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2025年2月17日 (月)

動く土方

倹約の指示を守らない、ということでは、徳川吉宗に逆らった徳川宗春がなかかな豪快でした。吉宗の緊縮財政に対して宗春の尾張藩では規制緩和、消費拡大をすることによって経済の活性化を目指しました。最終的に宗春は敗れましたが、当時の経済政策としては、どちらが正しかったのか。質素倹約を旨とした吉宗に対して厳しい評価をする人も多いようです。それでも、NHKの『大奥』というドラマでは、相当かっこよく描かれていました。演じたのは女性でしたが…。男性しか、かからない病気がはやったため、男性の数が少なくなり、女性将軍が誕生する、というトンデモドラマです。マンガが原作でしたが、結構見ごたえがあって、家康を主人公にした大河ドラマをやめて、こっちを大河にすればよかったのに、と思うレベルでした。ラストの場面で、女性将軍に仕えた男性たちが明治になってアメリカへ向かう船旅をしているとき、乗り合わせていた一人の女の子と出会います。新時代を担う女性としてアメリカ留学をしようとしている津田梅子でした。

津田梅子は新紙幣の肖像画に選ばれました。三枚のうち一枚は女性にする、ということになっているのでしょうか。樋口一葉に引き続いての起用です。昔は神功皇后が紙幣のモデルに使われていましたが、伝説上の人物です。それに比べれば実在はしているものの、一葉にしろ津田梅子にしろ、もはや歴史上の人物であって現代人ではありません。紙幣のモデルとしては現代人はだめなんですね。いずれ評価が変わるかもしれませんから。評価が定まるまでにはある程度時間がかかります。安倍さんなら故人だからいいか、というわけにはいきません。

でも中国では毛沢東ですね。比較的新しい時代です。中国の国内ではだれも文句を言わないのかもしれませんが、日本で同じようなことをすると物議を醸しそうです。評価が変わるからまずい、というのなら人間にこだわる必要はないかもしれません。かといって妖怪ではだめでしょう。ぬらりひょんや砂かけばばあのお札、なんて何だかなあ。アマビエもブームが去りましたし、第一あのヘタヘタな絵ではお札としての信用がなくなりそうです。では、鳥山石燕とか月岡芳年の絵はどうでしょう。江戸川乱歩や三島由紀夫が激賞した「血まみれ芳年」の絵は凄みがありすぎですが、日本独自のものだし、不気味な絵のお札というのもなかなかユニークです。「血まみれ」でなくても、武者絵など芳年の描くものはなにしろかっこいい。人物以外では富士山などはありきたりだし、金閣も新鮮味はなさそうです。思い切って浅草雷門なんて斬新かもしれません。ひとむかし前なら、道頓堀の「くいだおれ太郎」とか、グリコの看板とか。思い切って、「づぼらや」のふぐ、なんてのもありましたが。でも、こうなると、かなり俗っぼくはなりますが。

日本では、電子マネーよりいまだにキャッシュの需要が大きいようです。電子マネーは高齢者には使い勝手がよくないということもあるでしょうし、ひょっとして信用に問題があるのかなあ。日本銀行券に対する信用は絶大なものがあるのでしょう。よその国から見たら時代遅れと言われても、信用できるお金が使える、というのは自慢できることなのかもしれません。同じような現象は本についても言えます。電子化の波の中で紙の本は消えるだろうと言われていたのに相変わらず残っています。新聞をとる人はどんどん減っているし、町の本屋さんもつぶれてしまっているにもかかわらず、大書店やネットで購入される紙の本は人気がおとろえません。本はやはり手に持つ感じ、一ページずつめくっていく感触がよいのでしょうね。

でも、紙だからよいのであって、木簡を使っていた時代は、手に持つとさぞ重たかったでしょう。木や竹を束ねたものをノートとして使うなんて思うとたいへんです。紙の発明はすばらしかった。木簡から紙に変わっても、筆はそのまま使われていました。またまた大河ですが、『光る君へ』では登場人物が筆を使って字を書くシーンがよく出てきました。かなり練習をしたようで、なかなかの達筆です。筆で書かれた、こういう字が芸術として扱われるのも面白いですね。アルファベットではこうはならない。それどころか、書道として「道」になってしまいました。その時代の三名人をまとめて「三筆」と言いますが、最も有名なのは空海・嵯峨天皇・橘逸勢です。前の二人はともかく橘逸勢とは何者? ほとんど知られていないのが可哀想です。同じく三蹟と呼ばれるのが小野道風・藤原行成・藤原佐理ですが、佐理とは何者? 道風はカエルで有名ですし、行成は大河ドラマで知名度が上がったのですが…。

 まあ、三大ナンチャラというのは三つ集めるために無理矢理ねじこんだというところがあります。三大大声というのは豊臣秀吉以外わからない、ということになっていて、それは三大ではありません、とつっこみたくなります。世界三大美人は楊貴妃・クレオパトラ・小野小町。小野小町は日本でしか通じない。では、日本三大美人は? ここにも当然、小野小町がはいります。他に、藤原道綱母・衣通姫。やはり最後の衣通姫は伝説上の人物です。でも、まがりなりにも三大美人はいるのに三大美男子がいないのはなぜでしょう。今どきは美人や美男がどうのこうのとは言いにくい時代ですが、ひょっとして美男子はほめ言葉ではなかったのかも? 男どもは女の人を見た目で評価するくせに、自分たちは姿かたちで評価されたくないという気持ちがあったのかもしれません。

そうなると、在原業平は別格ということになります。六国史の『三代実録』に「体貌閑麗」と書かれています。ふりがなをつければ「イケメン」ということになるでしょうか。あくまでも平安時代の基準なので、今の時代に連れてきたらどれぐらいのレベルなのかわかりません。ドラマで美男として描かれる人はたしかにいます。源義経もイケメン枠に入れられますが、実際には不細工だったそうな。たしかに、義経の姿を描いたとされる絵を見ても、「こ、これは…」という感じです。沖田総司もイメージとはかなり違ったようです。土方歳三は写真が残っており、たしかに悪くないですね。今は写真一枚あればAIを使って動かすこともできるので、土方の動く姿が映像化されても不思議ではありませんが、それもなんだか、です。

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