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2010年9月の6件の記事

2010年9月27日 (月)

ボストン美術館展をみにいきました

8月下旬、灼熱の京都に絵を見に行きました。

人がいっぱいでした~。

シスレーの風景画が見たくて行ったんですが、で、もちろんシスレーの絵はとても素敵だったんですが、入ってすぐのところに展示されていたエル・グレコの宗教画がたいへん印象的でした。『祈る聖ドミニクス』だったかな?

ぼくはクリスチャンではないのですが、なんといったらいいんでしょう、絶望的に神を求めるとでもいうんでしょうか、そういう切迫した心情が惻々と伝わってくるような気がしました。「敬虔」とはこういうことではないのか、と思わせるものがありました。

クリスチャンではないんですが、キリスト教には微妙に縁があります。

まず、幼稚園が『サンタマリアガーデン』というところでした。なんせ、先生のこと「シスター」と呼ぶんです。ぼくが教わったのは、シスターアンヘラ。名前はアンヘラですが、もちろん、ばりばりの日本のおばちゃんです。やさしく、おだやかな人でした~。

サンタマリアガーデンには半年ほどしかいなかったのですが、もっとも印象に残っているのは、「イエスは幼子を愛された」という話です。子ども心に癒されるといいますか、ぼくの無根拠な自己肯定感の、源のひとつになっているような気がします。無邪気でさえいれば、いつまでもイエス様が愛してくれるはずだ、という。

だから今でも子どもっぽいのか?  ・・・・・・ちっ。

大学は、哲学科に進んだんですが、カントとかハイデガーとかそういうかっこいい西洋哲学ではなく、「宗教学宗教史」というあやしげな専攻でした。

神学を研究している人がおり、アンチキリストを標榜する人がおり、日蓮正宗のお寺の息子がおり、インドネシアからの留学生(もちろんイスラム教徒)がおり、ただのインドマニアがおり・・・・・・と、今考えるとなかなかワンダーランドでした。もちろんぼくのような無宗教の人間も多数。

秋になると芋煮会という行事がありまして、河原や広場に行ってみんなで里芋と豚肉を煮て食べるんですが、ふとアメリア(インドネシアからの留学生)を見て、あっ。

「アメリア、それ豚肉なんだけど・・・」

「これ?」

「ちょっとまずいよね」

「まずい? おいしいよ?」

「いや、その、イスラム的に」

「うふふ、しかも今断食期間~」

といってアメリアはうまそうにビールを飲み干すのであった。

ま、イスラム教徒にもいろいろいるということですね。すごい美人で、自転車のことを「ちゃりんこ、ちゃりんこ」というのがとてもかわいかったですね。日蓮を読んではりました。ちゃんと漢文で読むんですよ! すごい才媛!

それはともかく、その研究室で『宗教学実習』だったかな、そういうあやしげな時間がありました。市内の宗教施設を大学院生の先輩と二人で訪問し、アンケート調査をしてくるんです。

神道系の班と仏教系の班、それからキリスト教系の班に分かれているんですが、ぼくはキリスト教系の班に。コンビを組んだ先輩はキルケゴールの専門家で、なんとデンマーク語がばりばりにできるという人でした。

「なに、サンタマリアガーデン? 西川、おまえもキリスト教系の幼稚園に行っていたのか? ということは、クリスマスにキリスト降誕の劇をやっただろう?」

「・・・・・・はっ! いわれてみればやりました」

「何の役だ?」

「・・・・・・! 羊飼いです。三人組の羊飼いのひとりで、星をみて、『あ、あれはなんだろう』って叫ぶやつの横でぼけっとしている役でした!」

「羊飼いの役というのは、いい役なのだ。」

「えっ、そうなんですか?」

「迷える子羊を導くのが羊飼いだからな」

「なるほど。」

「その点俺は、身重のマリアと夫のヨセフ(イエスの親ですね)に一晩泊めてくれと頼まれて冷たく断る宿屋の主人の役さ。・・・・・・筋金入りのアンチキリストなのさ、ふっ。」

「そんな役、園児にさせるのもどうかと思いますけど・・・・・・」

というわけでその先輩と実にさまざまなキリスト教系の施設(要するに教会、あるいはそれに類したところ)を訪問しました。

先輩が、「西川のいるうちに、できるだけ『一般的ではない』教会に行く」と宣言したため、なんというのか、いわゆる『一般的な』カトリックやプロテスタントの教会ではなく、どちらかというマイナーな、強烈なインパクトのある宗派のところにたくさん行きました。「西川のいるうちにって、どういう意味やねん」と思いながら・・・・・・。いや、そのころは関西弁をまったく使っていなかったので、「西川がいるうちにって、いったいどういう意味なのさ」みたいな感じか。

まあ、そういったいくつかの縁があるために、キリスト教関連のことがらには今でも多少の興味があり、ときどき聖書を読み返したりします。

聖書に書かれているいくつかのことがらは、中学入試でも「知っていてあたりまえの常識」として文章のなかに出てきたりしますから、コンパクトにそのあたりのことがわかる本を読んでおくのもいいかもしれません。

アダムとイブの話、バベルの塔の話、ノアの方舟の話、あとは・・・・・・何でしょう、それこそこのまえも書いたイスカリオテのユダの話あたりは一般常識とみなされているように思います。

すっかり絵の話ではなくなってしまいましたね。

ま、いつものことさ。

2010年9月22日 (水)

ダブルスタンダード

いまのパソコンから見るとショボすぎますが、480メガが主流の時代に買った960メガのパソコンは「大容量」ということでした。「信長の野望」というかなりの容量を食うソフトを入れても大丈夫なはずだったのに、それでも、「不正な処理が行われましたので、強制終了します」というフレーズが出てくるのですね。私はただ武田家と正々堂々と戦っているだけなのに、なぜ「不正」なのだ、正義に反した行いはしていなーい、と画面に向かって叫んでみても、もう帰らないあの夏の日……ということでソフトは閉じられてしまうのです。こちらがなんの指示も与えていないのに、パソコンが勝手に処理して、それを「不正」と言われましても、そりゃ納得できませんな、お代官さま……と言っても、あとの祭りです。ほんとにむかつきます。こういうことばを平気で画面に出せるセンスを疑います。

こういう人たちがパソコンのマニュアルを書いていたのですから、マニュアルも読めるはずがありません。意味不明のところばかりです。そういう下手くそなことばを使っているマニュアルがまた、くわしすぎる。最近はとくに、やたら分厚くなって、困ったものです。「猫をレンジに入れてはいけません」と書かなければ裁判でやられてしまうので、メーカーとしても、やむを得ないのでしょうが、分厚すぎると読む気がなくなります。ケータイのマニュアルなど、読む人がいるのでしょうか。と書いて、ケータイという略語にひっかかってしまいました。「ケータイ」って「携帯」ですから、「携帯電話」だけが「ケータイ」と言うのは変ですよね。「携帯灰皿」も「ケータイ」と言うべきだし、「携帯トイレ」も「ケータイ」のはずです。だいいち、「ケータイ」とは「持ち運びできる」「ポータブル」としか言っていない訳だから、大事な要素の「電話」の部分が抜けています。

むかし「へちまコロン」というのがありました。「オー・デ・コロン」の「オー」は「水」、「デ」は「の」、「コロン」は「コローニュ」という地名、つまり「コローニュの水」の意味なので、その「コロン」だけとってきて、へちまから作った化粧水を「へちまコロン」とは、トホホ……。「オー・デ・へちま」のほうがまだマシだったのですね。そういえば、一時はやった「なんとかピア」も同じパターンです。「ユートピア」を「ユート」と「ピア」に分けちゃいけません。いや、「ぴあ」でチケットを買ってゆくのなら「なんとかピア」もありですかね。

話をもどすと「ケータイ」は「携帯」ではなくなった別のものです。「柔道」が「ジュードー」と呼ばれる全く別の競技に変わったようなものです。ですから目くじらたてることもないのですが、それにしても、こういう略語の作り方はよいのでしょうか。ひとむかし前なら「ケーデン」になっていたはずです。四字熟語の省略形は「一字めと三字め」が基本パターンですから。一字めと二字めでは略にならんでしょう。「公衆便所」は「公衆」かい。「横断歩道」は「横断」かい。

もちろん実際には妙な略し方もよくあります。「就職活動」の「就活」はパターン通りですが、「結婚活動」の「婚活」は「結活」では意味がわかりにくいと思われたのでしょうか。二字めと三字めです。「ケッカツ」は発音しにくいし、音もきたない。「一般教養」の「般教」も同じで、「航空母艦」を「空母」としたのと同じですが、読み方が「ぱんきょー」なのが、いま風ですね。ふつうに読めば「はんきょー」になるはずです。

困った略し方としては、パターン通りではあるのですが、「西宮北口」の「西北」というやつです。むかしは「北口」という人も多くて、どこの「北口」やねんと思いましたが、阪急沿線で「北口」といえば通じていました。でも、「にしきた」は略したことばが方角を表す感じなので、本来なら避けていたはずの略し方でしょう。略した言い方が、もともと存在することばと同じになったらまずいと考えるのが自然だと思うのですが……。そういう気配りがなくなったのでしょうか。中には、略したことばから元のことばを推測しにくいのもあります。ベースアップの「ベア」もあまり賢い略し方ではないような気がしましたが、古いことばにもあります。大正時代にはやった「モボ」「モガ」なんて、ひどすぎます。「モダンボーイ」「モダンガール」であることがわかろうはずもなく。「キモい」なんてのはどうでしょう。「キモち悪い」の略ですが、「キモちよい」ともとれます。それに対して「キショい」は「キショくよい」であるはずがなく「キショく悪い」の略であることが明らかなので、ことばの「品格」としては、はるかに上だと言った人もいます。

よく似た形の「ウザい」は何でしょうね。「うざったい」の略であることはまちがいないようです。「うざったい」は東京の奥のほう、多摩とかそのあたりの方言だったと聞いたことがあります。それが東京の若者ことばとして使われだしたのですね。30年ほど前からでしょうか。そのころから、なんとなく「方言」が「かっこよい」ものでもある、という雰囲気が漂いはじめたようです。はやりのファッションに身をかためながらわざと「…するべ」と言ってみせたりする。つまり、「方言」自体がファッションになりだしたのではないでしょうか。その土地の出身でもないのに、わざと使うわけですから、「やぼったい」ものではない、ということですね。

ただ、テストの答えで方言を使われると困ります。低学年によくあるので、むしろこれは方言であることに気づいていないのでしょう。記述の中にたまに「……したらあかんから」なんてのがあります。話しことばとしては方言はOKですから、私などは授業ではべたべたの方言です。東京で授業していたときなどは、「大好評」でした。とくに、アクセントのちがいがおもしろかったようです。「橋の端を箸を持って走る」をNHKのアナウンサー風に発音したあと、これが大阪ではこうなると言って、べたべたの大阪アクセントでやると拍手までしてくれました。困ったのは、テキストの文章の朗読です。ふだん関西で読むときは意識していなかったのですが、基本的には標準語アクセントのつもりで、実はコテコテの大阪アクセントだったのです。東京では、朗読の際はNHKのアナウンサー、講義は「何してはりまんねん」の誇張された大阪弁でした。ダブルスタンダードってやつですかい。

2010年9月17日 (金)

授業開始時の会話

わし「こんにちは、諸君! お、なんだなんだ、人数が激減しているではないか」

生徒「クラス替えでみんな移動に・・・・・・」

わし「ろ、ろくにん! がひーん。」

生徒「少ないやろ」

わし「と、とにかく授業を始めよう、起立!」

生徒「ふぇーい」

わし「 人数が少なくてさびしいが、そのぶん元気を出してやろう! わしらの元気で人数の少なさをカバーするのだ! 手をあげるときは両手をあげろ! 返事は2回だ! わかったか!」

生徒「はいはい」

わし「そうだ、その調子だ! では始めよう、お願いします!」

生徒「お願いします」

わし「ちが~う! 『お願いしますお願いします』だ、わかったか!」

生徒「はいはい」

わし「そうだ、それでいいんだ」

生徒「はいはい」

わし「なんか微妙にバカにされているような気がするんだが?」

生徒「いえいえ」

・・・・・・

2010年9月12日 (日)

精読「おこだでませんように」

先日紹介した絵本「おこだでませんように」の詳細解説です。

この本を一緒に開きながら読んで頂けると幸いです。

読む=情報を引き出す

という立場で精読をしてみます。

まず、表紙なのですが、右を向いた男の子の顔です。

一見して「不敵な面構え」という印象。まゆ毛がつりあがり、白目の部分が目立つくらい、一点を凝視しています。

ただ! その目の下辺をよく見ると、涙が溜まっています。

怒っている、というのではなく、「泣くのを我慢していて、怒ったように見える顔」なのです。

扉のページ。どことなくくすんだ青空ですが、小学校の校舎らしきもの、七階建てくらいのマンション、赤い屋根の家などが見えます。

次のページで、外階段の集合住宅らしき赤い屋根の家が見えます。

男の子はうつむき加減で歩き、石をけっています。典型的な「しょんぼり」のシーンです。

注目したいのは、石垣のすきまから生える雑草などが比較的ていねいに書きこまれていること。

二ページ目。

仕事で帰りが遅い母の代わりに妹と遊んでやる「ぼく」の不満が書き連ねられています。

わがままを言う妹を叱ると、妹はすぐに泣くのだ、と言ったあとの、

「おかあちゃんが かえってくるまで ないている」というあたり、

妹が「涙を武器にしている」ことがうかがえて、きょうだいでは年下の方が世渡り上手なもんだよね、などと考えてしまいます。

絵の方に目を移すと、妹の言う通り下手な「ぐちゃぐちゃの」折り紙、ねずみのぬいぐるみ、絵本などが床に置いてあって、妹をあやすためにいろいろ苦労した「ぼく」の肩をもってやりたくなります。

いかにも質素な暮らしをしている風なんですが、低いタンスの上に飾ってある写真は「母・ぼく・妹」の三人だけのようです。

次のページでは、母親の手だけが描かれています。その手は、「さしのべられる手」ではなく、「指差し、指摘する手、追及する手」です。

表紙の絵によく似た構図の「ぼく」の横顔が描かれています。しかし、まだ涙は浮かんでいません。妹は右上に小さく描かれ、「思う存分泣いている」という体です。

「けれど、 ぼくが そういうと、 おかあちゃんは もっと おこるに きまってる」

ぼくは何も言い訳せずにだんまりを決め込みます。

次のページは左右に分かれていて、

カマキリを女の子たちの前に差し出している「ぼく」、怖がって泣いている女の子、後ろから恐い顔でどなっている男の先生、が描かれています。

「ぼく」は、女の子をからかおうとするような顔でもなく、先生に叱られてしまったという顔でもなく、「何で泣いているんだろう」という思いの外素朴な表情です。

右のページは、マスクをして給食係なんでしょうか、「ぼく」の前には山盛りになって食器からこぼれそうなスパゲティが置かれ、その前で待つ男の子はよだれをたらしてうれしそうです。

女の先生が制止しようとしていますが、「困った顔・迷惑そうな顔」です。貼り紙の「のこさずたべよう」があることから、「ぼく」はその指示に従ったのかもしれません。

少し飛ばしますが、

「あーあ、ぼくは いつも おこられてばっかりや」がくり返されます。

「おかあちゃんも せんせいも ぼくをみるときは、いつも おこった かおや」

のページでは、ノラネコをひろってきたらしい場面が描かれています。困った顔のおかあちゃんですが、玄関の靴箱の上には、カタツムリ・バッタ・金魚などのケースや水槽が置かれ、生き物が好きな「ぼく」の人物像がうかがえます。おかあちゃんもある程度許してはいるのでしょう。

よい子になりたいと心では願っても、なぜか大人たちからは叱られてばかり。考えてやったこと、いっしょうけんめいにしたことが裏目にでてしまう情けなさ。そういう思いにうちひしがれている「ぼく」の気持ちが伝わってきます。

さて、いよいよ「七夕の短冊に願い事を書く場面」です。

他の児童たちは、早々と願い事を書き、外へ遊びに行くようです。

早く書きなさいと先生にまた叱られながらも、

「いちばんの おねがい」を黄色い短冊に書いていきます。

次のページでそのお願いが明らかになります。

黄土色の机の上におかれた黄色い短冊。その横には、いかにも勉強のできない子が持っていそうな、反対側が「カミカミ」されて凸凹になっているえんぴつ。むしってちぎられた消しゴム。小学校のとき、えんぴつに歯形をつけた子を馬鹿にしていたわたしの記憶がよみがえりました。

「おこだでませんように」

先生が泣いている場面。

しゃがんで、「ぼく」と同じ高さになって、頭をやさしくなでています。

「ぼく」は、喜んでいるというより、驚いている顔。

「さっそく おねがいが かなったからや」と驚きの理由が書かれています。

そして、私がこの絵本で一番好きなページが次のページなのです。

「そのひの よる、せんせいから でんわが あった」

長い電話のあと、「ぼく」をだっこしてくれたおかあちゃん。

テーブルの上におかれたコーヒーカップには、小さな笹と、短冊が。

ピンクの短冊には「おりがみがじょうずになりたい」

赤い短冊には「おこだ×られませんように」

黄色い短冊には「みんながげんきにくらせますように」

と書かれています。

最後のページでは、笑顔のまま眠る「ぼく」が、星をちりばめた宇宙にうかぶ布団とともに描かれています。

「たなばたさま ありがとう」

「おれいに ぼく もっと もっと ええこに なります」

私の経験でも、「ええ子」に変身した子が何人もいました。

その子の周りには、短冊を見て涙を流して子どもに謝ってくれる先生、その先生から電話をもらって、その電話に感謝して自分の至らなさにすぐ気づく母親、のような大人たちがきっときっといたことでしょう。

自分も、そういう存在でありたい、と思い直しました。

2010年9月 7日 (火)

小学生のときに読んだ本⑥

ハイエルダール『コンチキ号漂流記』

世界最強といわれた日本人クライマー山野井泰史さんが、カヤックだかカヌーだかを漕いだときに、垂直の魅力にとりつかれている自分だけど水平の魅力も悪くない、どこまでも漕いでいきたくなると文章に書いていましたが、まさにそんな感じの魅力満載です。

筏で太平洋をわたるなんて憧れますねぇ。朝起きるとトビウオがたくさん甲板に落ちていて、それを拾って食べる、なんて書いてあるんです。もうたまらないです。しかし、彼らは西洋人なので、それをフライにして食べるのだ。もったいない! なぜ刺身にしないのだ!

こういうサバイバルな感じ、いいですねぇ。アウトドアの原型はサバイバルだ!

山に行くと師匠のY田M平先生が、「お、このキノコは食べられるキノコですよ、あとでみそ汁に入れましょうか」などと軽々しく言うのですが、こういう人が山で調子にのって笑いがとまらなくなったりするんでしょうね。

そういえば学生時代、金に困った友人が、食べるものがなくて、近くの空き地からよもぎを引っこ抜いてきて、みそ汁に入れて食べたーと言ってました。

僕も学生時代は相当貧乏して、ガスや電気を停められたことがありましたが、草は食べなかったな~。

今どこかの大学で経済学の先生になってる先輩は、タバコを買うお金がないので、落ち葉を刻み、それを辞書を破った薄い紙で巻いて吸ってみたと語っていました。ワイルドな人でした。黴のはえた餅を「三色餅~」とか言って食べてましたしね。青カビはともかく黒や赤はやばいんじゃないかな~と思うんですけどね。

でも、すごい勉強家でちょっと憧れてました、とうてい真似できないんですけど。大学の研究室に寝泊まりして、夜中の3時まで勉強し、朝は9時に起きてまた勉強してました。体がなまらないように、腕立て伏せをしながら本を読んでいるという噂もありましたねー。サークル室の黒板に「少年老いやすく老人死にやすし」という、何が言いたいんだかさっぱりわからない格言を書いたりしてました。

おっと、『コンチキ号』の話でした。毎度話がそれまくりです。

ハイエルダールは民族移動に関する自説の難点を解消するために筏で太平洋を渡るんですが、肝心のそのアイデアは現在ほぼ否定されているようです。

民族の移動って、ロマンですよね~。

僕は、印欧祖語の話にすごくどきどきしてしまいます。

インドからヨーロッパにかけてさまざまな言語が広く分布していますが、それらの言語の共通の「もと」になった言語があったとされていて、印欧祖語と呼ばれているんですね。で、その言語を話していた民族はどうもカスピ海の北辺あたりにいたんじゃないかと考えられているそうです。ただこれには異論もあって、どこにいたのか結構議論になっているとか。日本の邪馬台国論争みたいなものですね。その民族が、紀元前何千年だか忘れましたが、インド方面とヨーロッパ方面に分かれて移動していったと考えられているんです。なんかこう、ぞくぞくしてきませんか?

邪馬台国よりそっちの方に心惹かれてしまうのはなぜなのかなあ? やはり前世が中央アジアの遊牧民族だったんじゃないかな。そうだったらいいんですけど。馬に乗ったりしてかっこいいし。

そういえば中央アジアを旅行したときに、カラクリ湖というおそろしく美しい湖のほとりでキルギス人に「ラクダに乗らないか」と誘われ、ちょっと高山病が出てふらふら気味だったんですが、ラクダに乗る機会なんてそうそうないからな、こいつは乗っとかないと後悔するな、と思って乗せてもらったんです。

それが母ラクダだったんですね。僕を乗せた母ラクダが立ち上がると、子ラクダがさびしそうに一生懸命すり寄ってくるんです。

そうしたらキルギスのおっちゃんが大声で怒鳴りながら子ラクダをしばくんです。まわりの人たちが(といってもキルギス人ばかりですが)何だ何だみたいな顔でこっちを見るでしょ。

こ、これは、なんか俺、すごくいやな奴みたいな感じになってるのでは?

金にあかしてラクダ親子の間を引き裂く、金満大国日本からの旅行者、みたいな?

乗るんじゃなかったと後悔しました。

(西川)

2010年9月 2日 (木)

小学生のときに読んだ本⑤

とらとらねこちゃん  上崎美恵子・西村郁雄

結構印象に残っている話ですが、いつごろ読んだものやら?

低学年だったと思います。女の子に借りて読んだような微妙に甘酸っぱい記憶が・・・・・・。

主人公が女の子でした。僕は主人公が女の子の物語はあまり読まないので、なかなかレアなケースです。

なぜ女の子が主人公だと読む気が起きないのかなあ? 少女マンガはよく読んだのに。松苗あけみさんとか岩館真理子さんとかくらもちふさこさんとか・・・・・・少女マンガ全盛期でしたねぇ。女の子って、全然わしら男とはちがうんだのう、と勉強になりました。

『とらとらねこちゃん』は、主人公の女の子がネコを拾うところから始まっていたと思います。トラみたいな模様のネコなんですが、何かきっかけがあると(どんなきっかけかは例によって忘れました)トラに変身してしまうんです。そういう話です。しかもトラになると空を飛べるとか飛べないとか・・・・・・ああ、あやふやだ。そもそもネコを拾うんじゃなくてトラの姿でいるのを見つけるんだったっけ?

強い動物、あるいは速い動物をしたがえてるのって、憧れますよね~。

『バビル2世』のロデムとか。『海のトリトン』のイルカとか。

白土三平『カムイ伝』のカムイが鷹を腕にとまらせているのも渋かった。

白土三平といえば、昔『サスケ』がアニメ化されていて人気でしたが、後に原作マンガを読むとラストのあまりの悲惨さにびっくり。カラオケでよく『サスケ』の主題歌を歌いましたが(いまだにナレーションの部分から言える・・・・・・)、なんだか脳天気に盛り上がっていたのが申し訳ないぐらいの悲惨さでした。

村上春樹の短編に、結婚式に出ると眠たくなる主人公の話があり、居眠りをしてしまった主人公が「シロクマといっしょに窓を割って歩く夢を見た」と彼女に語るのを読んで、激しく「いいなあ」と思った覚えがあります。

シロクマというところが何となく村上春樹っぽいですね。僕だったらやはりヒグマかなあ。

ヒグマと肩を組んで飲み歩いたりしてみたいです。ふたりともべろんべろんになって、ゴミ箱けっとばしたりして。みんなヒグマが怖いから寄って来ないんです。で、酔いつぶれてヒグマにおんぶしてもらう、と。ヒグマはタクシーに乗ろうと思うんだけど、運転手に断られちゃうんですよね。「酔っぱらいとクマはお断りだよ」とか言われて。それで、僕をおんぶしたヒグマがとぼとぼ夜の街を歩いて帰るんです。たまんないな。二日酔いになって、縁側でヒグマの腹を枕に昼寝したりして。 

そういえば(と、とめどなく脱線していくわけですが)、以前に蛭子能収というマンガ家が、お葬式に出ると笑いがとまらなくなると不謹慎なことを言っていましたが、これはどういう心理なんでしょうね。結婚式で眠くなるのとはまた全然ちがうんでしょうね。たぶん、いつでも心がその場から半分はみ出しているというか、自分がいる場面を、外から見てしまうんでしょうね。異化作用というと立派過ぎるかもしれませんが、一歩も二歩もひいたところから、これはいったい何だろうと白紙の気持ちで見直してみると、いろいろなものがへんてこに見えてくるのと同じなのかなと思います。

たとえば、会社の行き帰りなんかに、いつもの見慣れた風景をちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、よ~く見るんです。はじめて見る風景を見るようにして。

すると、見慣れたはずの風景が、妙に新鮮に見えてきたりします。それとどこか似ているんじゃないかと思うんですけど。

これは確か太田省吾という劇作家が『劇の希望』という本に書いていたんじゃなかったかなあ。いつもの風景をちょっとだけよく見る、だったか、ちょっとだけ角度を変えて見る、だったか。太田省吾さんは、「いつもの」とか「見慣れた」とかいった枠組みでものを見てしまう、そういう心のあり方を問題にしていたように思います。

もちろん、「いつもの」「見慣れた」だから良いんだというとらえ方もあります。そういうふうに思えるのなら、何も問題ないわけです。

そうではなくて、「いつもの・・・・・・」「見慣れた・・・・・・」だから飽き飽きした、自分の生活には(ひいては自分の人生には)何もない、というとらえ方に傾いてしまうと、日常は生彩を欠いて苦痛なものになってしまいます。

それは、自分の生活や人生というものを「劇の視点」でとらえようとするからそうなってしまうんだと、太田省吾さんは書いていました(確か)。劇的なことが起こるのが当たり前である劇の視点、ではない視点で、日常を豊かに感じることのできるような視点でものを見ることができれば、それにこしたことはないように思います。

ああ、話がそれっぱなしだ・・・・・・。どうしたらいいんだろう。

さあ、そこで、『とらとらねこちゃん』!

「いつもの」「見慣れた」日常が苦痛なあなたに!

何の変哲もないネコがトラに!

そして、「とらとらねこちゃん」が最後に選ぶ生き方とは!

乞うご期待!

現在おそらく入手不能!!

(西川)

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