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2018年3月の1件の記事

2018年3月11日 (日)

語源俗解

同じNHKでも、大河よりも「ブラタモリ」がおもしろいですね。タモリがあちこちをブラブラする、という安易な企画の番組名なので、地井武男が散歩するだけの「ちい散歩」のレベルかと思いきや、なかなか格調が高い。一つの場所を歴史的、地学的に掘り下げていくのですが、たとえば平泉がなぜ栄えたかという謎を北上川の地質から探っていった回はなかなかおもしろかった。北上川の東と西とで地質が異なるというのですね。北上川の東の北上山地からアンモナイトの化石が出てきます。つまり、そのあたりの地質はデボン紀のものだというのです。で、このあたりは日本有数の花崗岩地帯であるらしく、花崗岩のあるところに金が見つかるそうです。地下深くの、金を含んだ岩石がやがて地表に現れ、風化されて砂金になる。これが平泉の繁栄の基盤になったということです。つまり、奥州藤原氏の栄華はデボン紀の地質がもとになっていた…。こういうのは学校のどの科目で教えてくれるのでしょうか。「国際」ならぬ「学際」ということばもありますが、一つの科目にしぼらなければ興味深く学べることって、結構ありそうです。

「ブラタモリの呪い」というのもあります。「ブラタモリ」で訪れたロケ地で、天災や人災が起こるというやつです。大分に行ったら集中豪雨でやられ、熊本へ行ったら地震でやられ、と災難続きです。逆に言えば、熊本城の石垣が崩れる直前の貴重な映像を残しているということですが…。奄美に行ったときの奄美固有種の動物もおもしろかった。「西」がなぜ「入」なのかということにも触れていました。「西表山猫」は「いりおもてやまねこ」ですね。これは当然、「日の入り」の場所が「西」だからで、そうすると「東」は日が上がるということで「あがり」になります。
奄美や沖縄は日本の古語が残っていることで有名ですが、昔は「ひがし」を「ひんがし」と発音することもあったようです。「日向かし」から「ひんがし」になって「ひがし」になったということでしょうか。「西」は「去にし」の省略形という説もあります。昔、万葉集の柿本人麻呂の歌「東野炎立所見而反見為者月西渡」をどう読むかでもめた結果、「ひんがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」に落ち着きました。「西渡」は「東野」との対比なので「にしにわたる」でもよさそうですが、これを「かたぶきぬ」と読むのもなかなかのものです。賀茂真淵か契沖か、だれだったか忘れましたが…。いずれにせよ、一つの場所で日がのぼるのが見え、反対側では月が沈もうとするのが見える、という光景です。実景というよりも、権力者の交代を暗示しているらしいのですが、蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」とも似ているイメージです。ただし、人麻呂のほうは朝の情景で、すごく雄大な感じがします。実際にはこの歌の舞台となった安騎野という場所は小さな盆地で行ってみると期待はずれらしいですね。たしか万葉の旅ツアーをしていた犬養孝先生が言っていたと思います。

「ひんがし」が「ひがし」になったということと無理やり結びつけると、「うなぎ」をなぜ「うなぎ」と言うか、という問題があります。鵜という鳥は、とった魚をそのまま噛まずに飲み込むので、「鵜のみ」ということばができました。鵜飼はこの習性を利用したものですね。そんな鵜でも、さすがにうなぎは飲み込みにくい。飲み込むのに鵜が難儀するから「鵜難儀」つまり「うなんぎ」がなまって「うなぎ」になった、という、嘘に決まっている話があります。もともと気色が悪くてきらわていたうなぎを「ひしまた」という料理屋さんが苦労して料理にしあげたという落語もあります。店の「お内儀」を呼んだのがなまった「うなぎ」という名前になり、魚へんに「日四又」と書いて「鰻」になったという落語もあります。だれの話で聞いたのかなあ。

天然うなぎか養殖かの見分け方として、天然のうなぎは腹が黄色い、というのがあります。「胸」が黄色いから「むなぎ」、それがなまって「うなぎ」になった、というのがオーソドックスな語源らしい。語源というのは何か魅力があるようで、「俗説」が多く生まれています。キラキラネーム全盛の今の時代にはなくなりましたが、昔のお婆さんの名前で「むめ」というのがちょくちょくありました。「ムメ」って何? これはもともと「んめ」だったのですね。「ん」の音が次の「め」にひかれてM音になるので「む」と発音されることもあったのでしょう。もっといいかげんに発音すると「う」になります。つまり「むめ」さんは「うめ」さんだったのですね。「梅」の音読みは「バイ」または「メイ」です。「メイ」を発音しやすくするために軽く「ン」という音を前につけたのかもしれません。

「さくら」はなぜ「さくら」なのでしょうか。「咲く」と関係があるのではないかという人もいますが、そうすると「ら」がよくわかりません。「サ・クラ」のように分けるという魅力的な説もあります。昔の日本人は、大きな岩や大きな木に神が降り立つと考えたようです。神がいる場所を「くら」と呼びます。漢字としては「座」をあてることになります。「高御座」と書いて「たかみくら」と読みます。ラーメン屋にも「神座」というのがありますな。京都の「岩倉」という地名もそういう意味かもしれません。「さくら」は神の宿る木だというのですね。では「さ」とは何か。どうも山の神を「さ」と言ったらしい。この山の神が山からおりてきて田を守る神様になります。これを「さおり」と言って、女の子の名前にも使われます。役目を終わって山に戻ることを「さのぼり」、なまって「さなぶり」とか言ったりします。「さ」の神が来るときが「さつき」であり、苗は「さなえ」で、苗を植える女の子が「さおとめ」です。ただ、そうすると「さくら」の咲く季節とずれてしまうのが「さ・くら」説の難点でしょう。

「つる」はなぜ「つる」か。これも落語にすばらしい説があります。「つー」とやってきて「るー」ととまるから「つる」という、ふざけたやつです。落語では受け売りをして人に話そうとして「『つるー』とやってきて」と言ってしまいます。「で?」と聞かれて、「だまってとまった」という落ち。「すずめ」はなかなかおもしろい。チュンチュンなくから「ちゅんちゅんめ」→「ちゅちゅめ」→「すずめ」という強引な説。これも「め」は何? と言われそうですが、「つばめ」というのもあります。岩渕悦太郎か池田弥三郎か忘れましたが、「☓☓め」という形は鳥を表すという説を唱えていました。「つば」は「つぶ」「たぶ」の変化したもの、「たぶ」には「二」の意味があり、「たぶの木」というのもあります。つばめは「つばくらめ」の省略形とも言われています。尾の先の黒いところが二つに分かれているところから来たものではないか、というなかなか説得力のある説です。「つば」が「二」を表すのは当然です。ドイツ語でも一・二をアイン・ツバイと言うもの。

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