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2014年11月 3日 (月)

イチゴパンツの変

世の中には「自慢したがり」がいます。みんなが知っていることがらについて、「あれは俺がやった」と自慢する人がたまにいますね。実際に多少はかかわったのかもしれませんが、全面的に自分のおかげでうまくいったかのように、「あれは俺がやった」と言う人は「アレオレ詐欺」と言われます。と言うと、「あの言葉は俺が作った」と言う人が出てきて、どこまで行ってもきりがありません。

遠藤周作の奥さんが書いたものをもとに描いたドラマをテレビでやっていましたが、遠藤周作が子どものころ通っていた学校の場面が出てきます。灘ですね。学校にロケに来ていたと、灘の生徒たちがうれしそうに言っていました。その中の遠藤周作のとなりで笑ってた子どもをテレビで見ていた灘の出身者が、「あっ、これ俺やがな」と思ったかもしれません。事実を元にしているわけですから、当然遠藤周作のとなりに座っていた人はいるでしょう。

こういうのは、ちょっと自慢できるし、その自慢もかわいいものですが、世の中には変な人がいて、「小説」の主人公が自分だと思ってしまう人もいるようです。で、作家にストーカーのようにつきまとうんですね。「私のこと書いた?」とか言われたら作家も困るでしょうね。これは北杜夫が書いていたのではないかな。たしか傘をさしながら電柱のかげから北杜夫の家をじっと見つめていたとか。そこまでいかなくても、作中の人物に実在のモデルがいるかどうかでもめることもあります。山崎豊子は結構あったのではないでしょうか。裁判になったのもあったはずです。これが歴史上の人物なら問題ないんですね。なにしろ相手はとっくの昔に死んでいるわけですから。むちゃくちゃ書いたってかまわない。信長が女であってもシェフがついていても。

そういえば、及川ミッチーが信長をやっていましたね。最初は笑っちゃいましたが、意外にありかなと思うようになりました。幸若舞の「人間五十年」は見ててちょっとはずかしかったのですが、本能寺ではイチゴパンツをはいて華麗にダンスでもしてくれるかなと期待してしまいました。でも、やっぱり高橋幸治やなと今ごろになって思います。秀吉が緒形拳であるように、信長は高橋幸治でしょう。「助命嘆願」が山ほど来たのもうなずけます。たしか朝ドラの『おはなはん』に出たときも「助命嘆願」が来たはずです。髙橋幸治は『太閤記』で信長をやったあと、武田信玄と源頼朝をやって、『黄金の日々』でもう一度信長をやっています。表向きは「静」で内面の激しさは感じられないようでいながら三白眼のあの「目つき」が何かすごみを感じさせました。最近大はやりのタイムスリップもので小栗旬も信長をやっており、「こんなん出ましたけど」という感じですが、悪くはありません。架空の人物は人それぞれのイメージがあります。松平容保は綾野剛、徳川慶喜は小泉孝太郎でいいと言う人も結構いるはずです。徳川慶喜は『龍馬伝』の田中哲司も眉毛のない無気味な感じでおもしろかったのですが。

アニメの実写版でも、ぴったりと思える人とうーんと言う人がいます。ルパンの小栗旬は許せても、「不二子ちゃーん」は黒木メイサやないで、と言う人が多かったようです。深田恭子のドロンジョ様は太すぎるという声もありましたな。小説のドラマ化でも、キャスティングは難しいようです。金田一耕助は石坂浩二で決まりというふうになってしまいました。山下智久ではイケメンすぎると文句を言う人もいます。まあ、同じ山下の一族としては「イケメンは一族の特徴なので許してくれたまえ」と言うしかありませんが。金田一は古谷一行も有名ですが、豊川悦司や稲垣吾郎もやっています。中井貴一、鹿賀丈史、役所広司のも見た記憶があります。変わったところでは中尾彬とか高倉健さん、なんと西田敏行や渥美清までもが演じていました。あの片岡鶴太郎もやっていますね。 同じ片岡でも千恵蔵となると、いまや知らない人のほうが多くなってしまったのかなあ。『本陣殺人事件』を原作とした『三本指の男』には原節子も出ていました。

千恵蔵は多羅尾伴内のほうが有名ですね、とはいうものの、みんな知らんやろなあ。「七つの顔の男」なんですけどね。「ある時は私立探偵多羅尾伴内、ある時は片目の運転手、またある時はインドの魔術師、しかしてその実体は正義と真実の使徒、藤村大造だ」という、ほら、あの有名な台詞。木久蔵がよく真似してたでしょ、ってそれも知らんやろな。千恵蔵さんは、その台詞のあと、着ている扮装をはぎとると、藤村大造の姿になるんですね。魔術師の服の下になぜか背広(スーツではない)を着込んでるのがオシャレ。ただ、別人に扮してはいるんだけど、どう見ても片岡千恵蔵なんですね。バレバレです。東京でインドの魔術師に化ける意味もわかりません。なんにも必然性がないんですね。で、一生懸命犯人に向かって事件の真相を解説するんですけど、「そんなん聞かんでもわかっとるわ」と犯人も言わないでおとなしく聞いてます。ところが解説終了後、予定通りではありますが、やはりなぜか銃撃戦が展開されます。警察が駆けつけるころ、ちょうど銃撃戦も終了して、正義と真実の使徒、藤村大造は姿を消しているんですね。この「正義と真実の使徒」は、最初「正義と真実の人」だと思ってました。「シト」とは聞こえるのですが、そのころはそういうことばも知りませんでした。江戸っ子の藤村大造は「ヒ」の発音が「シ」になるんだろうぐらいに思っていたのかなあ。

小説を読むときに、これがドラマ化されたら、配役はどうなるかなあ、と考えながら読む人って意外に多いようです。脳内キャストというやつですね。こんなのはお気楽ですが、わたしの場合は、毎年ほんとうにキャストを考えなければなりません。合格祝賀会の講師劇はすべて私の独断と偏見で配役を決めています。一部キャラクターを決められている先生(国語科のY原先生や算数のM山先生など)を除くと、とりあえず脚本を書いたあと配役を考えて、その上でこの先生ならこの台詞に変えようとか、この先生をこの役にしたからには、もっとはずかしい台詞を言わせようとか(どの先生かはナイショ。O方先生であるとは言えないでしょ)手直しをします。でも、実際に演技をさせてみると、思ったとおりのイメージにならない先生もいらっしゃるのがおもしろい。国語のN川先生が毎年予想通りになるのは、ありがたいことです(と言っておいて、次はひどい役にしてしまおう)。

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