弁天は梵天の妻
言葉の元の形をさぐるということは、語源を考えるということにもなります。沖縄ついでで言うと、「西表」をどう読むか。なんと「いりおもて」なんですが、別段不思議なことはない。西は太陽が沈む方向、海から出た太陽が海に入るから「イリ」、反対に「東」を「アガリ」と読むことがあるのも納得です。
春分・秋分の日が「彼岸」になるのは、太陽が真西に沈み、西を意識するからだと言います。なぜなら、西の果てにあるのは「浄土」だから。ところが、実は「西方浄土」に対して「東方浄土」というのもあるのですね。芥川の『蜘蛛の糸』では極楽にお釈迦さまがいることになっていますが、それはまちがいで、西方浄土にいるのは阿弥陀如来です。一方の東方浄土にいるのは薬師如来なんですね。西方極楽浄土に対して東方浄瑠璃浄土と言います。「瑠璃光世界」と言うこともあります。山口県の瑠璃光寺の本尊が薬師如来であるのも偶然ではないということです。ちなみに、民間芸能としての語り物に『浄瑠璃御前物語』というのがあります。これが大ヒットしたので、このような語り物を「浄瑠璃」と呼ぶようになり、江戸時代にはいって生まれたのが人形浄瑠璃です。浄瑠璃御前は三河国の長者の娘で、東国に赴く途中の源氏の御曹司、牛若丸と恋に落ち、結ばれるということになっています。この名前は、薬師如来に願って授かった子を、薬師如来の浄土である浄瑠璃世界にちなんで命名したものです。
「如来」というのは、悟りを開いた者という意味で「仏陀」も同じような意味らしい。「菩薩」というのは、悟りを開く一つ手前で、仏陀になるという請願を立てて修行している者のことだとか。したがって、如来というのはたくさんいることになります。その中でも阿弥陀如来というのは、釈迦如来の師匠という位置づけで、すべての如来の中でいちばんえらいのですね。阿弥陀如来は法蔵菩薩と呼ばれていたときに、すべての人を救うために四十八の請願を立てたそうです。で、この請願を特に「本願」と呼ぶところから来た名前が「本願寺」です。阿弥陀如来の名前を呼べばお迎えに来てくれる、これが本来の「他力本願」ですね。そのときの合い言葉が「南無阿弥陀仏」です。
国宝彫刻第一号となった広隆寺の仏像が弥勒菩薩です。思索にふけっているようですが、悟りを開くための瞑想なのでしょう。56億7千万年後の未来に次期仏陀として現れて人々を救済するまでは兜率天で修行をしていることになっています。菩薩も如来同様たくさんおり、さらにその下には「明王」と呼ばれるランクがあります。これは密教系のようで、不動明王が有名ですが、愛染明王とか孔雀明王などの名前もたまに聞きます。『孔雀王』というマンガもありました。「明王」の下が「天部」で、これがなかなか面白い。輪廻転生する六つの世界の最も上の天界の住人という位置づけです。悟りを開いて輪廻転生のループから抜け出ることによって救われる、というのが仏教の基本的な考えなので、天人たちは煩悩から解放されておらず、死んで転生することになっています。
四天王や金剛力士、十二神将などは、この天部に属しますが、面白いことにバラモン教の神々もここに入れられているのですね。お釈迦様より前のインドで広く信仰されていたのがバラモン教で、今のヒンドゥー教の元になったものです。ウルトラシリーズに出てくる怪獣の名前みたいですが、「婆羅門」という漢字をあてると急に神秘的な感じになります。英語では「ブラーフマニズム」で、創造神の名前が「ブラフマー」、これに漢字をあてたのが「梵天」です。お釈迦様が悟りを開いたあと、その教えを人々に広めなさいと勧めたのが梵天だということになっています。ただし、お釈迦様は最初「そんなの、かったるいしー」と言って断ったらしい。伊達政宗の幼名は梵天丸でした。耳かきのうしろについている綿のこともなぜか「梵天」と言います。
梵天とセットになるのが「帝釈天」で、二つまとめて「梵釈」と言うぐらいなのですが、なぜか葛飾柴又にあるお寺では帝釈天だけが祀られています。もともとはやはりインドの神です。雷神インドラのことで、奥さんの父親は正義の神「アシュラ」と言います。ところが、実はこの奥さんはインドラが無理矢理奪い取っていったものだったので、怒った阿修羅が戦いを挑みますが、力の神でもあるインドラに勝てるはずもありません。それでも戦い続けたところから、この戦いを「修羅場」とよぶようになりました。奮闘する様子を「阿修羅のごとく」とたとえることもあります。仏教に取り入れられてからは仏教の守護者になって、なぜか少年のような姿になってしまいました。でも、この話ではどう考えても帝釈天のほうが悪いような気がします。
お稲荷様の正体とも言われる荼枳尼天については前にも書きました。大河ドラマのタイトルにもなった「韋駄天」というのもいます。鬼が仏舎利を盗んで逃げ去ったときに追いかけて取り戻したそうで、そこから足の速い人を「韋駄天」と言うようになりました。四天王は「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天(毘沙門天)」で、その子分の三十二将のトップが韋駄天です。清水の大政みたいなものです。このたとえはだれに通じるのかなあ。韋駄天はお釈迦様の食べ物を手に入れるために、その俊足を活かしてあちこち走り回った、ということから「ご馳走」という言葉が生まれました。
ほかに天部の有名どころでは、大黒天、摩利支天、吉祥天、弁財天などがいます。吉祥天は毘沙門天の奥さんですが、弁財天と重なる部分が大きく、七福神にはいっているのも、もともとは吉祥天でした。弁財天は「弁才天」と書くのが本来の形で、インドでは水の神様でした。琵琶を持っているところからもわかるように、音楽の神でもあるのですが、福徳の神でもあるところから「財」の字をあてるようになりました。各地に「銭洗い弁天」というのがありますが、弁天は財を与えてくれるのです。いちばん有名な鎌倉の銭洗弁天では、境内の洞窟の中の水で硬貨を洗うと増える、という言い伝えがあります。源頼朝が建てた神社で、最初に「銭洗い」をしたのは執権北条時頼だと言います。歌舞伎に出てくる「弁天小僧」が人のお金をまきあげる盗賊の一味であるというのもなんだか面白い。