和製中華
占いにたよる心理というのもわからなくはありません。しかし、信じない人は徹底的に信じません。上岡龍太郎が番組の中で「おれがおまえを殴るかどうか占え」と言って、占い師が「殴らない」と言い終わる前に殴り、「ほら見ろ、当たらんかったやないか」と言った、という有名な話があります。痛快ですが、割り切りすぎだなという気もします。上岡は幽霊の存在についても、同じようなことを言っています。「恨みをのんで死んだら幽霊になるのだったら、京都はどうすんねん、幽霊だらけやないか」と言っていました。でも、一般の人には見えないだけで、見える人にはウジャウジャいるのが見えているのかもしれません。
世の中には「私には少しばかり霊感があって」とか言って、そういうものが見えると称する人もいますが、心霊スポットにそういう人を集めて、見えたものを言ってもらうと、みんな違っていた、という話もあります。ひょっとしたら見えもしないのに見えると言っているのか、あるいは見える見えると言っているうちに見えているような気になって、何かが見えたように思い込んでしまうのか。いずれにせよ、「私って見える人なんですよね」と言って、「マウント」をとってくる人がいますが、そういう心理はどういうものなのでしょう。ふつうの人には見えないものが見えるわけですから、一種の超能力と言えなくもありません。あるいは、まんがの主人公のような特別な存在になったような気分になるのかもしれません。私は、平凡なあなた方とは違って「異界の者」なのだ、というような「中二病」的心理とも考えられます。そうなってくると「神に近い存在」ということになるので「マウント」をとったことになるのでしょう。
まあ日本は八百万もの神のいらっしゃる国ですから、神の値打ちもたいしたことがないと言えなくもないでしょう。一族の先祖だって神になります。天皇家の先祖は天照大神なので当然神様ですが、神武天皇は神なのでしょうか。名前に「神」がはいっているのだから神様だ、と言う人もいますが、いやいや「神」のようだからわざわざ「神」という字を入れたわけであって、逆に人間であると見なしていた証拠だと言う人もいます。「神武天皇」と言いましたが、「人皇」という言葉もあります。神代と区別して、神武以降をあえて「人皇」と言うわけですから、やはり「人」と意識していたのでしょう。ただ、古事記などで活躍する神武の話は「神話」と言ってよいレベルです。
初代天皇の神武から十代の崇神の間を「欠史八代」と言うことがあります。『古事記』や『日本書紀』には系譜や宮の名前が記されている程度で、具体的な出来事はほとんど書かれていません。そのため、実在性が疑問視されているのですが、なぜ「欠史」をわざわざ作ったのでしょう。神武の時代を古くするために「かさ増し」したのだという説もあるようです。いずれにせよ、残されている歴史書が客観的な史実を書いているとは限りません。残っているのは「勝者の書く歴史」であり、豪族たちとの争いに打ち勝った人たちが作ったものなので、そういう視点でとらえた「歴史」が書かれています。
中国の歴史書ではそれがもっと顕著に表れているようです。前の王朝はこういうことをしたから滅んだと見る立場から書かれています。その理屈も「思想」に基づいたものになるでしょう。たとえば、漢という国は五行で言えば「火」の徳性をもっており、「木火土金水」の順にしたがうと、火の漢をほろぼすものは「火」の次で「土」でなければならない。「土」は色で言えば「黄」にあたるから、漢をほろぼすために黄色を旗印にした「黄巾の乱」が起こったのだとか。じつは、漢はもともと自らを「水」だと考えていたらしい。周は「火」であり、次の秦は正統ではなく、漢こそが周を継ぐと考えたのですね。そして、ここでは「火」を消すものは「水」であるという「相克」の関係でとらえています。ところが、そのうちに「相克」ではなく「相生」の関係で王朝が交代するのだと考え、周は「木」であり、木は火を生み出すので、漢は「火」であると言い出した。そうすると、火から生じるのは土であり、土は黄色と結びつくので「黄巾の乱」だとか…。もう、わけがわかりません。
黄巾の乱を起こしたのは「太平道」という新興宗教団体です。五斗米道というのもあり、どちらも道教に基づいています。この道教というのも妙な宗教です。仙人というのは道教の考えで、山で暮らすから「仙」なのですね。もともと人間だったのが、長年の修行で仙術を身につけたとされます。女性の仙人もいるようですが、イメージは白ひげの老人です。サボテンを「仙人掌」と書くのは、漢の皇帝が作った仙人像に似ていたからということになっています。サボテンという言葉自体はポルトガル語の「石鹸」を表す言葉が元になっているとも言われます。要するに「シャボン」ですね。「テン」は「手」の変化したものだとか。
パンダを漢字で書くと「大熊猫」になるのは有名ですが、植物名を漢字で書くとなると悩むものが多いようです。「紫陽花」「向日葵」「百日紅」などはクイズでもよく出ますが、「蒲公英」「満天星」「風信子」あたりは難問でしょうか。「いちょう」は「銀杏」「公孫樹」以外にも「鴨脚樹」と書けますが、葉の形から見ると、なるほどと思います。中華料理の漢字表記でも素材名がはいっていればどんな料理か見当がつきます。「青椒肉絲」は青椒がピーマンで肉絲は細切り肉ですね。「絲」は細切りで「片」なら薄切り、「丁」は角切り、「末」はみじん切りだそうです。「炒」は当然「炒める」、「爆」になると強火になり、「炸」は「揚げる」、「拌」なら「和える」という感じで、調理法も見当がつきます。
日本でも、家で食べるものなら、「牛蒡と大根の炊いたん」という、素材と調理法の組み合わせ型の命名があります。「里芋の煮っ転がし」なんて大胆な名前もあって、変に気取った名前をつけるよりわかりやすく、食欲もわきます。同じ名前でも地域によって微妙にちがうこともあります。神戸のメロンパンはオムレツ型でした。カニ玉をご飯にのせた天津飯も、関東では酢豚のような甘酢あんが普通だそうですが、関西では醤油ベースが標準です。でも、天津飯は中国ではなく日本発祥で産地偽装、カニを使わずカニカマを使えば、食材偽装も加わります。




