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2016年2月 9日 (火)

おひさしぶりですパート2

突然ですが、やっぱりブログ書かなあかんなと思ったわけです。

もともとだれに頼まれたわけでもないのに自分でやりたいと言い出してはじめたブログです。待ってる人はもちろんのこと読んでる人さえいるかいないかわからないブログですが、特に伝えたいことも鋭い主張も繊細な感受性もないブログですが、わしは書く! 書くといったら書く!

というわけでわたしは帰ってきました。これからは書いて書いて書きまくる所存です。定年退職までウン年間、週に一本のペースで書き続けます。いや、それはちょっとキツいですね。年に一度にします。年に一度といえば七夕ですね、年に一度、七夕の日にアップするというのはどうでしょう、もちろん雨が降ったら中止です。

というのはもちろん冗談! わしは書きます! 週に一度は無理かもしれないが年に一度よりははるかに高い頻度で書きます! しかし! 

問題は何を書くかですよねー。突然冷静になってしまいました。書くことがないんすよねー。鋭い主張と繊細な感受性の発露を自分に禁じてしまったせいですかね。いや正直、それさえ書いて良いのであればいくらでも書けるんすよ、でも、そんなの僕らしくないじゃないですか、ね? 「ね?」とか言われても困ると思いますけどね。でもまあそうなんです! ゆえに書くことがありません!

とか強弁しててもしょうがないので、何か書きますか。

さて。

わたしのチューター生で、今年卒塾した某君は読書家です。受験勉強も佳境をむかえていた晩秋、引率中に彼が言いました。

「読む本がないので、プラトンの『国家』を読んでるねんけど、きつい。」

いや、いくらきみが読書家で国語ができるといってもそれは無理でしょ、と思った僕は、彼に本を貸してあげることにしました。ほんとうはこんな時期に受験生に本を貸すなんて塾講師にあるまじき行為なんですが、彼なら大丈夫だと思ったんですね。というかむしろ、この子なら、なまじ問題を解くよりも骨のある本を読んだ方が力がつくんじゃないかと真剣に考えたわけです。それで、筑摩書房から出ている『高校生のための文章読本』という本を貸してあげました。モーパッサンにはじまり、武満徹やら小林秀雄やら永瀬清子に淀川長治に塩野七生に・・・・・・とそうそうたる顔ぶれのアンソロジーです。しかも、一つの文章につき問題が(それも相当キツいのが)一問ずつついており、異様にくわしい解答まで別冊でついています。え? 小学生に『高校生のための』本を貸すなんて無茶だ? 何をおっしゃいますやら、この本は、私が大学の教養部生のときに買った本ですが、当時、問題が難しすぎて手も足も出なかった本なんですぞ。え? ますますひどい。そのとおり! でも、彼なら何とか読めるんじゃないかと思ったんですよね。もちろん問題はまともに解けるわけがないけど、解答を読むだけでも勉強になるはずだし・・・・・・と思いました。

先日、会ったときにおいしいチョコレート付きで本を返してくれましたが(ぼろい本を貸しただけなのに申し訳ないというかラッキーというか)、

「今何読んでるの?」

と訊くと、彼の取りだした本が、埴谷雄高の『闇の中の黒い馬』。

だから、背伸びし過ぎなんだってば!

背伸びして難しい本を読みたくなる年頃ってあるんですけど、彼の場合はふつうよりだいぶ早いようですね。でもいくらなんでもキツいと思うなあ。しかし、同じ埴谷雄高でも『永久革命者の悲哀』じゃなくて良かったぜ、と思う私でありました。

さて、某君、埴谷雄高を読むなら、『虚空』とかどうでしょう。で、『虚空』を読んだら、その勢いでポーの『メエルシュトレエムに呑まれて』を読みましょう! 並べて読むとなかなか感慨深いんじゃないかと思いますよ~。でも、キミにお勧めなのは、福永武彦の『死の島』。なぜお勧めかといわれても困りますが、何となくきっと気に入ってくれるのではないかと思います! 何なら貸してあげるぜ!

(以上は2/8に書いたもので、以下は2/9の加筆です)

ちょっと付け足します。

福永武彦の『死の島』を僕が読んだのは高校一年になる直前の春休みでした。特に憧れていなかった第3志望ぐらいの公立高校に合格してやれやれとひと息つき、九州に旅行したときに持って行ったんです。長崎の片田舎に祖母が(だいぶ前にこのブログに書いたことがありますが、銭湯から帰るときに上半身はだかで帰ってくるワイルドな人で、ご近所さんに恐れおののかれていました)住んでおり、そこをねぐらにして雲仙とか阿蘇とかひとりで観光して回るあいだに読んでしまいました。当時の日本の小説としてはわりと前衛的な手法も使われていてびっくりしましたが、なんせおもしろかった。それからしばらくは福永武彦ばかり読んでいました。解説に、「死の島」というのは「広島」のことで、「しのしま」と「ひろしま」で韻を踏んでいるのだと書いてあり、「韻」というものを理解していなかった僕は「駄洒落じゃん!」と失礼なことを思ったりしていました。

そういえば、「しのしま」という表現はべつの物語にも出てきました。斎藤惇夫さんの『ガンバとカワウソの冒険』です。「四の島」に四十万の支流をもつ川があって・・・・・・という設定ですが、つまり「四国」で「四万十川」ですよね。そこでガンバたちが追いつめられ「四の島」が「死の島」に・・・・・・というような話だった気がします。すみません、読んだのが相当昔なので記憶がさだかではありません。

坂東眞砂子さんの『死国』も「四国」をもじったものでしたね。八十八カ所を逆に回るとおそろしいことが・・・・・・みたいな話じゃなかったでしたっけ。

坂東眞砂子さんの随筆は灘コースの志望校別特訓のテキストに入っています。台風が好きだ~という内容の随筆なんですが、ホラー作家ならではの表現上の工夫が随所に見られ、書き手がどんなことを考えてどんな書き方をするのかということを考えさせるための教材としてとても良いのです。福永武彦さんの文章は使っていませんが、池澤夏樹さん(福永武彦さんのご子息)の文章は灘中の入試で出題されたことがあるし、僕もプレ灘中入試で出題したことがあります。坂東眞砂子さんにしろ池澤夏樹さんにしろ、よくよく考えて上手に書かれた文章は授業をしていてもやりがいがありますね。

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