« 全然ちごーよ | メイン | 左卜全という人もいました »

2016年4月10日 (日)

本がブックブックと沈む

前回「大リーグのマスコット」と書きましたが、この「大リーグ」ということばも死語になりつつあるのでしょうか。最近では 「メジャーリーグ」またはその省略形の「メジャー」という言い方しか聞かなくなりました。そのほうがおしゃれなのですかね。ところで、majorの発音は「メイジャー」のほうが近いはずです。「チーム」を「ティーム」と発音する、いたいアナウンサーでも、「メジャー」と言って「メイジャー」と言わないのはなぜでしょう。「メジャー」は昔は巻き尺の意味でしか使わなかったのに、いつのまにか「大きい」とか「数が多い」の意味で使われるようになりましたが、実は、さらに発音も平板化しているようです。巻き尺のときは「メ」にアクセントが置かれていましたが、いまのプロ野球の選手がアメリカに行きたいという意味で「メジャー」と言うときには、ダラーとした平板な発音になっています。

よくまちがわれる外来語(日本語として定着してはじめて外来語と言えるのでまだ「英語」と言うべきかもしれませんが)に、「スイート」というのがあります。もちろん「甘い」の意味で、日本語の中に無理矢理はめこんで使っていました。だいたい形容詞は外来語としては使いにくいのですね。いつのまにか「スイーツ」ということばも使われるようになり、これは「甘いお菓子」という意味のようです。さて、問題はホテルの「スイートルーム」の「スイート」です。これが「甘い」のsweetではなく、suiteと書き、「一揃い」という意味であることはけっこう知られています。要するに、寝室だけでなくリビングや応接間などがそろった部屋ということですが、新婚カップルが宿泊するための部屋だからsweetだと思っていた人が昔は多かったんですね。日本語には同音異義語が多いのですが、英語にもあります。

発音に関して言うと、「ベッド」を「ベット」だと思っていた人も多かったようです。「ベット」はドイツ語から来た可能性もありますが、おそらく「ド」で終わる単語が日本語では少ないために、「ト」の発音に変わったのではないでしょうか。「ティーバッグ」もいろいろなところで取り上げられていましたね。「バッグ」をまちがえて「パック」と言っている場合もありましたし、紅茶の紐付きの「ティーバッグ」とちがって、麦茶なんかのはいった紐なしのやつは「ティーパック」と言うんだ、とか。女性用の下着に「Tバック」というのも存在しました。ただ、老人は濁音より半濁音を好むのか、「ビートたけし」も最初のころは「ピートたけし」と言う人もいました。濁音そのものは日本語に存在するのですが、あまり好まれなかったのか、「山崎」や「中島」という苗字は西日本では濁らずに「やまさき」「なかしま」と言う、というのをこの前テレビでやってました。たしかに、「高田」はふつう「たかだ」ですが、ジャパネット「たかた」は九州です。ただ、東日本の訛りという問題があります。茨城県の人が、「茨城」は「いばらぎ」ではなく、「いばらき」が正しいと言うのですが、その発音がどちらも「えばらぎ」にしか聞こえません。「き」のつもりでも結局は濁ってしまうのですね。

濁るか濁らないかについては、その前の音によって決まる場合もあります。「一本」は「ぽん」、二本は「ほん」、「三本」は「ぼん」なので、促音「っ」のあとは「ぽ」、撥音「ん」のあとは「ぼ」になりそうですが、「四本」は「よんほん」になって、規則性がないように見えます。実は、「よん」は訓読みなので、他と条件がちがうのですね。「匹」「階」も「三」と「四」で変わってくるのはそういう理由です。ただ、そうすると、では、なぜ「四」は音読みしないのかという問題が起こってきます。たしかに「しほん」ならまだしも「しひき」「しかい」はわかりにくい。「死」につながるのだから避けたのだという説もあるようで、「九」も「く」が「苦」につながるので避けるのだとか。でも、「一二三…」と順に言うときの「四」は「し」で、「十九八…」と降りてくるときには「よん」になるということの説明にはなりません。

「一二三四…」を「ひいふうみいよう…」と読むときもあります。「一」とその倍の「二」が「ひい」と「ふう」、「三」と「六」が「みい」と「むう」、「四」と「八」が「よう」と「やあ」になって、それぞれ同じ行になるのは偶然か、なにか規則性があるのか。日本語と英語の単語が似ていても、それは偶然だろうとふつうは思います。「名前」と「ネーム」、「坊や」と「ボーイ」が似てると言われても、ああそうですか、と言うしかありません。「グッド・スリーピング」と「ぐっすり」とか、「ケンネル」は「犬寝る」で「犬小屋」だとか、「ナンバー」は「なんぼ」と似てるなんてのは、こじつけにすぎないし、ディクショナリーは「字引く書なり」、とか「石がストーンと落ちた」なんてのは単なるだじゃれです。「ブック・キーピング」を「簿記」、「シグナル」を「信号」としたのは音を意識して、日本語に訳したのだとも言われます。

いずれにせよ、日本語と英語では、系統的に見ても異なる言語ですが、古代の日本語と朝鮮語のレベルならどうなのでしょうか。同系統のことばだったのか、交流があったことからことばの行き来もあったのか。「ワッショイ」の語源は古代朝鮮語の「ワッソ」だというのも、否定的な見解がありますが、なんらかの関係があってもおかしくないような。ただ、古代朝鮮語自体がよくわからないようですね。今の韓国語では「国」という意味で「ナラ」と言いますが、だからと言って「奈良」と結びつくのか。韓国語で「母」は「オモニ」ですが、日本語の「母」も「母屋」のときは「おも」と読みます。偶然なのか、なんらかの理由があるのか。

聖徳太子の家庭教師は高句麗からやってきた恵慈という坊さんですが、二人は何語で話していたのでしょうね。恵慈は当然「高句麗語」でしょうから、聖徳太子は高句麗語を話せたのか。通訳を介してということはないでしょう。坂口安吾は聖徳太子は高句麗系だと言っていましたが、法隆寺の壁画を描いた曇徴はたしかに高句麗から来ています。でも、法隆寺には百済観音があるし、聖徳太子からもらった弥勒菩薩像で有名な広隆寺を氏寺本がブックブックと沈むとする秦河勝は新羅系だと言われています。新羅・百済・高句麗のことばと日本語はどういう関係だったのでしょうか。司馬遼太郎だったか、そのころはゆっくりと大声で話せば通じたとか乱暴なことを言っている人がいましたが、意外にそんな感じだったかもしれません。スペイン語とポルトガル語のちがいは、関東と関西の方言ぐらいの差だとよく言われます。そんなレベルだったのかなあ。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク