« べらぼう | メイン

2026年4月24日 (金)

次はおまえだ

葛飾北斎の七十歳を過ぎてからの号は「画狂老人卍」と言います。これも相当なものですし、むしろ「中二病」的なネーミングと言ってよいかもしれません。どうやら、もともと「画狂老人」と名乗っていたみたいで、さらにそこに「卍」をつけたようです。「○○改」とか「シン・○○」とかいった感じでしょうか。この「シン・○○」というのはちょっと流行しましたね。「シン」は「新」でもあり「真」でもあり、ひょっとして「神」かもしれません。小泉進次郎が覚醒したとして「シン・ジロー」と呼ばれていたのは面白かった。

「シン・○○」の発案者はアニメ映画監督の庵野秀明だと言われています。『シン・ゴジラ』『シン・エヴァンゲリオン』がヒットして、「シン」は日本語の新しい接頭辞となりました。ただ、「シン」が「神」の意味合いを持つとしたら、「シン・ゴジラ」は重複表現になるかもしれません。「ゴジラ」の英語表記「Godzilla」の中に「ゴッド」が含まれていますから。いずれにせよ、漢字で書かずに、あえてカタカナにすることで複数の意味を表すようにしているのでしょう。ただし、かな書きは誤読しやすい欠点もあります。ある新聞の見出しで、「真夏日の奈良 鹿もぐったり」というのがありました。前半を見過ごして後半だけを見ると、「鹿が潜っているのか」と思います。もちろん、ふつうはまともに解釈できるでしょう。奈良の鹿が「潜る」というのは、常識的に考えて、ふつうの文脈ではなかなかありません。

かな書きの話とはちがいますが、次のような場合は「常識的」に判断できるでしょうか。「A君の身長が150センチ、B君が155センチ、C君が160センチ、D君が165センチ、E君が170センチのとき、C君の次に背が高いのはだれ?」という問いの答えはB君とD君のどちらでしょうか。背の高さの順で言うと、高い方から「EDCBA」になるので、Cの次に「背が高い」と言える人はBになります。一方、BよりCのほうが背が高く、DはCよりさらに「背が高い」のだから、Cの「次に背が高い」のはDである、という考え方もできそうです。

「高いか低いか」と考える場合、一般的に「高さ」ということばを使います。「どれだけの高さか」と聞くことはあっても、「どれだけの低さか」とはふつう言いません。ただし、「低い」ことを競うよな場合には「低さ」を使います。「背の低さに関しては彼が一番だ」というように。ただ、やはり一般的な使い方ではありません。「長さ」「大きさ」「広さ」など、プラスとマイナスに分けるとプラスの表現を使うのがふつうです。値段の場合は「安い」ほうが肯定的、プラスにとらえられるから「安さ」を使うことも多くなります。美醜や匂いなどは強調したいほうを使うので、どちらが一般的ということはないかもしれません。

「さ」を付けて名詞化する以外に「み」を付けることがありますが、「楽しみ」「苦しみ」と「楽しさ」「苦しさ」はどうちがうのでしょうか。「さ」は「度合い」の要素がはいっているような。「どれぐらい楽しいのか」という感じで、「み」は「楽しいこと、それ自体」という感じでしょうか。「み」のほうは「さ」と同様に、「楽しい」という形容詞の語幹「楽し」に接尾語の「み」が付いたと考えるのが妥当でしょうが、「楽しむ」という動詞の連用形「楽しみ」が名詞に転成したものと見ることもできそうです。「苦しみ」も「苦しむ」という動詞から生まれたのかもしれません。ただし、「にくしみ」は微妙です。あまり使わないけれど、「にくしむ」という動詞があることはあるようなので、うまく説明できそうです。「にくい」という形容詞をもとにするなら「にくみ」になるはずです。

そうは言うものの、「厚み」や「深み」などは動詞から生まれたものとは思えません。このあたりは専門家が研究しているのかもしれませんが、なかなか難しい。度合いを表す「軽め」「早め」「浅め」などは形容詞から生まれたと見るのが自然でしょう。「多め」も同様ですが、これはときどき「多いめ」と言う人がいます。「うすめ」も「うすいめ」と言う人もいます。「薄目を開ける」と区別するためでしょうか。他のものに合わせるのなら「い」を取るべきですが、では「濃い」の場合はどうするか。「濃い目」ですね。「こ目」とは言いにくい。結局は口調の問題なのかもしれません。

ふと思ったのですが、「濃い」の反対と言われると、「薄い」ではなく「淡い」のほうが良さそうですね。「濃淡」という熟語もあるので。この「あわい」はどこから来た言葉なのか。ひょっとしたら「泡」と関係があるかもしれません。「阿波国」は「泡」ではなく「粟」の産地だったからという説があります。同じ音の安房国は、阿波国から移住した人が開拓したということから名付けられたとも言います。たしかに移住した人が故郷をしのんで同じ地名にするということはよくあったようです。「国」レベルまでいかなくても「勝浦」のような地名が千葉県にも和歌山にもあります。紀伊国や阿波国に住む「海人族」が千葉の辺りに移住したのかもしれません。そうすると海の「泡」説も成り立つかも?

福岡の朝倉市付近と奈良盆地の地名が似ており、しかも位置関係もかなり近いという話をよく聞きます。北九州にあった邪馬台国が東に移動し、大和朝廷になった際に、元の地名を持ち込んだからであり、邪馬台国九州説の根拠だとも言われます。地名は土地の様子を表す普通名詞に近いものも多く、「笠置山」「三笠(御笠)山」「長谷」ぐらいなら共通するのも納得ですが、「朝倉」とか「春日」などになると、ただの偶然は言えないような。

「福岡」自体が黒田家ゆかりの岡山にある地名を持ってきたわけで、こんなふうに人工的要素が強い地名もあります。「岐阜」も「長浜」も個人が名付けた地名です。埼玉に「小前田」という地名があります。「おまえだ」と読みますが、なんてことのない普通の名前で人工的に付けたわけではなさそうです。ただ、これが秩父鉄道の駅名になっていて、この駅の手前では「次はおまえだ」と、謎の殺害予告をされる恐怖の駅名として有名です。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク