« 読書の話~頭がすっきりする本② | メイン | 山の数え方 »

2012年5月23日 (水)

リオデジャネイロは東京弁

「めちゃめちゃ」「むちゃくちゃ」の省略形の「めっちゃ」や「むっちゃ」は元の形がわかりますが、「むっさ」となると、瞬間、ン?と思います。ましてや「ごっさ」となると、なにそれ?と思ってしまいます。これは、さすがに定着せずに消えたような……。「ばり」というような「新方言」もありますが、これは何でしょうね。「ばりばり仕事をこなす」のように元気で勢いよく活動する様子ではなく、「非常に」の意味で使っているようです。最初のころは「ばりばりむずかしい」のような言い方をしていたのが、「ばりむずかしい」「ばりむずい」というように、どんどん短くなっていきました。ヤンキー系のことばのような気もするし……。「バリバリ伝説」は全然関係がないのかなあ。

「新方言」の一つの特徴は、省略形が多いことでしょう。「気色悪い」が「きしょい」、「むずかしい」が「むずい」になるように。まだ使う人は少ないようですが、「はずい」というのを聞くことがあります。「はずかしい」の省略形なので、「むずい」と同じで、特に問題はないようですが、「はずい」と言っているのを聞くと、なにか「はずい」ような気がします。「鬼~」や「ブルー入ってる」のように、いかにも若者が作りましたということばは聞いているほうも相当「はずい」し、すぐに消えてしまいましたが、「はずい」の作成法は「オーソドックス」なのに、なんか妙な感じがします。「気色悪い」は六音なので省略したくなりそうですが、何音なら略すのでしょうか。「むずい」はもともと五音です。それなら「ありがたい」は「ありい」、「やかましい」は「やかい」になってもよいのに、そうなっていません。「おびただしい」は六音ですが、「おびい」とは言いません。というより、「おびただしい」ということば自体、日常会話では使わないか。

そもそも省略形は形容詞が多いようです。形容詞は特に感動を強く表すときに語幹のみで使われることがあります。強烈にくさいときは「くさ!」になります。「くっさー」となると岡八郎です(みんな知らんやろなー)。形容動詞も同じで「きれいだ」は「まあ、きれい!」になります。女の人のこういう言い方を聞いた子供たちは、「ビューティフルな状態」のときには「美しい」とも言うし「きれい」とも言うのやな、「美しい」は「美しかった」と言えるから、「きれい」も「きれかった」と言えるやろ、と勝手な類推をしてしまうのですね。「まずい」場合は「まず!」で、はげしくまずい場合には「激まず」という使い方もします。「むずかしい」は本来「むずかし!」ですが、強く感動を表したいのに、ことばとしては長すぎるので「むず!」になるのでしょう。「気色悪い」も叫び声として使いたいことがあるので「気色わる!」が「きしょ!」になったのでしょう。ということは「はずかし!」が「はず!」になってもおかしくないのですが、そうすると「恥ずかしい」と同源の「恥ず」という動詞と区別がつかなくなるので、本能的に避けたのでしょうか。いやいや、まさかそこまで高度なことを考えるとは思えませんな。

単語が時代によって変化するのは当然ですが、発音も変わっていくわけです。大阪では「淀川の水」が「よろがわのみる」になり、「きつねうどん」が「きつねうろん」になり、「し」が「ひ」になまって、布団は敷くものではなく、「ひく」ものでした。でも、そういうなまりはほとんど消えてしまっています。しかしながら、根本的な部分はなかなか変わらないのでしょうか。一音語をのばして発音するという特徴は健在です。「一、二、三、四……」は東京人なら「いち、に、さん、し……」ですが、大阪人は「いち、にい、さん、しい…」です。「木がはえる」は「きいがはえる」、「目が悪い」は「めえがわるい」になります。「手をあらう」が「てえあらう」になるのは「を」を省くという特徴も含んでいます。「胃」も「いい」ですが、これは「イー」の発音になっています。昔の人は「いい」の二つ目を強く発音していたような気がします。東京で授業をしているとき、保護者の方との話の中で「詩の出題が減ってきた」と言ったのですが、一瞬けげんな顔をされました。たしかに「しいのしゅつだいが……」と言ったのでは、東京の人にはわかってもらえません。

どちらにせよ、一音語を長音化するのは関西弁の特徴であり、東京ではないはずなのですが、「二二六事件」の読み方はどうなのでしょう。わが大阪人なら当然のごとく「にいにいろく」ですね。江戸っ子は「ににろく」と発音するはずですが、そんなふうに言っているのを聞いたことがありません。どうして、これだけ関西弁を真似するのか説明できる人がいないかなあ。「問う」の過去形で「問った」と言えずに「問うた」という「ウ音便」(謎の韓流スター、ウオンビン)を借りざるを得ない東京言葉の未熟さゆえでしょうか。ただ、どういうときに未熟さが露呈されるのか、規則性がほしいですね。「買った」と言って「買うた」と言わないくせに,「ありがとうございました」というときにウ音便を使わざるを得ないのはわかります。これが敬語だからですね。上方に比べて、関東は敬語が未発達だったから、関西のものを借りるしかなかったのですが、「問うた」も「二二六事件」も敬語とは関係がありません。もし「二二六事件」にふりがなをつけろという問題が出たら、やはり「ににろくじけん」と書かないと×なのかなあ。

イントネーションも少しずつ変わっていくのでしょうね。発音の平坦化はコンピュータ関連の人の発音が平たいところから生まれたのだろうと思っていましたが、「秘密のケンミンショー」などを見ていて、ひょっとして「栃木弁?」と思いました。U字工事やつぶやきシロー、立松和平、ガッツ石松など、文全体としては尻上がりイントネーションのようですが、単語それぞれについてはアクセントがあまりないような感じがします。「彼氏」を「枯れ死」のように発音する感じですね。東京言葉の中に方言がはいりこんできたのかもしれません。逆に地方には東京言葉がはいりこんできます。「~じゃねえよ」とか言う大阪人なんて本来ありえないはずなのに、友達どうしの会話のつっこみに使う人も多いようです。さすがにこういう部分は東京風のイントネーションのままなのですね。そりゃそうです、東京のことばをそのまま真似しているのですから、それは大阪弁じゃねえよ。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク