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2022年10月の2件の記事

2022年10月21日 (金)

今こそ島への愛を語ろう③~台湾その3~

 で、その、台湾なんですが、正直いうとあまり記憶にないのです。いや、ないわけではないんですが、「島への愛」とは全然関係ないというか。確かに島ですけど、そんなこといったら、北海道だって九州だって四国だって本州だって島じゃん、て話です。だから、島への愛とは関係なく、台湾の思い出なぞ語ってお茶を濁したいと思います。
 当時の台湾は物価が安くて素敵でした。今頃になって日本でも人気のルーローハンですが、当時台湾の下町だと、豚汁的な(いやたぶん全然ちがうんですけど)汁物とセットで180円くらいでしたね。そのときいっしょに下町をぶらぶらしていた三人のうちの一人(英語の先生でした)は、後に歌手になりました。「ホーム」という歌がヒットした木山裕策さんです。木山さんは覚えていらっしゃらないかもしれませんが、いっしょに台湾の下町をぶらぶらした仲です。センシティブな方だったので、下町の匂いの凄まじさに具合が悪くなり、早々にホテルに戻られました。だから、その後喫茶店でトイレの場所を教えてもらおうと筆談を試み、店員に「何処在厠?」と書いた紙を見せ「はあ?」という顔をされたときにはいらっしゃらなかったような。今にして思えば「何処在厠」が通じるわけないのですが、何だかバカバカしくて良い思い出です。
 この台湾社員旅行が私にとって初めての海外旅行だったのですが、海外っていいなあと思いました。植生とか風習とかがちがうので、わあ遠くに来たなあと感じるのがよかったです。たとえば、当時の台湾は、檳榔の実をくちゃくちゃ噛んではそのあたりに吐き捨てる人がたくさんいました。そういうのもなんだか新鮮で、バスガイドのお姉さんに「わしも檳榔の実がほしい」と訴えると、そんなことをいう日本人は珍しかったみたいで、にこにこしてお店に連れて行ってくれたのだったか、ちょっとこのあたり記憶が曖昧ですが、もしかしたらバスガイドさんがビニール袋にいっぱいくれたのだったかもしれません。なにしろ、檳榔の実をゲットして嬉しくなってくちゃくちゃしていたのをおぼえています。
 この旅行で海外の素晴らしさに目覚めた私は次に韓国に行ったわけですが、とにかくこの旅行が最低でした。韓国が悪いわけではありません。もちろん韓国の人が悪いわけでもありません。すべてが自業自得ではありましたが、とにかく最低の旅行でした。一緒に行ったK君(現・某国立大学教授)には悪いことをしたなあと思っています。何があったかは書きません。なぜなら韓国は島じゃありませんからね。この文章のテーマは「島への愛」ですから。
 というわけで、次回の島はジャワ島です。実をいうとその前にやはり前職の社員旅行でワイハーに行っているのですが、これも割愛します。食い物があまりにもまずいために食欲をなくし餓死するんじゃないかと思ったという記憶しかありませんからね。

2022年10月 7日 (金)

今こそ島への愛を語ろう②~台湾その2~

 今は昔の話ですが、何もしたくなかった私はずるずると七年半近く(十八歳から二十五歳まで!)仙台にいました。と書き始めたのが運の尽きで、前回は台湾の話にたどり着きませんでした。
 そうです、七年半仙台にいて、何となくしかたなく帰阪し就職した、というところから台湾の話を始めようとしたのです。なのに、うっかり井月の句なんか紹介したせいで、話が脱線したまま戻りませんでした。恐るべし井月。恐るべし亀之助。
 就職したのは、当時京阪沿線で主に公立高校受験の実績を伸ばしていた某進学塾です。新聞の求人欄を見てとりあえず電話したらいついつに来いと言われて、行ったら即筆記試験を受けさせられ、試験が終わったらその試験問題で模擬授業をさせられ(思えば生まれて初めての授業でした)、その場で「採用ね」といわれました。
 このようにあれよあれよというまに就職したら、出勤初日に「一か月後に社員旅行で台湾に行くからパスポートとってね」と申し渡されたのです。めまいがするような急展開です。思えば仙台から大阪に帰ってきたのが9月のはじめで10月には台湾です。そもそもその帰阪というのもなかなか普通ではなく、5日かけて(実質的には2日半)国道6号線と1号線を原チャリで走り抜いて帰ったのです。
 初日は6号線を仙台から水戸まで走り、ビジネスホテルに泊まりました。
 そして、「雨のルート6」という詩?をつくりました。

   雨のルート6

姥桜の「姥」は ウンババウンババ
今日俺は雨の中 ウンババ言いながら単車転がしたら
右折しそこねたものさ

今日もウンババ
明日もウンババ

 何でこんなくだらないものを書いてしまったのか、まったく記憶にありません。なのに暗唱できるというのがまことに不思議です。
 2日目は東京の友人の家に泊めてもらいました。
 3日目は東京でふらふらしていました。
 4日目は東京から1号線を関ヶ原まで突っ走り、関ヶ原駅舎の壁にもたれて眠りました。寝袋持っていたので。
 5日目にようやく大阪の実家まで。
って感じです。
 1号線をずっと原チャリで走るというのは恐怖以外の何ものでもありません。意地悪なトラックの運転手がいて、僕の原チャリの横を併走し続けるのです、わざわざスピードを落として、追い抜きもせず、地響き立てて。何であんなに根性ばばちゃんなんでしょう? いずれにせよ、静岡に入る頃には原チャリのエンジンが明らかに不調になり、スピードが落ちました。わざわざ箱根を迂回して休み休み走っていたのですが、それでもダメでした。

 は!? わたしったら何の話をしてるんでしょう? なぜ「雨のルート6」などという人生の恥部をさらしているんでしょう? 台湾の話はどこへ? というわけで、台湾の話は次回、その3で!

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