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2016年7月 3日 (日)

アルバイト(と)人生

深夜の道路工事を目にすると、学生時代のアルバイトの記憶が重たい気分とともによみがえります。私はこれまでにちょうど二十種類のアルバイトを経験しているのですが(残りの人生でアルバイトのキャリアが増えないことを祈るのみ(>_<)です)道路工事のバイトをしたのは教養部の寮にいた頃でありまして、まだ二十歳になっていませんでした。アルバイト募集の掲示板が寮の電話部屋近辺(携帯電話などなかった時代の話です)にあったように記憶しています。この電話部屋が汚くて汚くて。よくは覚えていませんが、大量の酒瓶・コーラ瓶が乱雑に床に並んでいたような気がします(さらに言えば、経済的にどうしようもなく逼迫したときに、何本か近所の酒屋に売り払ったような)。電話部屋にはピンクの電話が二台あり、寮委員会のメンバーが交代で電話当番をします。私も第九十九期山田内閣の超有能厚生委員として電話当番をしたことがありますが、仕事は単純で、電話がかかってくると、「はい、東北大学有朋寮です」とか何とか電話に出て、ハンドマイクで寮生を呼び出すだけです。ハンドマイクです。館内放送というような気の利いたものはありません。窓からハンドマイクをつき出して、「砂時計の◎◎くん、長距離電話で~す!」などとのたまうわけです。この「砂時計」というのは寮内のサークルの名称で、要するに「班」です。寮生はいずれかのサークルに属し、引っ越しも部屋がえもこのサークル=班単位で行います。他に「アカシア」とか、まったく歴史の研究をしない「歴研」とかいろいろなサークルがありました。「砂時計」というのは私が所属していた弱小サークルです。呼び出しの文句にも決まりがありました。まず「電話」と「お電話」の区別があります。「電話」は男からの電話、「お電話」は女性からの電話です。そして、それらの電話が明らかに親からのものである場合、「長距離」という言葉がつくわけです。すなわち、「長距離電話で~す」と言われれば父親から、「長距離お電話で~す」と言われれば母親から、ということがわかり、それら四種の区別によって、「出る/出ない」を決めるわけですね。親の心子知らず、とはこのことですね。ちなみに「長距離」でない「お電話」の場合、電話当番の呼び出しにも力が入り、「おっっっ電話で~~~す!」のような絶叫口調になり、関係のない人々が物見高く見に来るというようなことがあったことも付け加えておきましょう。そして、寮にいた二年間、私に一度も「お電話」がかかってくることはなかったことも。でも、でも、砂時計の先輩のA妻さんなんて、はじめて「お電話」がかかってきて狂喜乱舞して電話に出たら英会話教材のセールスだったというような寂しい話もありましたから、それにくらべたらましですよね。このA妻さんは味わい深い人で、夏休みに、出会いを求めて当時人気だった北海道の牧場でのアルバイトに応募したはずが、何の手違いか「コンブ漁」のアルバイトに回されてしまい、むっつりしたオヤジと毎日コンブをとるはめに。人生の妙味というやつですな。

さて、あまりにも経済的に逼迫してしまった私は、ある日その電話部屋付近にあった掲示板で見つけて、深夜の道路工事のアルバイトをすることになったわけです。○○組みたいな大きなところじゃなくて、脱サラしたおじさんが一人でやってる、なんていうんでしょう、大きなカッターで舗装道路を切断していくんですが、その作業だけを請け負っているところです。夜におじさんが、ガタピシいうぼろい軽トラックで寮まで迎えに来てくれて、いっしょに工事現場まで行きます。巨大な機械を操って道路を切るのはおじさんの役目で、僕はその補助です。仕事の手順の説明なんかなくて、ただただその都度おじさんに言われたことをやるだけなので、全体像がつかめずやりにくかったおぼえがあります。もちろん、全体像をつかもうという気のない僕に最大の問題があったわけですが。 おじさんは元高校教師だという話でした。日本史を教えていたそうです。それがなぜ、昼も夜も道路を切断する仕事へと転身することになったのか。今思えば、ちょっとぐらいいやがられてもいいから、訊いておけばよかったなあと思います。それこそ、人生の妙味ですからね。 でも働くのがいやでいやでしかたなかった僕は、当座の急場をしのいだらすぐにそのアルバイトを辞めてしまいました。人見知りで慣れるのに時間がかかるくせに、すぐにバイトを辞めてしまうので、新しいバイト先に行くたびに苦しむという、自分で自分の首を絞める日々でした。あれに似ていますね、小さい子が、きらいなものを食べるときに、さっさとのみ込めばいいのになぜかいつまでもくちゃくちゃと噛んで嫌いなものをじっくり味わってしまうという。シオランというルーマニア出身のエッセイストが、人間とは原則として後悔を求める生き物だというようなことを書いていましたが、人間とはそのように苦難を求めてしまうものなのでしょうか。それとも、僕とシオランと小さい子だけなのでしょうか。

それにしても、働くのがいやでいやで仕方なかった私が、塾講師の職に就いてから早くも◎十●年です。算数も数学もまったくできず、理科は進化論にしか興味がなく、英語は辞書がないと何もできないうえ会話不能症であるため国語講師になったわけですが、たぶん他の教科だったら、ここまで続かなかっただろうなと思います。 この職業に就いたばかりの頃、先輩講師や上司に、「国語を教えるのがいちばん難しい」「国語の成績をあげるのは無理」「国語は授業を成立させること自体が難しい」などとよく言われました(希に来る前、つまり、べつの塾での話です)。そのひとつひとつに、くりかえしチャレンジしているうちにいつにまにか◎十●年もたっていました。国語という教科のハードルがここまで高くなければ、飽きっぽい僕には続かなかっただろうなあと思います。・・・・・・えーと、あわてて言いわけしますが、他の教科が簡単だということではありません、滅相もない。どんな教科もこれで完璧ということはきっとなくて、どの講師もつねにもっと良い授業を、もっと良い教材をと考えていることは僕もよく知っております。したがってここは、国語という教科のハードルが、ではなく、教えるということのハードルが、と言うべきでした。お詫びして訂正いたします。

山登りしていると、《にせピーク》というのがあるんですね。◎◎岳の頂上をめざして歩いていますよね。だんだんそれらしきものが見えてきます。でも、たどり着いてみると、実はそこは頂上ではなくて、いったん下って登り返したその先にもっと高いピークが見えていたりするんです。げんなりしながら下りて、また登るんですが、そうすると、またその先にさらに高いピークが・・・・・・なんてことがよくあります。それと一緒です。にせものかもしれないけれどピークらしきものが見えている以上「下山する」という選択肢はありません。これまでつねにそのピークは《にせピーク》だったんですが・・・・・・でもまあ、もうひとふんばりして登ってみるか、そんな感じで国語講師を続けてきました。まだまだ頑張ります、今見えているピークこそ本当のピークだと信じているので!

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