宙の誕生」ということになります。「どうして、主人公はこんな気持ちになったのですか」「宇宙が誕生したから」…。哲学的ですな。「そうでなければ」でごまかす手もあります。あたりまえすぎて答えにくいような問いの場合には有効です。「どうして人は食べるのですか」「食べなければ死んでしまうから」というパターンです。これも、だんだんめんどくさくなると、ひどい答えも出てきます。「おかあちゃん、なんで夏は暑いの」「うるさいな、この子は。寒かったら冬とまちがえるがな」…大阪のおかあちゃん、おそるべしです。

とにかく二通りに解釈されないようにするというのは、意外に難しいようです。読売テレビのアナウンサーに道浦俊彦という人がいて、この人のことばの感覚はすばらしいなと感心させられることが多いのですが、ブログでこんなことを書いておられました。ある直木賞作家の文章です。「平太が会社を出たのは、ちょうど六時四十五分だ。代々木駅まで歩き、四ツ谷で中央線に乗り換えた平太が新幹線のホームに辿り着いたのは、七時二十分前。」という文を引用して、ここの「七時二十分前」がいつを意味しているか、ということをとりあげているのですが、おわかりでしょうか。私などは、「六時四十分」以外考えられないのですが、最近の若い人はどうなのでしょうか(「近ごろの若い者は…」の口調になってしまったのがかなしい)。これ、実は「七時十八分頃」の意味らしいのですね。というのは、出発した時刻が「六時四十五分」ですから、「六時四十分」ということはありません。つまり、「七時になる二十分前」ではなく、「七時二十分の前」ということで、「七時十八分頃」を表しているのです。道浦さんは「私より少し若いぐらいの年齢の直木賞作家がこの使い方をするのだなと思って、ちょっとビックリしました」と書いておられましたが、たしかにまぎらわしい言い方です。

ちなみに、同じブログに、学園長のことを取り上げた新聞記事について触れている文章があります。記事には、「黒田耕平さん(36)は講師250人を率いる『運営責任者』であり、週4日は算数の授業を受け持つ『看板講師』でもある」として、「有名塾のトップとして経営実務をこなし、看板教師として授業や数多くの講演に立つ。多忙な二足のわらじも『子どもをぐいぐい引っ張るのはパワーがいる。30代の今だから、まだできる』と意に介さない。」と書いてあります。道浦さんが取り上げているのは「二足のわらじ」ということばの使い方です。「運営責任者」と「看板講師」で「二足のわらじ」と表現するのは、私の語感でもなんだかなあという気がします。「塾の運営責任者」で「漫才師」とか、「看板講師」で「占い師(さあー、手相はいかがでしょーか)」というのであればともかく、「プレイングマネージャー」は「二足のわらじ」ではないでしょう。「塾の運営責任者」でありながら、山の中で追いはぎをするのなら「さんぞくのわらじ」ですが。あちゃー、駄洒落で終わってもた。

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