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2013年11月 2日 (土)

「人生」のルビは「ショー」

前回の続きを書こうとして読み直していると、最後のところで変換ミスをしていることに気がつきました。「忍ぶ鎧の」は「偲ぶ」ですね。大楠公(「だいなんこう」では変換できない!)の歌の「しのぶ鎧の袖の上(「そでのえ」も変換できない!)に」の部分です。「世の行く末をつくづくとしのぶ」という流れなので「忍ぶ」ではなく「偲ぶ」がふさわしい。「手書き」なら、どちらだろうと考えながら書くのに、機械が勝手に変換してくれると、なんとなくスルーです。「忍ぶ」は「人目を忍ぶ」つまり「忍者」、「がまんする」という意味なら「忍耐」「堪忍」です。一方「偲ぶ」は「昔を偲ぶ」ですが、「ぶ」と濁らないのが本来の形だったようです。こちらの方は常用漢字にはいっていないので原則として仮名書きでしょうが、漢字で書いてもなんら問題はありません。

当用漢字は常用漢字とちがって「縛り」がきつかったので、表外の漢字は新聞などでは仮名書きになっていたようです。軍隊がなくなって「駐屯地」の「屯」はいらんだろう、ということで表外になってしまったのですが、その後自衛隊が生まれて、この語を使おうとすると「駐とん地」という表記で、なんかブタがブーブー言って集まっている感じになったとか。「瀆職」の「瀆」の字が使えなくなって、「汚」に書きかえたため、「汚職事件」という新語が生まれました。「とくしょくじけん」が「おしょくじけん」になってしまったのですね。「汚職事件」の変換ミスとして「お食事券」になる、というネタも登場しました。「風光明媚」が「風光明美」となると「かざみつあけみ」さんかと一瞬思ってしまいます。

今の新聞では、表外の漢字でも、ふりがな付きで書かれることがあります。とくに記者の書いたものではなく、寄稿されたものであれば原文を尊重しようということでしょう。このふりがなの効用というのは、じつは大きかったのではないでしょうか。知らない漢字でもふりがながあれば読めるし、そこで新たに漢字を覚えていくということもありました。「流行る」と書いて「はやる」と読ませたり、「殺る」と書いて「やる」と読ませたりするやり方もあります。漢字で書くことでイメージがはっきりしますが、ふりがなをつけないと読みにくい。かといって、仮名書きでは雰囲気が出ない、ということでしょう。「うつす」には「移」「写」「映」の三つの漢字があって使い分けをする問題がよく出ます。「都をうつす」場合には「遷」なんて字を書くこともあるのですが、「風邪をうつす」の場合はどれでしょう。「移」なのでしょうが、これは場所移動なので、元の場所からいなくなる感じです。でも、風邪は人にうつしたら自分は治るというわけでもないので、微妙に違和感があります。そこで「風邪を伝染す」と書く人もいるのでしょう。

漢字で視覚に、ふりがなで聴覚に訴えて立体的なイメージを出そうというテクニックもあります。歌詞でよく使われたりしますが、耳で聞いているだけではわかりません。ふりがな付きの歌詞を見て、あれま、と思うことがあります。「永遠(とわ)」「運命(さだめ)」「女性(ひと)」「性質(さが)」ぐらいはよくあるパターンですが、「現代(いま)」「宇宙(そら)」「時代(とき)」となると、歌を聞いてるときには気づかんかったなあと思います。「出発(たびだち)」「舞台(ステージ}」なんて、漢字で書かんでもええやないの。同じ「日本」なのに「くに」になったり「ふるさと」になったり、熟字訓の域をこえてます。「人生」と書いて「ショー」と読ませる桑田佳祐はさすがです。歌舞伎の外題もなかなか魅力的です。奇数は陽なので縁起をかついで、漢字五字または七字で書くものに無理矢理読み方をつけています。河内山宗俊の出てくる『天衣紛上野初花』は「くもにまごううえののはつはな」になります。『青砥稿花紅彩画』が 「あおとぞうしはなのにしきえ」とは、そら知らなんだの世界です。めんどくさいので『白浪五人男』と言うことが多いようです。『慙紅葉汗顔見勢』は「はじもみじあせのかおみせ』ですが、これも『伊達の十役』と言います。それぐらいなら、はじめからややこしい名前をつけるなよ、と思います。落語にも『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』というのがありますが、これは歌舞伎のパロディでしょう。

「大人気」はふりがながなければ読めません。「だいにんき」なのか「おとなげ」なのか。「人気のない公園」は「ひとけ」がないのか「にんき」がないのか、どっちでしょう。「大人百円、小人五十円」と書かれているのを見ることがありますが、「小人」はどう読むのでしょう。奈良公園の「鹿の発情期には注意」という看板の「発情期」には「気の荒いとき」というふりがなが付いていてオシャレです。こういうふりがなをルビと言いますが、外国にはないようです。「ルビ」ということばは、宝石のルビーから来ているらしいのですが、日本独自の発明なんでしょうね。もともと経文の漢字を読むためのカンニング用に作られたのが片仮名だと言われます。でも、漢字の横に書いたのでしょうから、これがルビの起こりかもしれません。

漢字以前に日本では文字がなかったことになっていますが、有名な「竹内古文書」は「神代文字」で書かれていたと言います。キリストが日本に来たなんてことが書かれているとかいう本です。こういうのを真剣に(?)信じてる人もいるようで、昔流行(はや)った「ノストラダムスの予言」なんてのも信じた人がいたのでしょうかね。その日が来れば結果がわかるのに、あとのことは考えないのか、または「それまでかせごう」と割り切ったのか、そういう人たちがテレビにもよく出ていました。「明日は雨が降るような、天気ではない」なら絶対当たります。「あなたは25歳ですか。では、来年は26歳になるでしょう」も。中島らもが「最近の若者の事件」についてのコメントを求められて「共通することが一つあります。それは、みんな若い、ということです」と言ったとか。当たり前っておもしろいですね。たまにテストで点をとる方法を聞かれることがあります。そんなとき、私は「正解を書け」って言います。怒らずに笑ってくれる人は高得点がとれる人です。

ほんとうは、前回の続きで「七五調」から発展させて「型の美学」について書こうと思っていたのですが、「型」が乱れてしまいました。こういうのを「かたなし」と言うのでしょうか。

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