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2011年7月の3件の記事

2011年7月24日 (日)

パワースポットはもう古い、これからはパワーアニマルの時代!(光年のかなた⑤)

先日テレビを見ていたらイノシシにケガをさせられた方のことが報道されていました。また、その数日後には不運にもクマにおそわれた方の報道もありました。

いや、実は、私もクマに遭遇したことがありましてね(ちょっと自慢)。しかもあのヒグマ。ホッキョクグマ・グリズリーに続いて世界で3番めにでかいクマ、ヒグマです。

あらかじめお断りしておきますが、クマ牧場や動物園で遭遇したというようなはしたないオチではありませんよ。

20××年7月に北海道の大雪山を縦走したときの話です。

例によってといいますか、いろいろひどい目にあっているにもかかわらず、そのときも私はまたテントを担ぎひとりで山に入ったわけです。

北海道の山といえば、ヒグマとキタキツネが怖いですね。キタキツネが怖いというのは、あれです。エキノコックス。ご存じですか。潜伏期間10年、生存率30%ともいわれる悪魔のような寄生虫です。キタキツネちゃんのうんちを介してこの寄生虫の卵が水場を汚染している可能性があるので、テント場で汲んだ水は必ず煮沸して利用します。めんどくさがりで、山にいるとどんどん汚いのが平気になっていく私もさすがにこまめに煮沸しました。

ちなみにそのキタキツネちゃんにも会いました。山に入った初日に、登山道を普通にてくてく歩いておりてきたんです。ひどく目つきの悪いキタキツネで、僕の方がぎくっとしてしまい、立ち止まって息を殺していたら、じろりと僕を一瞥して足もとを通り過ぎていきました。怖かった~。あれは不良ですよ不良。キタキツネの好きな食べものを持っていたらカツアゲされたにちがいありません。

さて、ヒグマです。

キタキツネに脅された翌日はひどい雨と風で、寺山修司の『田園に死す』に出てくる恐山みたいな荒涼とした道を半泣きになりながらひたすら歩くはめになりました。よく見ると高山植物がたくさん咲いているんですが、山は何もかもお天気次第です。晴れていたら、この世のものとは思えないほど美しい、楽園のような世界になりますが、雨風が強いと、この世のものとも思えないほど陰鬱な、冥界のような場所になります。

で、その次の日です。その日はわりと長丁場といいますか、長時間歩く予定になっていましたが、前日とちがって天気がまずまずだったので、夜明け前にテント場を出て、目的地のトムラウシ山(えーと、一昨年でしたか、遭難で、確か8人?亡くなられたところ)をめざし、調子よくルンルン歩いていました。

僕は歩いていて人に抜かれるのがすごく嫌いです。後ろから人の気配が近づいてくると、むきになってスピードを上げてしまうタイプです。車を運転しているときはホイホイ道を譲るんですけど。

ところが、その日は、歩き始めてすぐに背の高い男性が近づいてきて、ちょっと対抗する気にならないぐらい速かったものであっさり道をあけました。ザックのふくらみ具合から判断して、テント泊ではなく小屋泊まりらしかったので、「しょうがないさ、荷物の重さがちがうんだ」と自分をなぐさめつつ。

その後数時間だれにも会わず、いかにもヒグマの出そうな風景のなかを、クマよけの鈴をちりんちりんと鳴らし、ときどき「ヒグマちゃん来ないでね~」と叫びながら、快調に歩き続けました。

いくつかピークを越えてその日の行程の半分を過ぎたあたりでしょうか、先ほど僕を追い抜かしやがりなさった男性が戻ってきたのです。ちょっと不思議でした。ピストンするようなピークはこの先にはないはずです。まさかトムラウシまで行って戻ってきたはずはないし・・・・・・と思いつつしばらく歩くと、

いたのです、奴が。

雪渓を100メートルほどトラバースした先の登山道付近でした。食べものをさがしているふうで、鈴をちりんちりん鳴らしてもまったく気づきません。

くそう、これか。こいつに気づいて引き返したんだなあの野郎、何で俺に教えてくれねえんだ!

そう、これは本来ならば大急ぎで引き返すべき場面です。100メートルの距離なんて、本気でヒグマさまが向かってきたら逃げ切れません。

しかし僕には予定があるのです。俺は今日中にトムラウシのテント場に行ってビールを飲みたいんだ!

そこでさらに激しく鈴を振るのですが、まったく無視。

で、私は勇敢にも雪渓を踏んで少し近づいてみることにしたわけです。鈴を鳴らしながら。

えーと、くり返しになりますが、これはほんとうは決してやってはいけないことです。Y田M平氏いわく、「ヒグマに遭遇した時点で遭難です」。

でもそのときの私はなんだか大丈夫な気がしたんですね。まあ、なんとかなるやろ、行ってまえ、てな感じです。

ところが奴は全然気づかないのです。そのうちガスが出て、まったく視界がきかなくなってしまいました。さすがに無謀な僕もこのまま前進する気にはなれません。登山道にたどり着いてガスが晴れたらそこに奴がいた、なんてことになったら一巻の終わりです。

いったん雪渓の手前まで戻り、ガスが晴れるのを待ちました。

ものの数分でガスが晴れてみると、奴の姿が見あたりません。さっきの動きからみて、ちょいとそのへんのブッシュの蔭に入っているだけだろうとは思ったんですが、姿が見えないとなんとなく気が大きくなってしまうものですね。

よし、行こう!

と僕はすばやく決心しました。

一応、小石を三つ拾って手に握りしめました。(万が一奴が襲いかかってきたら、わしの剛速球を鼻にぶつけてそのあいだに逃げよう)という綿密な計画を立てたのです。さらに、

鈴の音が小さくて役に立たんから歌をうたいながら行こう! 歌が聞こえたら奴の方が逃げてくれるにちがいない!

という緻密な計算をしました。もちろん歌は『森のクマさん』です。

ちょっと想像してみてください、大の大人が、「ある日森の中クマさんに出会った~!!」とわめきながら歩いているところを。しかし笑いごとではありません。僕としてはかなり命がけです。

しかし『森のくまさん』はいかにもまずかった! なんと一番が終わったところで歌詞がわからなくなり、パニックに。

うたっていないと奴が来る! うた、うた、何かないか、かんたんな歌詞の! なかなか終わらないやつ! そ、そうだ、あれがあった!

というわけで、次に選択したのが、『やぎさんゆうびん』です。これならエンドレスでうたえます。

もう間奏抜きで、必死のパッチでうたいまくりました。たぶん60番くらいまでうたったんじゃないかと思います。3番くらいですでにしろやぎさんの番だかくろやぎさんの番だかわかんなくなっていましたが、とにかく目論見どおり、休むことなくうたいつづけることだけはできました。

少し見晴らしのいいところまでたどり着いて、ふと振り返ると、登山道から少し離れた斜面に奴がいました。僕の方をじっと見ていましたが、僕と目が合うと、山襞の向こうにのっそりと消えていきました。

う~・・・・・・かっこいい!!

僕がそのとき感じたのは恐怖ではなく、感動です。なんて大きいんだ、ヒグマ。なんてかっこいいんだろう!

ヒグマが神の使いってのはほんとだな、と思います。

単に僕の出会ったヒグマがかっこよかったから言うのではありません。

奴に会ったあと、私はちょっとした神がかり状態になったんです。

ガスが濃くなってうっとうしいなあと思うでしょ、しばらく我慢しているんだけど、だんだんげんなりしてきて「晴れてくれよな」とつぶやくと、2秒で晴れるんです。そういうことが何と3回連続で起こったんですねえ。

これはもう神がかりだ、ヒグマさまのパワーにちがいない!

とうかれた私は、ここを先途と、次から次へとお願いごとをしてみました。

そういうことをするとだめですね。あっという間に神通力が薄れてしまいました。お調子者はだめです。

ま、なんにせよ、無事に下りてこられてよかった~と今は思います。

大雪山におけるヒグマの密度は、本州の山におけるツキノワグマの密度よりかなり高いと思います。下山中にも樹皮についた爪痕や糞を見ました。

というわけで、昨今はパワースポットブームとかいって、あっちこっちで宣伝しているみたいですが、ヒグマさまのパワーにはなかなか叶うまいと思っているのであります。

そういえば仙台にもパワースポットといいますか(当時はそんな言い方なかった)、心霊現象の起こる場所みたいなところがありました。

知る人ぞ知る自殺の名所、八木山橋です。

遊園地や動物園のある八木山と青葉城のある青葉山のあいだにかかっている高い橋で、橋の下は「竜の口渓谷」と呼ばれており、化石がとれるので有名な場所でした。

自殺の名所という不名誉な称号を冠せられていたため、金網の高さが3メートルぐらいありました。はじめて橋の上に来たとき、「この金網にわざわざのぼって、そして飛び降りる人がいるんだ」と考えて、なんだか悲しくなったことを覚えています。でもその後、金網が丸く切り取られているのを見て、ますます何とも言えない気持ちになりました。

わざわざペンチ持って来たんだ。夜中に。自分を投げ捨てるために。

そう思ったんです。

この橋の近くの道を夜遅く歩いていたとき、木の下にぶらさがっている人影らしきものを見て震え上がったことがあります。

バス停でした。

おどかすんじゃねえ、バス停!

2011年7月14日 (木)

専門用語

ことばは日々新しいものが生まれて消えていきます。

特に、今のような高度情報化社会では、ことばの「新陳代謝」は目まぐるしいスピードとなるわけです。

なんだか国語の教材に出てくる論説的文章のような始まり方ですが、今回も私らしく、「ベタな」読み物となることを許してください。

「ナントヵちゃんねる」なる某有名ネット掲示板でも、「新語」が生まれては消えていくようです。

ことばを扱う仕事に携わる者としても、興味は尽きないので、

「◎◎しますた」「~ですが何か?」「◎◎乙」「orz」「㌧クス」など、新しい「表現」?を見つける度に、

これは流行りそうだな~とか、これはさぞ短命であろうことよ、それみろ云々などと一人で予想をしています。

その昔、私が中学生の頃、「初歩のラジオ」という雑誌があって(今は残念ながら休刊となって久しい)、田村正和や別所哲也が持ってくる食べるハムとは根本的に別の無線のハムや、電子工作など、硬派なお宅(あえて漢字で書きたい)の雑誌としてお宅界に君臨していたかと思います(あくまで私の見解です)。

近所の高専出のお兄さんにどさっと古い「初歩のラジオ」を何冊ももらい、活字に飢えていた私はすっかり「初ラ」読者に。最初のページから私の知らない理系用語?が続出で、あたかも高校の理科研究会に見学者として参加したような、うかつに変なことを聞けないような、それでいて自分も奥深い世界に入っていく予感のする「わくわく」を今でも思い出せます。

どうも理系の方々には「あ、それを聞く人なの」「その質問は愚問だな」「そこから説明させるわけね」的なふんいきがあり(あくまで私の見解です)、そこがなじめないという人もいるわけなんですが、私はそういうとこが結構好きです。入るときは敷居が高いけれども入っちゃうとぬくぬくな世界。これっておおむね日本人の傾向かも。

あ、話がベジエ曲線をいじっているときみたいにあらぬ方向に。

その「初ラ」という「誠文堂新光社」という出版社の雑誌によく出てきたのが「FB」「VYFB」という省略語。

そもそも意味がわからない言葉だらけの雑誌の中で「アッテネータの減衰量を……トランジスタ出力の……閾値の……するとFBです」などというに至っては、もはや文脈で推理することが困難でしたが、何度かまったく違う文脈で出てくることから「ナイス」「いい感じ」「スマート」くらいの意味で使用されとるのかしらん、とおぼろげながら理解しました。

理系の人々は本来国語が「相対的に」苦手であるはずなので、彼らなりにコミュニケーション能力を発達させるために「文脈から用語の意味考えろ」的な、「一見さんお断り」な、「上級者と初級者の違いは云々」「……坊やだからさ」という感じに世界を構築しているのだと勝手に想像が広がってしまいます。

そういう系の(というとこの「~系」も流行ったものですが)言葉としては、女性雑誌にとどめを刺すと思います。

そもそも女性は流行語・新語に敏感ですよね。かの紀貫之が女性の視点で「土佐日記」を書くことにしたのは、女性の言葉の方が自由闊達に思いを書けそうと考えたからとか。今のおネエブームの遠い先祖かもしれません。

女性誌の電車の中吊り広告を見ると、

「タンスのコヤシ的ボトムスがちょい姫着回しコーデに激カワマストアイテム」

とかなんとか。私の想像力や記憶力ではこの程度の再現性しかないのですが、とにかく、

女性の造語能力は素晴らしいと思います。平安時代の女房言葉しかり。

この辺りの事情は山下先生の授業で運が良ければ聞けるかもしれません。

話があちこちに飛びましたが、私の読解力は「初ラ」で鍛えられたのかもしれません。

懐かしき誠文堂新光社。その後も「天ガ(天文ガイドという雑誌)」が私を悩まし続け、

天文少年だった私は、図書館で何か月遅れかの天ガを読み、

「もうこの天体ショーとっくに終わっとるやんかいさ」とがっかりしつつ、

「やはり接眼レンズはオルソに決まっておるぞ」などとごく内輪で悦に入っていましたとさ。

2011年7月 7日 (木)

参ったなピコピコ

テレビから現物がコンコロリと出てくるためには、物質転送装置のようなものが必要になってきます。配送センターが商品を電線にぶらさげるという原始的な方法ではなく、物体を原子か分子かわかりませんが、そのレベルにまで分解したものを電送し、再び組み立てるとかいうようなシステムでしょうか。ただ、その際にハエがまぎれこんだりすると、「ハエ男の恐怖」というような大事件になってしまいます。人体実験で人間の体を送ろうとしたときに、装置内にハエがいたため、融合するときにハエと人間が合体してしまう、という映画がありました。リメイク版で主演したおっさんは「ジュラシックパーク」や「インデペンデンスデイ」でも変な科学者の役で出ていました。

超能力の「テレポート」というのも、原理的には同じなのでしょうか。テレポートするたんびにハエ男や蜂人間、モスキートマンになると困ります。スパイダーマンはどうして蜘蛛男になったのでしたっけ。ネズミ男ははじめからですかね。タイムスリップもののドラマ・小説が相変わらず安易につくられつづけていますが、別の時間で出現したところが海や壁の中ということにならないのが不思議です。たとえば十三教室でタイムマシンに乗って、二千年ぐらい昔に旅行したとしたら、そのころは十三のあたりは海だったでしょうから、そのままおぼれてしまうのでは? まあ、タイムマシンは親殺しのパラドックスが起こるぐらいで、過去にもどることは無理なのでしょう。透明人間なんてのも、「科学的」に考えると、透明になった瞬間、相手から見えなくなるだけでなく、自分も外部を見ることができなくなるとか。第一、透明になるのは体だけでしょ。たとえば胃にはいっているものは透明にはならないわけで、空中に消化中の食べ物が浮かんでいることになりますし、さらにそのあとのことを考えると、食べ物に下に浮かんでいるのは……。ということで、こういうのは「トンデモ科学」というやつですね。

超能力というのも、どうなれば「超」なのか、よくわかりません。さわってもいないのに物体を動かすとか、未来を予知するとか、一般に不可能とされることができるのが超能力なのでしょうが、エスパー伊東のレベルはどうなのでしょう。「高速1分間梅干し30個食い」は物理的には可能なのでしょう。「ジョッキのビール3杯一気飲み、そのあと30回転しても目が回らない」という技は体質でかたづきそうです。「小指1本突きダンボール穴あけ」は空手をやる人ならできそうだし、たこ焼きを指でひっくり返す「高熱たこ焼き、串いらず」はプロの職人ならできる人がいるかもしれません。ばかばかしいからやらないだけのものは「不可能」とは言えないのでしょう。ちなみに、「不可能を可能にする男」というのはよくいますが、国語科のKリハラ先生は、昔よく「可能を不可能にする男」と呼ばれていました。あれも一種の超能力なのかなあ。

算数オリンピックでメダルをとれるような人は、ふつうの人にはない能力をもっているのですが、超能力とは言えないのですね。妙に記憶力がいい人もいます。アスペルガー症候群の人が抜群の記憶力を持っていることがあるそうですが、これは明らかに「能力」でしょう。ただ、これも「記憶術」というのがあるぐらいなので、訓練によって伸びるものでもあり、不可能なことをしているわけではありません。これもやはり超能力とは言えないのでしょう。1分間に2万字以上読める「速読術」なんて、もはや超能力と言いたいのですが、「術」つまりテクニックらしいのです。

たしかに記憶なんて、たとえば語呂合わせでたくさん覚えている人がいますが、そう考えると超能力でもなんでもないですね。「イイクニつくろう鎌倉幕府」で1192年、というのはだれでもやっていることです。ただ、中にはまぬけな人がいて、テストのときに「いいくにツクロウ鎌倉幕府」だと思い違いして2960年と答えたり、「ヨイクニつくろう」と思って4192年と答えたりして、頼朝をタイムスリップさせて未来人にしてしまう人もいます。こうなったら「超能力」と呼びたいものです。

高校の時の日本史の先生が妙な覚え方を教えてくれました。幕末の「池田屋事件」「寺田屋事件」で池田屋という旅館は京都の町中の三条にあり、寺田屋は伏見にあります。池田屋だから池のそばかなと思うと実は寺のあるような町中にあり、寺田屋は寺のある町中にあるのかと思うと、あにはからんや水のある伏見にある、と覚えろというのですが、ひねくれた覚え方もあったものです。六月の異名が「水無月」というのも、六月は梅雨だから水がありそうだけど水がないと思って「水無月」と覚えろ、という意味不明の覚え方と同じです。

意味不明といえば「キロキロとヘクト出かけたメートルが弟子に追われてせんちミリミリ」というのがありました。基本単位「メートル」の10倍がデカ、100倍がヘクト、1000倍がキロ、逆に10分の1がデシ、100分の1がセンチ、1000分の1がミリ、これらを無理矢理おしこんで、「きょろきょろしながら、ひょいと出かけたメートルさんがなぜか弟子に追いかけられて、せんち(「せっちん」つまりトイレ)にかけこんで、なぜか○○○をミリミリと出しました」という意味不明の覚え方です。これぐらいの単位なら、このことばを覚える前に覚えられるような気もしますが、最近はキロの上のメガやその上のギガもよく使われますし、1テラバイトのように「テラ」を見ることもあります。下のほうはマイクロは当然のこと、その下のナノやらピコやら、ふざけとんのかと言いたくなるような単位も出てきました。これらを込みにして新しい覚え方を作ってくれる人はいないものでしょうか。

……と思ってネットで調べてみたら、世の中にはひまな人がいます。作っているのですな。「てきめがけ、ヘクト出かけたメートルが弟子に追われてせんちミリミリ、参ったなピコピコ」……って、これ、うーん参ったなピコピコ……ふざけとんのか!

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