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2013年3月15日 (金)

山で聴く音楽

学生のころは、映画や本(マンガふくむ)や音楽の話を友人とよくしたものですが、最近はそういうこともめっきりなくなりました。

だいたい話が合わないですね。

特に音楽はもうほとんど無理ですね。さがせば話の合う人が希学園内にもひょっとするといるのかもしれませんが、可能性は低そうです。仕方がないので、こんなところに八つ当たりのように書いてみる僕なのであった。人の好きな音楽の話なんて、聞いたっておもしろくもなんともないもので、その点夢の話と似ていますよね。それはわかってるんですが、まあ、それはそれとして、たまにはというか、どうせいつもたいした話は書いてないわけだし、べつにいいか、みたいな。

小学生のときには家にクラシック中心のレコード全集があって、今考えてもけっこう節操のない感じのアンソロジーでしたが、それをちょいちょい聴いてました。当時好きだったのはブラームスの『ハンガリー舞曲第五番』。小学生にしてはなかなか良い趣味していますね。ブラームスは今じゃ『ドイツ・レクイエム』が好きですね。荘厳でかっこいいです。映画音楽全集みたいなのもあって、『ある愛の詩』とか『禁じられた遊び』とか聴いてじぃんとしていました。映画は観たことありませんでしたが。好きな音楽を自分で見つけてくる才覚とか強い好奇心はまだなかったので、適当に家にある音楽を聴いていただけですが、今考えてもおかしいのは、なぜかよく『うちの女房にゃ髭がある』という曲を聴いてたことですね。聴くだけでなく歌ってました。「ぱぴぷぺぱぴぷぺぱぴぷぺぽーうちの女房にゃ髭があるぅ」なんて歌いながら歩いていました。変な小学生ですね。

音楽を自覚的に聴き始める、というと大げさですが、いろいろ興味をもって音楽を渉猟しはじめたのは高校生のときです。YMOブームが去ったあとで、なぜかYMOを聴きはじめ、そうすると、いろいろつながっていくんですね。クラフトワーク聴いたり、RCサクセションとかムーンライダーズとか。矢野顕子とか。

阪急茨木駅前に「親指ピアノ」という熱いレンタルレコード店があって、コムデギャルソンみたいな黒ずくめのニューウェイブ系のおねえさんがよく店番をしていましたが、はやっている音楽とか売れているレコードとか関係なく、店員のお気に入りをひたすらプッシュしてました。当然、洋楽、それもパンク・ニューウェイブ系が主で、そこでエルビス・コステロとかシスターズオブマーシーとか、クリスチャン・デスとか、日本のバンドだとローザ・ルクセンブルグとか借りて聴いたんじゃなかったかなと思います。もはや誰も知らないバンドオブアウトサイダーとか、スーイサイドツインズとか。フラ・リッポ・リッピはまだ知っている人もいるかもしれませんね。数少ないこのブログの読者のなかにいらっしゃるとは到底思えませんが。

研究室の先輩に洋物のポップス大好きな人がいて、この人の情報も貴重でした。スラップハッピー、レッドボックス、ジョン・レンボーン・グループ、プレファブ・スプラウトといったあたりはこの先輩に教えてもらって聴きはじめました。

寮の友人からの情報も有益でした。ひたすらプログレが大好きなやつ、クラシック専門のやつ(と言いつつ、なぜかおニャン子クラブだけは聴く)、中島みゆきラブな人とかいました。中島みゆきは最近のものは全然聴いていませんが、昔の『キツネ狩りの歌』とか『蕎麦屋』とか『傾斜』とか、歌詞が凄かったですね。『傾斜』というのは腰の曲がったおばあさんのことを歌ったものですが、「息子が彼女に邪険にするのは、きっと彼女が女房に似ているのだろう」っていう部分に、「そんな歌詞ありか!」とひっくり返るぐらいびっくりしました。他に歌詞が良かったのはムーンライダーズとかRCですかね。こういうのも歌詞になるし、こういうのも歌えるよって、歌詞の世界を広げてくれました。「検死官と市役所は君が死んだなんて言うのさ」(『ヒッピーに捧ぐ』)なんて今聴いても感涙ものです。ムーンライダーズの歌詞はじつに多彩で、わりと最近(と言ってもかなり前ですが)メンバーの一人がハイジャックに遭ったときのことを歌詞にしていて、そのなかの「年老いたハイジャッカー、今日こそ輝いていたいんだろう」という一節を聴いたときは、面目躍如というか、さすがだなと思いました。いまどきのJポップスの歌詞なんて聴くに堪えませんよ。似たようなフレーズの切り貼りだらけです。え、言い過ぎですか。そうですね。なかには良いものもあったような気もします。でも、ある限定された層(たとえば二十代前後の女性とか)の共感が得られるだけの、その層に特有のある種の気分をすくい取っただけの歌詞は物足りないと思っちゃうんです。そういうのが無意味ということではなくて、それだけで終わっちゃったらつまんないという感じです。でも、そんなのばっかりでしょ? え、やっぱり言い過ぎですか。そうですね。そんなのばっかりじゃありません!

もうひとつ、あまり聴かないというか、ダメなのはジャズです。それでも大学時代は少しは聴きました。ありがちですが、コルトレーンとかソニー・ロリンズとか。でもなんだかダメになっちゃいました。ずっと前にも書いたような気がしますが、ガトー・バルビエリぐらいですかね。日本だと清水靖晃。

ああ、なんだかもう、だれも読んでくれていない気がする・・・。

クラシックも少しは聴きます。宗教曲が多いです、クリスチャンというわけではありませんが。これも前に少し書いた記憶がありますね。好きな宗教曲ばかり集めてプレイリストをつくり、うだるような猛暑の炎天下、マタイ受難曲やらレクイエムやら聴きながら歩いていると、あやしうこそものぐるほしけれというかなんというか頭がくらくらしてきて素敵です。

先日、京都の鳥辺野あたりをグレゴリオ聖歌聴きながらぶらぶらしてみましたが、もうほんとうに頭がぽーっとなってすごく良かったです。異界にトリップしかかっているような変な感じでした。次はパレストリーナ聴きながら蓮台野周辺を歩いてみよう。京都の方以外にはよくわからない地名だったかもしれませんね。鳥辺野(鳥部野、鳥戸野)も蓮台野も、簡単にいうと、昔の風葬場、ありていにいえば、死体が遺棄されていた場所です。京都はおもしろいです、ほんと。

音楽の話にもどります。もっとも好きなのは、にぎやかなアップテンポの曲であれ、静かな曲であれ、やっぱりドライブ感といいますか、どこかに連れて行かれるような感じのする曲です。僕が永遠に宇宙一好きなシベリアン・ニュースペーパーも、聴いてると、とんでもなく遠いところに連れて行ってくれる感じがあります。まさに彼らの曲のタイトルにあるとおり『世界の果てに連れ去られ』ですね。単調な曲のようでも、実はそういう感覚をあたえてくれるという曲はたくさんあります。スティーブ・ライヒの『18人の音楽家のための音楽』やグレツキの『シンフォニー№3』なんて特にそうですね。

まあ、音楽の趣味なんて人それぞれですし、音楽との出会い方も人それぞれなわけですが、どうもよくわからないのは、今売れているものを聴くっていう聴き方ですよね。CD屋さんに売れ筋情報が必ずありますけど、あれは、それをもとにして買う人がたくさんいるから出してるんですよね。不思議。ジャケ買いはよくしましたが、売れ筋情報を参考にしたことはまったくないなあ。僕の好きなシオランが(この人は音楽家ではありません、文筆家です)、自分の好きな音楽について知られることは自分のもっとも深い内面を知られるのに等しい感じがする、といったようなことを書いていたけれど(例によってあやふや)、音楽に対するそういう感受性って今も生きてるんでしょうか。売れ筋情報をもとにCDを買い音楽を聴く人とは無縁の感受性だって気がします。コマーシャルでCDの宣伝をしているのを見たときは、ものすごくびっくりしましたが、びっくりする僕の頭がかたいんでしょうね、きっと。でもやっぱり気持ち悪いなあ。ふと耳にした曲が心に残っていて・・・というのとは少しちがう気がします。ただ、ショップの視聴コーナーで出会った音楽も少しはありますね。パンク・ニューウェイブとボサノバの美しき融合、アート・リンゼイがそうでした。

いずれにせよ、最近はあたらしい音楽にふれることが少なくなりました。好きな音楽を貪欲にさがすということがめっきりなくなりました。数年に一度突然火がついてしまうことはありますけど。シベリアン・ニュースペーパー以外のCDを買ったのって、もう2年前だったような。穂高岳山荘のテント場で雨にふられ一日中寝袋の中でごろごろしていたときに、ラジオで聴いたヒリヤードアンサンブルの合唱があまりにも山の雰囲気にぴったりで、下界にもどってからさっそく買いに行きました。昨年、剱に登って、おりて、五色ヶ原まで歩いたときにはこれとシベリアン・ニュースペーパーをずっと聴きながら歩いていました(そしてツキノワグマにばったり出会ってしまい、絶叫しながら遁走するのであった)。

なんだかまとまりがなくってすみません。どう終わったらいいのかわかんなくなったので、とりあえず一言叫んでしめくくることにします。

音楽ばんざい!

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