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2012年3月17日 (土)

AYKYT

比喩表現というのは、案外難しいものです。何をたとえているのか読み取るために、二つのものの共通点を見つけなければならないのですが、どこに注目するかが難しい。女の子の目をうさぎにたとえていれば、ふつうはかわいい目のことですが、酔っ払いのおっさんなら充血している目です。つまり、その比喩が使われている場面や文脈から判断しなければいけません。そういう力が国語力でしょう。

よく「行間を読む」と言いますが、これも同じことでしょうね。「行間を読む」と言っても、行の間に経文がびっしり書いてあるわけではありません。省かれたことばや文を前後の状況から判断して補っていく力です。「昨日、おじいちゃんがボケ防止の本を買ってきた。今日も買ってきた。」という二文の組み合わせはほとんどの人が読み取れるでしょう。もちろん、このレベルでもわからないという生徒がいます。「遊びに行こうよ」「風邪ひいてるねん」という会話の意味がわからない子もいます。小学生の息子が部屋に飛び込んでくるなり母親に、「ねえ、お母さん。あの高い花ビン、ぼくが割るんじゃないかっていつもハラハラしてたよね」「ええ。それがどうしたの?」「もうハラハラしなくていいよ」というようなアメリカンジョークはたいしておもしろくありませんが、やはり意味がわからない人もいるのでしょう。

「飛脚の近道」という話があります。飛脚がはやく目的地に着くため、「近道、近道」と言いながら、近道を見つけて少しでも時間を短縮しようと走っていたのですが、どうしてもトイレに行きたくなります。時間がもったいないので、しゃがみながら腹ごしらえをしようと握り飯を取り出したところ、つかみそこねてトイレの中にこんころり。「あっ、近道しよった!」こういう行間が読める人は語るに足る我が良き友です。

「暑くないですか」と言われて、それが窓を開けてほしいという要求であることがわからなかったり、「考えておきます」が断られているのだということに気づかなかったりすると、社会人としては失格ですが、お世辞や社交辞令が見ぬけない人もいるようです。「政治家のことば」は「うそ」と同義語だという辛辣な意見もありますが、だまされたと言ってあとで腹を立てるよりもはじめから見ぬければそれにこしたことはありません。とは言うものの、相手の真意を見ぬくのは難しいようです。深読みしすぎると失敗してしまいます。言葉ではありませんが、剣の試合などで勝手に先読みするコントが昔はよくありました。相手がこう来ると考えて、ではそれに対して自分はこうしよう、そうすると相手はこうするはずだから…と考えて結局勝負をする前に「参った」と言ってしまうとか、相手が刀を忘れてきたのに、命をかけた勝負にそんなことをするわけはない、きっと何かおそろしい秘策があるにちがいないと考えてパニックになるとか……。徒然草にも、同じような話があります。田舎の神社の獅子と狛犬が後ろを向いて背中合わせに立っていたので、ある坊さんが感動して、「なんてすばらしいんだ。この立ち方は尋常ではない。深いいわれがあるはずだ」と感涙にむせび、連れの人たちに「あんたらは、これを見て感動しないのか。おろかものめ」と言っていたところ、神主が、「ああ、これね。近所の悪ガキのいたずらですわ。困ったガキです」と言いながら、もとの向きに戻して立ち去った……、という、ありがたいお話です。このあと、いっしょに都に帰る道中のふんいきが想像できて、実に心あたたまる感じがしますな。

俳句や川柳では、ある程度の深読みを要求するのですが、 「田一枚植えて立ち去る柳かな」を「田植えを終えた柳くんが立ち去っていった」と解釈してはだめです。かつて甲陽の入試で出た「受験前神や仏に□をつけ」という川柳の□にはいる漢字一字がわからない子がいるのは当然でしょうが、「様」がはいるのだと知ってからも意味がわからないのはかなしいかぎりです。「宿貸せと刀投げ出す吹雪かな」という蕪村の句は、吹雪に往生した旅の者が、宿を貸してくれと言うか言わないうちに刀を投げ出した、という情景ですが、いくらでも「深読み」できます。刀を投げ出すということはほかに荷物がないわけで、刀しか持っていないことになります。つまり、旅人は何も持たないような侍、吹雪の中をうろうろするからには何かわけありの浪人というイメージでしょう。「宿貸せ」と言っても、宿屋ではなく、山の中の一軒家です。夜になるとともに、雪はいっそう激しく降りつのる。家の者たちは何か起こりそうな不安を感じていたかもしれません。老夫婦ですね。戸はかたく閉ざしていますが、いきなり激しく叩かれる。二人は顔を見合わせながらも、やむをえず戸を開けます。舞い散る雪とともに一人の浪人が転がるようにはいってくる。着物は雪にまみれ、全身ぐっしょりと濡れています。精根尽き果てたように、「今晩泊めてくれ」と言うや返事も待たず、腰の刀を抜き取って、土間の片隅か上がり框へ投げ捨てる。浪人はなぜこんなところにやってきたのか。刀をクローズアップした表現は当然刀のイメージを広げます。誰かを切って追われているのかもしれません。この句自体が小説的であり、浪人の背後にも一つの物語があります。

もちろん「九マイルは遠すぎる」という断片的なことばからとんでもない事件の存在を推理できるかというと、実際には無理でしょうし、ホームズの推理もこじつけっぽいことが多いので、「ワトソンくん、君は今日赤いパンツをはいてるね」「どうしてわかるんですか」「君は今日ズボンをはいてないのさ」というジョークが生まれて、こじつけ推理を揶揄するのでしょう。それでも、状況からある程度のことを読み取ることは必要なことです。「空気を読む」というのも同じでしょうが、「KY」というまぬけな略語がありました。「Y」が「読める」の意味なら納得ですが、「読めない」のなら、せめて「KYN」と言うべきです。だいたい日本語をアルファベットの略語で表すこと自体まぬけな証拠です。こんなことばを使うやつは「AYKYT」です。もちろん、「頭が良くないので、こんなやつとはつきあいたくない」という意味であることは一目瞭然ですね。

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