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2013年4月15日 (月)

「あるジーサンに線香を」は何のパロディ?

立川志らくはフランスのシラク大統領から来ているみたいですが、何の関係があるのやら。師匠の談志が名付けたらしいので、特に根拠はないのかもしれません。談春や志の輔とはネーミングの基準がちがうようなのはキャラクターによるちがいでしょうか。「笑点」の座布団運びの山田隆夫らがつくっていたグループ名が「ずうとるび」というトホホ系でしたが、フォーク・クルセダーズも『水虫の唄』をズートルビーという別名義で出していました。パロディ系の名前は三流のイメージが強いので、あえてそういう名前にしたのでしょうが、北山修たちだけに、あざとさ感も十分です。

トホホ系と言えば、新人文学賞のペンネームですね。鳥肌ものの名前がずいぶんたくさんあります。美月小路堕天使之介(るなのこうじあくまのすけ)とか炎立(ほむらたつる)とか緋文字アリスとか夜魔死多麻紗亜鬼とか。最終選考まで残ってもおそらく受賞できないようなタイプの名前です。いつか黒歴史として抹殺したくなるときが来るのかなあ。でも、こんなペンネームをつけてしまうような人にはそんなときは来ないような気もしますが。宝塚の「ありえない名前」も、昔は百人一首が出典だったんですね。春日野八千代とか天津乙女とか霧立のぼるとか(古い!)。相撲の親方の名前とおんなじですな。高砂とか尾上とか田子の浦とか。ものまねタレントはその芸と同じく、名前もものまねというかパロディになっている場合があります。アントキの猪木とかニッチローとか。ニッチローなんて、イチローの真似しかしないので、イチローをもじっただけでなく、「ニッチ」をかけているのでしょうね。隙間産業はニッチ産業、限定的市場はニッチマーケットです。佐藤B作だって、佐藤栄作のパロディですね。大河ドラマに出ているときなんか、キャストのところですごい違和感があります。「会津藩家老田中土佐」が「佐藤B作」と書かれていると、なんだかなあ。「でんでん」って書かれるよりましだけど。

パロディの代表として「替え歌」というのがあります。元の歌詞をいかにうまく生かすかがポイントなのに、最近はメロディだけで元歌とは関係なしというものが多いようです。「噛むとフニャンフニャン」とかいうガムか何かのCMでは、元歌の『狼少年ケン』とはなんの関係もありません。いまどき、だれも知らないような古い歌だけに、なぜ、この歌なんだろう、という違和感をねらったとも思えませんし、不思議です。こういうのは「替え歌」ではないので、なんと呼べばよいのでしょう? パクリ? こっそりやっているわけではないようなので、パクリでもないし、ただ曲を作るがめんどくさかっただけなのでしょうか。もともとインストルメンタルで歌詞がないものに、適当な歌詞をつけるというのはよくありますが、それともちがうので、なにか不快な感じがします。その不快感をあえてねらう、というハイセンスな技なら、たいしたものです。明石家さんまの『からくりナンチャラ』とかいう番組で、「替え歌」をやっていました。今でもやっているのか、番組自体があるのかどうか。今のさんまは劣化した「欽ちゃん」という感じで、痛々しくて見ていられないので、さんまの番組はほとんど知らない。『ひょうきん族』のころはよかったのになあ。まあ、とにかく、その番組の中で替え歌のコーナーがあって、たまたまちらっと見たのですが、元の歌とはまったく関係のない歌詞になってしまっていました。ことば遊びのおもしろさは全くなく、なぜその歌なのか必然性もなんにもありません。つまり、「替え歌」ではないんですね。

その点、嘉門達夫はえらい! まさに替え歌です。「誰も知らない素顔の八代あき」とか「チェーンソーを持たずにジェイソンが出てきた」とか「ツレなぐるマジで」とか、元歌の音や韻を生かしています。嘉門達夫のものでは『あったらこわいセレナーデ』なんてのはイマイチですが、『この中に一人』は、ばかばかしくておもしろい。「この中に一人、武士がおる、おまえやろ」「ちがうでござる」「おまえやー」というやつです。祝賀会の講師劇でもときどき使います。去年も「この中に一人、探偵ナイトスクープの司会やってるやつがおる、おまえやろ」「ちがいます」「ほな、九九の二の段言うてみい」「ににんがし、にさんがろく、にしだとしゆき」「おまえやー」というのをやりました。

タモリがやっていた「ボキャプラ天国」というのもパロディですね。「いぬ、猿が来てキジも家来になった、去年よりずっと家来になった」とか「裏の畑の墓地で泣く」とか「夜の校舎、窓ガラス、磨いてまわった」とか。こういう「ことば遊び」は昔からあるもので、「わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうじ山と人はいふなり」のパロディ「わが庵は都のたつみうまひつじさるとりいぬいねうしとらうじ」のおもしろさは、十二支について説明しておけば、小学生でもわかってくれます。単なる「もじり」ではなく、ワンクッションおいたパロディになっているところがおしゃれです。「長き夜の遠のねぶりのみなめざめ波乗り船の音のよきかな」でも、意味不明の歌ですが、回文になっていると言った途端、子どもたちはおもしろがります。むかし、甲陽の入試で川柳が出ていました。「受験前神や仏に□をつけ」の□に漢字を入れなさい、というやつです。川柳を使って、「およみなさい」とかやってるテレビ番組もありました。「ペケポン川柳」でしたか、あれなんて、じつは国語の勉強に相当役立つのでは? だじゃれになっているものが多いのですが、二つのちがうもので共通する音を見つける、というのは国語のトレーニングになりそうです。まあ、川柳というのは、爆笑はしませんが、「なるほどね、おもろいね」と感心するものか多いようです。「無理させて無理をするなと無理を言い」なんてのは、音がそろってて、うまいなあと思います。「シルバー川柳」というのもありますね。シルバー世代つまり人生の達人たちのことを詠んだ川柳です。「LED使い切るまでない寿命」とか「誕生日ローソク吹いて立ちくらみ」とか「マイケルの真似を発作と間違われ」とかいった自虐ネタがおもしろいのですが、最近やや身につまされるようになってきたところがつらい。ちなみに、私が好きなのは「なあお前はいてるパンツ俺のだが」というやつですが、こういうのが好きな人は長生きできるような気もします。

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