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2012年11月 2日 (金)

モニタリングについて

先日、健康か不健康か診断してもらうために十三の『淀川健康管理センター』に健康診断に行ったんですが、前日、朝食をとったきり、何も食えなかったにもかかわらず夜9時以降絶食しろという言いつけを忠実に守ったため(それだけでなく、健康診断前日のさらにその前の日も前の前の日も朝食+チーズだけみたいな食事状況だった)、ひさしぶりに『シャリバテ』=『低血糖でふらふらな状態』になっちゃって、えらくしんどかったです。前にやられたのは、算数科の横川先生と槍ヶ岳~笠ヶ岳を縦走したときでしたか、このときはふたりがふたりともやられちゃうというていたらくで、雨は降ってくるわ、雪渓に手間取るわ、なかなか山小屋にたどり着けず悲惨でした。最新テクノロジーを駆使するハイテク登山家である横川先生が、GPSを取り出し、直線距離であと何百メートルですよとか言ってくれるんですが、登山道で直線距離がわかってもなあと、なんだかうつろな気分で横川先生の言葉を聞いていたものです。

そういえば、昔、知り合いが登山もしないのにGPSを買って、うれしそうに見せてくれましたねえ。

「これを見ると今どこにいるかわかるんですよ、う~ん、今、谷町九丁目」

(知ってるわ!)と心のなかで激しくつっこむ私でありました。

みなもと太郎さんが『風雲児たち』というマンガのなかで、江戸時代の飢饉についてくわしくふれ、いわゆる餓死者のほとんどは、実は中毒死しているのだとかいていました。つまり、人間は腹が減ったらなんでも口に入れちゃうってことですね。食べてはいけないものを口に入れて死んでしまうらしいんです。目からうろこといいますか、人間というものについて、なにか少しわかったような気がしました。

『銃、病原菌、鉄』という、かなりヒットした世界史の本がありますが、そちらには、よくテレビや新聞写真などで目にする、おなかだけが異様にふくれた子どもというのは、あれは、タンパク質不足なんだと書かれていました。タンパク質が極端に不足しており、炭水化物ばかり摂っているとあんなふうになる、ときどき、おなかが膨れているんだから結構食べてるんだろうなんてことを言う人がいるが、栄養のバランスが崩れているんだということでした。ニューギニア高地の人はかつて昆虫をよく食べていたらしいんですが、これも、タンパク質のふくまれた植物(小麦とか稲とか)が自生しておらず、家畜化するのに適した大型動物が生息していなかったからだというんですね。なるほど、そうなればそりゃ昆虫だろうがなんだろうが食うよな、と思います。人間は腹が減ったらなんでも食う、というのが、あまり信念のない私の、数少ない基本信念のひとつです。

さて、今回のお題は『モニタリングについて』です。何から書きはじめようかな、単刀直入もきらいじゃないけど、やはり緩い感じですべり出し、いつのまにかすうっと本題に入っていきたいものだなんて思ってシャリバテの話から切りだしてみたわけですが、どうつなげたらいいかわかんなくなってしまいました。そこで、もう、なりふりかまわずいきなり本題に入ってしまいます。

モニタリング=監視、ですね。

べつに塾生を厳しく監視して勉強させまくろうという話ではありません。文章を読むときの心構えというか、技術の話です。

「字面を追うだけじゃいけない」とか、「行間を読め」とか、「もっと頭を使って読みなさい」とか、そういう言い方がありますが、もっと具体的で、できるだけシンプルな言い方がないかな、とずっと考えています。文章を読むときに、たったひとつ、これが最も重要だといえる『格率』のようなもの、つねに胸に刻んでおくべきことがら、読むことが徒労に終わらず、確実に読む力の向上につながるような何か。

中島敦の『名人伝』に、弓の名人になろうとした男が、何があっても瞬きしないよう訓練しろと師匠に言われ、忠実に守るというくだりがありますが、ああいうのが理想です。とにかく、そのことだけ心がけていれば、いつのまにか力がついているというような。

さて、そこで『モニタリング』です。この場合、監視とは、自分で自分を監視することをさします。文章を読みながら、今、自分がその文章を理解できているかどうかモニタリングできるということが、読むことで力をつけられるかどうかの境目になります。

読んでいてわからなくなりはじめた瞬間に、そのことを自覚し、何がつまずきの石になっているか探し出したり、前に戻ってもう一度たどり直すことができる、こういう読み方に自分の読み方を変えていければ、「読む」という行為は、きわめて濃密なものになります。

ところがこれはできそうでできないことです。子どもたちに「今の文章どう? わかった?」と聞くと、うんうんうなずいていますが、実際はよくわかっていないということが多いです。これは国語にかぎらないですね。算数でも、先生の説明をきいて「わかった」。でも、テストでちょっとひねられるとお手上げになることがよくありますが、つまり、ほんとうはよくわかっていないんでしょう。「自分がよくわかっていない」ということがわかっていない、これがとにかくはじめに手をつけるべき問題点です。

自分が文章や問題の解法を理解できているかどうかを、どうやって判定するか。ひとつの方法は、「人に説明してみる」だと思います。僕は、それを頭のなかでやってきました。以前に、「対話的に考える」という話をしたことがありますが、まさにそれです。ある概念について、ある思想について自分がじゅうぶんに理解できているかどうか判定するために、僕は想像上の対話を試みます。相手は、そのときによっていろいろです。優秀な友人の場合もあるし、その反対の知人の場合もあります。とにかくそういう相手を思いうかべて、頭のなかで説明を展開していきます。自分の説明の弱いところは、想像のなかで相手が質問してくれますし、場合によっては「それはちがう、なぜなら・・・・・・」と反論してきたりもします。それに対してまた反論し・・・・・・といった具合です。でも、周囲の人に聞いてみると、そういうことしている人はあまり多くないみたいですね。

じゃあ、そういったモニタリング能力を身につけるために私たち講師に何ができるか、ま、そういうことを考えながら、授業したりテキストをつくったりしているわけです。

来年度は、小4のシステムが変更になります。それに合わせて国語のテキストも改変ないし改編するわけですが、上述のような「モニタリング能力」を育てることをふくめ、私たちの最新の到達をふまえた、最高のテキストを用意したいと思っています。

◇◆◇

さて、国語教育講演会第2弾『国語の学び方・教え方~どう書くか~』の開催が、来週にせまってまいりました。

準備万端ととのいつつあります。みなさんのお越しをお待ちしております。

希学園以外の方も大歓迎です。ぜひ、お友達・お知り合いとお誘い合わせのうえお越しください。

11/7(水)西北プレラホール

11/8(木)谷九教室

11/9(金)四条烏丸教室

です。

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