« シネマ食堂街③ | メイン | 客観視 »

2013年12月 8日 (日)

父は兵庫におもむかん

前回寄り道したので、前々回の続きとして「型」の話をば。この「をば」という言い方も近頃は聞きませんね。年寄りの話では、この「をば」を使うのも一つの型だったのかもしれません。型を身につけるためには、まず覚えなければなりません。むかしは神武綏靖…と天皇の名前を覚えさせられましたが、天皇の名前を呼び捨てにして「不敬罪」にはならなかったのでしょうかね。教育勅語というのも覚えさせられたそうですが、それはさすがに知りません。『平家物語』や『方丈記』の冒頭は暗唱させられましたね。『曽根崎心中』は強制されなかったのに覚えているのが不思議です。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」という、犀星の『小景異情』も自然に覚えたのか、藤村の『千曲川旅情の歌』は覚えさせられたような。「小諸なる古城のほとり」というやつですね。海原お浜・小浜の漫才でやってました。「コモロやコモロ、わからんか!」「コモロってなんや?」「天ぷらについてるがな」「そらコロモとちゃうか」という、じつにしょうもないネタ…。小浜の息子もむかし漫才をやっていて、そのときの相方が池野めだかです。孫のやすよ・ともこもおばあちゃんそっくりですな。

藤村の『初恋』は「人恋ひそめしはじめなり」の部分が重複だと言う人がいました。「初めし」と「初め」が意味的に重なっていてムダだというんですね。定型にとらわれるあまり、語の選択が藤村ほどの人でもゆるがせになっているという批判でした。憂いの気持ちがやや重くなる『千曲川』は五七調、甘美な『初恋』は女性的な七五調、と使い分けているあたりはさすがだと思うのですが。『水戸黄門』のテーマはそんなこととは関係なく七五調です。

漢詩も七文字または五文字になります。音のリズムだけでなく、平仄を合わせるのが難しい。平声のほか、上声・入声・去声とかあって、どういう配列にするのか規則があります。ふつうの日本人が漢詩をつくるときには専門家に平仄が合っているか見てもらわないといけなかったようです。読み下しにしたら、そんなことはわからないし、七五調でなくても、ある程度のリズムは出るようなのですが。「霜軍営に満ちて秋気清し 数行の過雁月三更 越山併せ得たり能州の景 遮莫(さもあらばあれ)家郷の遠征を憶ふ」は上杉謙信作と言われます。だれだったか、日清戦争が終わって、日本の将軍の一人が、この詩の「能州」は能登の国なのでさすがに地名は変えたものの残りをそのままパクって中国人に見せたところ、大絶賛だったそうです。明治のころまでは政治家・軍人でも漢詩を作る人は多かったようです。乃木さんも作っていますね。「爾霊山嶮なれども豈に攀ぢ難からんや」というやつです。二〇三高地ですね。標高二〇三すなわち「にれいさん」を「爾(なんじ)の霊の山」と表記しています。自分の息子も含めて、この山で死んだ無数の霊に対する鎮魂の念をこめて、このような表記をしたのだと、NHK『坂の上の雲』で言うてましたな。

しかし、さすがに今の日本で漢詩を作る政治家はいないでしょう。短歌・俳句でも無理かもしれません。辞世の句なんて作れない。 同じ越山でも田中角栄の「国交途絶幾星霜 修好再開秋将到 隣人眼温吾人迎 北京空晴秋気深」という「漢詩」は卓越しています。一見「七言絶句」ですが、中国人が見たらまさに「絶句」でしょう。いっさい返り点なしで、「3LDK駅近」のような不動産広告みたいだと、日本人からも酷評されました。「秋」の字の重複も本来は望ましくないし、「吾人迎」も「迎吾人」にしなければ文法的におかしい。また、「北京空」ではなくて「北京天」としなければなりません。「空」では「北京はむなしい」と言っていることになる。でも、毛沢東も周恩来も喜んで受け取ってくれたのでしょう。オバマさんが日本語で俳句を作るみたいな感じですから、作ることに意味があり、巧拙は問題ではなかったということでしょう。

七五調は古くさいと思われがちですが、今もってその威力はすごいものがあります。「仰げば尊し」は八六調、『春が来た』は五五調、いろいろありますが、やはり七五調のリズムが人を酔わせます。 標語はだいたい七五調です。「飛び出すな車は急に止まれない」のように。正岡子規が「彼岸の入りだというのに寒いなあ」と言うと、母親が「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」と答えました。これ、そのまま子規の句として発表されています。「1にナントカ、2にナントカ、34がなくて5にナントカ」とか「はじめちょろちょろ、なかぱっぱ」のような七五調は言いやすいし、覚えやすい。寅さんの口上も七五調です。「四谷赤坂麹町チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン」とか「白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い」とか「焼けのやんぱち、日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たない」とか。

むかしは歌謡曲の司会の歌紹介も七五調でした。「赤いランタン波間に揺れて…姑娘(クーニャン)かなしや支那の夜」というのは浜村淳で覚えたような気がします。「本日はにぎにぎしくご来場、まことにまことにありがとうございます。わたくし四畳半のザッツ・エンターテイメント、小松よたはちざえもんでございます。歌は流れるあなたの胸に、いま歌謡界に燦然と光り輝く、お待ちどおさま、涙、涙のベンジャミン伊東でございます」となると『電線音頭』です。 歌舞伎の名台詞も当然のごとく七五調です。「知らざあ言って聞かせやしょう」なんて、NHKの番組『にっぽんの芸能』で檀れいが決めぜりふとして言っていました。「浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜…名せえゆかりの弁天小僧菊之助」とか、「月も朧に白魚の篝も霞む春の空…こいつぁ春から縁起がいいわい」とか。

浪花節から出た「バカは死ななきゃならない」は今やことわざの域になっています。「あっと驚く為五郎」ももとは浪曲です。出典が忘れられても「どこまで続くぬかるみぞ」「戦い済んで日が暮れて」「なにをこしゃくな群雀」など、軍歌から出たフレーズを使う人がいまだにいます。…ほとんどいないか。だれだったか忘れましたが、何かの標語コンクールの審査員になった人が、子どもに「どこに行くの」と聞かれて、「父は標語におもむかん」と言った、という話、いまは通じませんね。また『青葉茂れる』にもどってしまいました。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク