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2012年7月の2件の記事

2012年7月25日 (水)

あみだがいけ

国語の問題を作ろうと思えば、あまり娯楽性の強い作品は出題できません。それでも、読んでおもしろくない文章はできるだけ出したくないので、その境界のギリギリのところのものを探すこともよくあります。SF的なものは比較的出しやすいのですが、推理物はかなり限定されます。とくに殺人事件を扱ったものはまずいようです。「犯人はだれか。断定した根拠とともに五十字以内で書け」なんて問題もおもしろいと思うのですが。犯人の名前と同じような名前の生徒がいたら、文句を言われそうです。それを避けて、犯人の名前を「綿志賀星太(わたしがほしだ)」などに変えるわけにもいきません。

最近は、北欧の推理小説が相当おもしろく、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』三部作はなかなかのものでした。これを映画化した『ドラゴン・タトゥーの女』は原作をはしょりすぎで、本を読んでないとついていけない感じでしたが、雰囲気は出ていました。「マルティン・ベック」のシリーズやヘニング・マンケルの「ヴァランダー」シリーズもスウェーデンです。登場人物の北欧系の名前や地名になじみがないので、ちょっと混乱することもありますが、結構おもしろい。作者の名は忘れたけど、『魔女遊戯』という本は、なんとアイスランド(!)です。タイトルが虚仮おどしで抵抗があったものの、国名につられて思わず買ってしまいました。中身は予想通りイマイチでした。読みやすくはあったのですがね。子供のころ読んだドイルやポオは、翻訳文の下手さにあきれはてたものです。結構有名な訳者もいるのですが、英語はわかっても、日本語のプロではない人たちだったのでしょうか。文法的にも変だし、言い回しが古くさすぎるし、決定的なのは文章にリズムがないことです。はっきり言って読むに耐える代物ではなく、翻訳ものが好きな人はなぜあの文章に抵抗を感じないのだろうか不思議でした。中学生のときから十年ぐらい、翻訳ものは読まないことにしていました。たまに必要があって読むことがあっても、腹立たしく思うことが多かったものです。ところが、最近の翻訳はいいですね。翻訳業界も、古いだけの下手くそが減って、生きのいい若手の人たちが出てきたのでしょう。『ミレニアム』の訳なんて、翻訳臭がまったくない自然な文章なので、あれだけの分量でも一気に読めます。

推理物と言えば、テレビ番組の『相棒』がだめになりましたね。初期のころは毎回趣向を凝らしておもしろかったのが、最近はがっかりすることがよくあります。とくに、杉下右京がトリックを見破るきっかけなんて、ワンパターンで陳腐すぎます。犯人しか知り得ない事実をうっかりポロッとしゃべっていて、それが決め手だったというパターンを何回見たか。それでもノベライズは全巻購入してしまっているのが情けない。新しいのが出たら、また買ってしまうのだろうなあ。シリーズもので、順次刊行される場合は途中でへたることがよくあります。デアゴスティーニなんて、最後まで買い続ける人がどれぐらいいるのでしょうか。銀河鉄道999のDVDコレクションは創刊号が790円だったので、思わず買った人がいるかもしれませんが、そのあとは隔週で1800円ぐらいになります。二週間に一ぺん買い続けるだけでも大変ですし、金額も合計すれば7万円を超えそうです。D51や和時計を作る、というのもありました。途中1号でもぬけてしまえば材料がそろわなくなります。実際にはバックナンバーも買えるのでしょうが、そこまでするのも、なんだかなあ。

とにかく定期的に買い続けるというのは、相当の持久力と経済力が必要です。キングの「ダークタワー」のシリーズは根性で文庫版の全巻を買い続けましたが、しんどかった。単行本で買っていれば20年以上かかっていたはずなので、それに比べりゃましですが。半村良にも泣かされました。『妖星伝』も5年ぐらいかけて6冊出たのですが、完結編が出たのは、それから15年くらいかかっていたような。ムー大陸2000年の歴史を描いた『太陽の世界』なんて、全80巻の予定だったものが、20巻まで行かないうちに、半村良が死んでしまった、という「金返せ」的な結末でした。昔途中でへたった大佛次郎の『天皇の世紀』も実は未完だったのですが、最近文庫で出たものは、12巻を毎回買い続けて読破できました。橋本治の中公文庫版『双調平家物語』は2巻まで買ったところで、その後買い忘れてしまい、近所の本屋では続きを見なくなってしまいました。15巻ぐらいあるはずなので、まだ完結していないと思いますが、大きな本屋で十何冊も一気に買うだけの気力がわきません。「平家物語」なのに、平家に行き着かず、藤原鎌足の話で止まったままなのがつらい。山岡荘八や吉川英治は30年ぐらい前に一気買いしました。山岡荘八は『徳川家康』だけでも26巻ありました。ソフトカバー版で読んだものが山岡荘八歴史文庫という形で再録されたときにもまた買ってしまい、ウチには52冊もありました。NHK大河ドラマの「太平記」の原作は山岡の『新太平記』ではなく、吉川英治の『私本太平記』だったのでしょうか。『新・平家物語』も15、6巻ありましたが、仲代達矢主演で大河をやっていました。仲代も大根と言われていたのですが、視聴率はよかったのでしょうね。

落語の本というのも意外にあって、うちの本棚には、ちくま文庫で米朝が8巻、枝雀が5巻あります。どちらも完結しているのかなあ。圓生古典落語も集英社文庫で5巻あります。奥付には「昭和55年第1刷」とありますが、これは完結したようです。静山社文庫でポツポツ出ていた『談志の落語』は9巻で終了でしょう。9巻めは談志が死んでから出ています。「談志が死んだ」は回文ですが、この回文は談志が生きてたころから言われてましたね。レコード(死語!)では圓生の全集、テープでは志ん朝の全集を持っていたのですが、あれはどこに行ったのだろう。地震のときのドサクサでわからなくなりました。枝雀のレコードは、全集の形ではなかったようで出るたびに一枚ずつ買っていました。襲名して間もないころは甲高く早口で晩年のものとはかなりちがっていました。あのレコードもどこかへ行ったんやなあ。どこかに行ったんはおまえだけの知恵やないな、だれぞが行け言うたんやろ、だれが行け、言うたんや。ああ、それやったら、あみだがいけと言いました。すんません、いちびりすぎました。

2012年7月 3日 (火)

オモローby山下

司馬遼太郎の『坂の上の雲』は大ベストセラーなのですが、「小説」としてはどうなのでしょう。たとえば秋山真之という「人物」があの作品から伝わってくるか、というとどうでしょうか。エピソードの積み重ねで、なんとなくイメージできなくはないのですが……。一つの時代、あるいは一つの歴史的事件をおもしろく語る点で司馬遼太郎という人はぶっちぎっていますが、小説の人物造形という点では散漫な印象を与えます。作者が途中で割ってはいって顔を出すところなど、あれは小説とはちがうものだと見たほうがよいでしょう。司馬遼太郎による史談ですね。自分の考えを示す手段として小説の形式を使っているだけです。むしろ完全なフィクションである、初期の『梟の城』や『風神の門』のほうが、ストーリーのおもしろさだけで読ませるという点で「小説」的と言えるかもしれません。とはいうものの、『坂の上の雲』にしろ『龍馬がゆく』にしろ、おもしろいことは確かです。司馬遼太郎以降、「歴史小説家」と呼ばれる人がたくさん出ましたが、だれ一人として「おもしろさ」の点で司馬遼太郎をしのぐ人は出ていません。いわゆる時代小説も長い間売れ続けていますが、ベストセラーになっているにもかかわらず、「おもろしい」ものは少ないようです。山本周五郎のような古典落語的で「ベタ」なおもしろさだけがおもしろさではないし、個人による差があるのは確かですが。

おもしろいといえば、最近は女流がおもしろいようです。『阪急電車』の有川浩など、どれもストーリー展開はマンガですが、心地よく読ませてくれます。『三匹のおっさん』なんて、活字のマンガやろうな、あざといなあと思いながらも、読み始めるとついつい読んでしまいます。『塩の街』『空の中』『海の底』の自衛隊三部作もワクワクしながら読めたし、『図書館戦争』のシリーズなどはおっさんの読むものとはちがうようですが、恥ずかしながら山下上等兵、読んでしまいました(古い)。『シアター!』なんて模試で出しとるがな。『夜のピクニック』の恩田陸もうまい。ドラマ化された『六番目の小夜子』もおもしろかったし、『常野物語』のシリーズなんて模試で出しとるがな。辻村深月の『冷たい校舎の時は止まる』も読みごたえがあったし、『ぼくのメジャースプーン』なんて模試で出しとるがな。うまい人は他にもたくさんいます。柴田よしき、角田光代、そうそう宮部みゆきなんて、何回も模試で出しとるがな。西條奈加なんて人もいます。西川先生おすすめです。『金春屋ゴメス』がお気に入りらしい。特に文庫本の表紙の絵が好きなようですが、理由はナイショ。

札幌ススキノを舞台とした『探偵はBARにいる』という映画は結構おもしろかったです。北海道出身の国語科T見先生もごらんになったとか。この原作は「ススキノ探偵シリーズ」第一作の『探偵はバーにいる』ではなく、二作めの『バーにかかってきた電話』でしたが、東直巳のこのシリーズは非常に読みやすい。このシリーズだけでなく、東直巳の文章はどれも心地よい。よい文章にはリズムがあるのですね。リズムは大切ですし、バカリズムもおもろいな、たらりらりん。模試に出すために文章を入力するとき、タイプミスが出やすい文章があります。こういうのはだめですな。リズムがない。ちょっとかための文章でもリズムのあるものがあります。辻邦生の『安土往還記』や福永武彦の『風土』などはリズムがあって打ち込みやすかった。しかし、残念ながら「おもんない」。前者の「衆愚の高みにのぼった魂は孤独に罰せられる」という、信長のことを評した部分など、私としては好きなのですが、模試を受けた中三生たちにはおもしろくなかったでしょう。「おもしろさ」も大切ですな。もちろん、そのおもしろさは娯楽性とはかぎりません。漱石の『夢十夜』などはおもしろい。目の見えない子供を背負って、森の中の土饅頭のところへ行く第三夜など、ゾクゾクします。第一夜の「百年はもう来ていたんだな」というフレーズもいい。第十夜の豚に追いかけられる話はイマイチですが。

いまの時代は純文学も大衆文学もなくなりました。境目がありません。芥川賞と直木賞の区別もほとんどないような感じです。新人賞とベテラン賞に改名してもよいぐらいで、要は「うまい」「おもしろい」でしょう。重松清や浅田次郎はやはりうまい。SF系や推理系はおもしろいものが多い。死んじゃいましたが、伊藤計劃の『虐殺器官』なんてしびれます(古い)。この人、「メタルギアソリッド」のノベライズもやってました。『ジョーカーゲーム』のシリーズの柳広司、この人もすごい。『トーキョー・プリズン』のすごさなんて、半端ねえー(古い)。文章そのものもうまい。最近このレベルの書き手も結構多いのです。芥川や志賀直哉がうまいとか言う人がいますが、このレベルの人たちが彼らと同じ時代にいたら、彼らが霞んで見えたかもしれません。他にも『ワーキングホリデー』『青空の卵』の坂木司も地味ですが、おもしろい。『和菓子のアン』なんて、おしゃれなタイトルのものもあります。大倉崇裕の『七度狐』『やさしい死神』『オチケン!』は落語ファンでないと、ちょいとつらいか。伊坂幸太郎はメジャーになりました。『オーデュポンの祈り』は、イマイチでしたが、『重力ピエロ』『チルドレン』『グラスホッパー』『死神の精度』『ゴールデンスランバー』と続けざまになかなかおもしろいものを書いています。『終末のフール』なんて模試で出しとるがな(しつこいっ、ちゅうてねえ)。あ、思い出しました。『坂の上の雲』に影響を受けた紫野貴李の『前夜の航跡』もなかなかのものでした。記念碑として繋留されている戦艦三笠の中で聞こえる不思議な音の正体を暴く「哭く戦艦」など、オモローです(古い)。

軽い作品も悪くないですね。いわゆるラノベだって、読めるものはありそうです。有川浩にしても肩書きはラノベ作家です。あの筒井康隆大先生だって「最高齢のライトノベル作家」を自称しています。『十二国記』の小野不由美や『インシテミル』『氷菓』の米澤穂信などもいます。ただ、ラノベは表紙がつらい。一般の作品との境界がなくなって、ラノベ系のイラストの表紙のものもよくあります。電車の中で読むときはカバーをはずさなければなりません。おっさんの読んでいる本が、奈須きのこ『空の境界』であるとばれてしまっては、はずかしいじゃ、あーりませんか(古い!)。

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