日本語の難度はカテゴリー5
昔、アメリカの大統領選でケネディとニクソンが争っていたとき、ニクソン優勢の状況でテレビ討論会がありました。ケネディはテレビ用のメイクアップをおこない、選んだスーツはネイビー、ネクタイは赤。当時は白黒テレビた゜ったのですが、そのメリハリが若々しく力強い印象に映りました。対してニクソンは茶色のスーツと薄い色のネクタイを選んだことにより、テレビではぼんやりと映り、疲れていて年老いた印象になってしまいました。結果。ケネディが勝利を収めることになりました。
最近はそうでもないようですが、日本の政治家は、若々しさよりも老練さが好まれていたようです。たとえばいちばん人気があったのが田中角栄です。エリートとは対極のたたき上げという感じで、学歴はないけれど数字に強く、「コンピューター付きブルドーザー」とあだ名され、庶民的なだみ声で、聴衆の心をつかみ、「今太閤」と呼ばれました。だみ声と言えば、民社党に春日一幸という人もいました。この人も演説がうまく、「春日節」と呼ばれ、物真似をする芸人も何人かいました。浜田幸一という人は「元ヤクザ」と公言し、若いときには傷害事件も起こしたようです。国会議員になってからも、自民党が内部分裂状態になったとき、バリケードを一人で破壊していた「勇姿」が今でもたまにテレビで流されます。その他、かずかずの事件を起こしますが、なぜか人気がありました。「ハマコー」の愛称を持ち、「政界の暴れん坊」とも呼ばれましたが、引退後は「ビートたけしのTVタックル」にタレントとしてレギュラー出演し、「悪党党幹事長」と名乗っていました。
今挙げた三人はいかにも「昭和のにおいがする人」でもあり、ちょっと「やくざっぽい」ふんいきもうあり、「なにわぶし」的と言ってもよいかもしれません。でも、「浪花節みたい」と言っても、いまや比喩の意味が不明になっていますね。「浪花節」または「浪曲」という演芸は、いかにも大衆好みだったせいで、逆にいわゆる知識人からは、蛇蝎のごとく嫌われました。思いつくだけでも、夏目漱石、芥川龍之介、尾崎紅葉、泉鏡花、三島由紀夫などなど。漱石は落語好きで「三代目柳家小さんと同じ時代を生きているわれわれは幸せだ」とか言っているくせに、浪曲は嫌いなのが不思議と言えば不思議。俳人・小説家・劇作家の久保田万太郎も江戸文化や歌舞伎大好きおじさんなのに、なぜか浪曲嫌いでした。粋さがなくて野暮ったいからかなあ。弟子の川口松太郎を「大衆作家」として冷淡に扱ったという話もあるので、通俗的なものは会わなかったのでしょう。
義理人情を重んじたりして、通俗的な言動、考え方をする人を「浪花節的」とたとえる言い方は、いまや通用しなくなりました。「浪花節」そのものをみんな知らなくなっているのですから。似たものをもってきてイメージさせるのが比喩なのに、わからなければ意味なしということになります。とくに、現代のように移り変わりが早くなると、通じなくなる言葉がどんどん生まれてきます。ちょっと前まで「電話のダイヤルを回す」と言っていたのに、わからなくなっている人が増えてきています。「テレビのチャンネルを回す」もだめですね。リモコンが当然の人たちに、わざわざテレビの前に行って、本体についているダイヤルを手動で回してチャンネルを切り替えていたなんて信じられないでしょう。
一時期のはやりものなど、それこそあっという間に忘れ去られます。「ナタデココ」や「タピオカ」など、今はまだなんとか通じるでしょうが、そのうち、「何それ?」」になるかもしれません。辞書の見出し語が慎重になるのも当然ですね。辞書の編集者は新しく出てきて、日本中だれもが使うようになっている言葉でも、辞書に載せるかどうか、かなり長い時間をかけて慎重に見きわめるようです。うっかり載せると、いつのまにか消えてしまっているなんてことになりかねません。毎年「今年の流行語」が発表されますが、辞書に載らずに消えていくものがほとんどです。
万博が開かれていたころ、外国人のスタッフの間で、はやった言葉があります。日本で人を呼ぶときに使う「○○さん」の「さん」です。英語では、「ミスター」とか「ミス・ミセス」とかの区別があります。男性の場合は「ミスター」だけなのに、女性は未婚か既婚かで分けるのはおかしいと言って「ミズ」に一本化することも多いようです。それでも、男性か女性かで区別しなければなりません。いまの時代、外見だけでは判断できないこともあります。ところが、日本語の「さん」は、男女・年齢・結婚、関係なく使えて便利です。大リーグて゜は「オータニさん」という呼び方もよく聞きました。英語の中に取り入れても違和感がないようです。スタッフが自分の国に帰っても使ってくれたら、世界語として定着するかもしれません。
ただ、これは「さん」だからよいのであって、「さま」ではだめなんですね。「さん」なら目下でも目上でも使えるけれど、「さま」となるとそうはいかない。この微妙なちがいが外国人にわかるでしょうか。こういうところに「日本語の特殊さ」があります。日本人が日本語を使ってコミュニケーションをするのは、単に「伝達」をしているだけではなく、「関係性の構築」もしているんですね。映画のせりふを各国のことばで「吹き替え」をした場合、なに語がよいかを外国人の間で調べたところ、日本語が一番人気だったとか。もちろん声優の実力にもよるのでしょうが、どうやら音のひびきがかっこよく聞こえるらしいんですね。それだけでなく、一字ずつ切り離して、ゆっくり発音するという芸当が日本語ではできます。日本のアニメは日本語の吹き替えのまま英語の字幕で見るのがよいという外国人もいるようです。
日本語のすごいところは音訓があることだと養老孟司が言っていましたが、だいたい一つの文の中に漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットを同時に入れられるというのは、とんでもないことですね。しかもアルファベットの大文字・小文字まで使い分けています。しかも「人」「ひと」「ヒト」がまったく同じ意味ではなく、微妙なニュアンスのちがいまで表すことがあります。外国人の話す日本語をカタカナで書き表すなんて、他の言語では真似できない芸当でしょうね。




