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2025年5月31日 (土)

誰とは言わない

神話には「十束剣」と呼ばれるものがたびたび出てきます。「とつかのつるぎ」と読み、「十拳剣」など、いくつかの書き方がありますが、要するに拳十個分の長さの剣ということでしょう。スサノオがもともと持っていた十束剣は、「天羽々斬」と言います。「あめのはばきり」で、「はば」とは大蛇のことだと言われますが、ヤマタノオロチの尾の中にあった剣に当たって刃が欠けたのですね。その剣が「天叢雲剣」、つまり三種の神器の一つ、「あめのむらくものつるぎ」です。スサノオがアマテラスに献上した後、伊勢神宮にあったものを、東征に向かうヤマトタケルに、その姉が渡します。敵の放った野火に囲まれたとき、その剣で草をなぎはらって難を逃れたことから、「草薙剣」と呼ばれるようになります。剣はヤマトタケルの妻とその一族の尾張氏が尾張国で祀ることになり、これが名古屋の熱田神宮の始まりです。

十束の剣や草薙の剣という名が示すように、これらは「剣」つまり直刀で、後の時代の太刀とはちがいます。はじめのころの武器は、おそらく長い棒だったのでしょう。やがて、金属を長く薄く加工できるようになり、棒のかわりに登場したのが剣です。だから、直刀であり、両刃になっています。斬るのではなく、突き刺すようにして使っていたのでしょう。刀は両刃ではなく、片刃です。片方の刃なので「カタハ」、それが訛って「カタナ」になったとか。「両刃の直刀」が、いわゆる日本刀と呼ばれるものにかわったのは、平安時代末期の武士の登場のころです。「太刀」と書いて、「たち」と読みますが、語源は「断ち」と言われます。突いたり、叩き斬ったりしていた剣とは違って、武士が馬上で使いやすく、反りを加えて斬れ味を増して相手を断ち切る「太刀」に進化したのでしょう。

身に付けるやり方も違っていて、剣は紐で腰のところにぶら下げます。太刀も初めの頃は太刀紐を使って水平になるように固定していました。これを「刀を佩く」と言います。元寇以降に流行した大太刀は、大きすぎて佩くことができず、背負っていましたが、やがて登場したのが打刀と呼ばれるものです。これは帯にはさんで腰に差すのですね。脇差とともに帯の間に入れて固定するので、武士のことを「二本差し」と言ったりします。差すときの角度にも、いろんなバリエーションがあったようで、それを藩で決めているところもあったとか。

吊す「佩刀」に対して、刀を差すことを「帯刀」と言いますが、こう書いて「たてわき」と読むことがあるのも「太刀を佩く」から来ています。皇太子護衛のための「帯刀舎人」と呼ばれる武官がいました。「たちはきのとねり」、訛って「たてわきのとねり」と呼ばれることもありました。その長官が「帯刀先生」で、「せんせい」ではなく「せんじょう」と読みます。一番有名な「帯刀先生」は源義賢です。義朝の弟、義仲の父親です。「帯刀」は武官なので、武士たちが自分で勝手に名乗る官職名としてもよく使われました。薩摩藩の家老で、幕末に活躍した小松帯刀が有名です。

「帯同する」という言葉を聞くことがありますが、これはどんな感じでしょうか。「帯」の意味から考えて、だれかを連れてゆくということでしょうね。「連行」となると、無理矢理感が漂います。「同行」は単に一緒に行くということで、「署までご同行願います」とか、よく聞きます。これを拒否するとどうなるのでしょう。「任意ですよね。だったらお断りします」とテレビのドラマで言っているのを真似して実際に言ったらどうなるのかなあ。でも、そういう場面に遭遇したときに一度は言ってみたいセリフではあります。

同様に「やっちゃん用語」もテレビの真似をして使いたくなるのですね。芸能界を仕切っていたのは、昔は「やっちゃん」だったので、芸能人の使う言葉とも共通点があります。言葉の上下をひっくり返す、というのが代表的なもので、一時期「まいうー」というのがはやりました。ひっくり返すだけで、瞬間的に意味がわからなくなるので、隠語として使えるのですね。昔、「ノサ言葉」というのがありました。文の途中途中に「ノサ」という言葉を入れていくだけで、意味不明の文になります。「はのさるになのさってさのさくらのさがさいのさた」というように。こうなると、もはや暗号です。クレイグ・ライスの『スイート・ホーム殺人事件』にも、子供たちの会話の中で、この「はさみことば」が使われる部分がありました。ホームズの暗号ものでも、何字めかおきに読めば意味が通じるというのがありますし、江戸川乱歩の『二銭銅貨』にも、このパターンが使われていました。以前、日本軍の暗号として、電話で堂々と鹿児島弁でしゃべる、というのがあったことを書きました。日本語のわかるアメリカ人でも、盗聴していて生粋の薩摩言葉を早口でしゃべられたら意味不明でしょう。鹿児島弁の特徴として「促音化」というのがあります。「くつ」も「くち」も「くび」も「くっ」になります。また「灰」も「蝿」も「へ」と発音されるので「屁」と区別がつきません。まあ文脈で判断するしかありませんね。

方言でなくても文脈で判断しなければいけないのは同音異義語です。「今日コウエンに行った」と言われても、「公園」か「講演」か「公演」かわかりません。自分はわかっているのだから相手にも伝わるだろうと思ってしまうのですが、聞かされたほうは瞬間的には理解不能です。そのあとの話の展開から何とか見当を付けることもありますが…。そういったことをあらかじめ防ぐ方法として「わたくしりつ」や「かねへん工業」と言ったりしますね。「市町村」と言うのが普通ですが、兵庫県のように「村」がない場合には「市町」になってしまいます。ところが、これは「市長」とまぎらわしい。だから地元のニュースを伝えるアナウンサーはあえて「しまち」と読むそうです。そういうことを知らずにクレームをつける人もいるそうです。全くの同音ではありませんが、「首長」をわざと「くびちょう」と読むのも同様です。「しゅちょう」と「しちょう」が聞き取りにくいので、「大阪のしちょう」なのか「大阪のしゅちょう」なのかを区別しようということですね。でも、「くびちょう」は「くみちょう」と聞き間違えられるかもしれません。文脈上は混同しないでしょうが、その首長の見た目や雰囲気によっては…。誰とは言いませんが。

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