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2012年9月の4件の記事

2012年9月23日 (日)

俺が夕焼けだった頃

ジェットストリーム(いまはJINの大沢たかおがやってますね)の城達也はグレゴリー・ペック、テリー・サバラスの森山周一郎は古くはジャン・ギャバンです。『奥様は魔女』のナレーション中村正はケーリー・グラントかデヴィッド・ニーヴン、渋い脇役をよくやってた小山田宗徳はヘンリー・フォンダと決まってました。トニー・カーチスと言えば広川太一郎、ジャック・レモンはなんと愛川欽也でしたね。最近でも言うのかなあ、「アテレコ」ということば。音や声をあとから入れる「アフター・レコーディング」略して「アフレコ」をもじって、外国映画の俳優が口をパクパクするのに「あてて」吹き替えするので「アテレコ」と言ったとか。口の形と音が合わなくても、そこは目をつぶろうということです。アニメを考えれば、口さえ動いていればしゃべっていることになるわけですね。ただ、少なくとも口が動いている時間に合った長さの台詞でなければなりません。「アウチ!」と言っているのを「いたっ!」と訳せば問題なしですが、「グッバイ」を「さらばこれにておいとまつかまつる」などと言っていては口と合いません。

『刑事コロンボ』かなにかで「hit」という単語が出てきて訳すのに困ったそうです。アメリカの俗語で「マフィアに殺された死体」という意味らしい。画面で死体を指さして「ヒット」と叫んだら、アメリカ人ならわかるのでしょうが、これを吹き替えるとなると、口がパクッと動くだけですから、合うことばがありません。小説なら工夫のしようもあるでしょうが、テレビだと一音節の中に「あっ、マフィアによって殺された死体だ!」と早口ことばで言うしかない。実際にはどう処理したか忘れたのが残念……。

英語にもだじゃれのようなものはあるのでしょうが、どう訳すのか、翻訳家の苦労は多そうです。逆に、その場にピッタリの日本語のダジャレになっている台詞がたまにありますが、あれは元の英語ではどう言ってたのでしょう。そういうケースのほとんどが広川太一郎の吹き替えだったことを思うと、元のことばにはないアドリブだったような気もします。「なーんてこと言っちゃったりなんかして、このコンニャク野郎」なんて、元のドラマの台詞にあるはずがない。でも、相手役が吹き出したりしていないところを見ると、打ち合わせはしてたかも。

『空飛ぶモンティ・パイソン』というBBC制作のコメディ番組というかコント番組というか、とにかく変な番組がありました。非常に「不謹慎」なコントが多く、イギリス王室をおちょくったり、下ネタだらけだったりという、さわやかな番組でした。中心メンバーのエリック・アイドルは、ロンドンオリンピックの閉会式でなにやらパフォーマンスをやったそうな。見ていないので知りませんが、NHKの実況解説は、この人のことを知らなかったみたいで、無知なコメントばかりしていて失笑ものだったとか。ジョン・レノンがビートルズよりモンティ・パイソンのメンバーになりたかったと言ったということはあまりにも有名なのになあ、ってだれも知らんか。そう言えば、この人たちは「ラットルズ」というビートルズ・パロディもやってましたが、これが秀逸でした。曲の完成度も高く、歌もうまい。ビートルズ・パロディとしてはぶっちぎりでしょう。

で、この『モンティ・パイソン』の吹き替えは広川太一郎のほか、山田康雄、近石真介、青野武(『ちびまる子』のじいさん)らが好き勝手にやってました。日本ではなぜか、オリジナル部分をつなぐ形で、日本で制作したものがはいっていました。今野雄二がしきるトーク番組みたいなのをやってましたが、これはトイレタイムでしたなあ。ところが、タモリという無名の芸人が担当するパートがむやみにおもしろい。そのころはサングラスではなくて黒いアイパッチを片目につけてました。「四カ国マージャン」とかイグアナの真似をしてました。スタジオで笑っているお客の中に、高校のときの友人が座ってて、ひときわ大きな馬鹿笑いをしてたことを思い出します。「中国語講座」もしょーもなくてよかったです。アナウンサー風に「郵便局はどこですか」と言ったあと、いかにも中国語っぽく「ユービンキョウクウハドゥーコゥー?」とかやるやつです。ただ、これはタモリの独創的なネタではなく、藤村有弘なんて人がすでにやってました。『ひょっこりひょうたん島』のドン・ガバチョの声をやってた人です。この人が、いんちきイタリア語として、「ドルチャメンテコチャメンテ、スパゲッティナポリターノ、トラバトーレトルナラトッテミーロ」みたいなことを言ってたのを洗練させたものです。さらにトニー谷という先駆者もいたのですが、知らんやろな。赤塚不二夫の「イヤミ」のモデルです。さらにさかのぼればチャップリンが『独裁者』でやってますし、きっと、もっとさかのぼれるのでしょう。

「ハナモゲラ語」というのもありました。「外国人がとらえた日本語の物真似」という感じでしょうか。日本語は母音過多なので、外国人が聞くと、「かけまこへろひのひ、どもども」みたいに聞こえるらしい。はじめ山下洋輔トリオの坂田明が歌舞伎の台詞っぽくやってました。これはこれで十分おもしろかったのですが、それをタモリがさらに発展させました。ところが、これもすでに大橋巨泉が万年筆のCMで「みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ」とやってました、わかるね。筒井康隆も悪のりして『裏小倉』という作品で、同じようなのをやってました。「これやこのゆくもかえるもこれやこのしるもしらぬもゆくもかえるも」のように、わかりやすいものからどんどんくずれていって、「こけかきいきい」など、意味不明のものになっていきます。解釈もついていて、「せろにあす」は「文句」の枕詞なんて、シビレましたねえ、何のこっちゃ、わからんでしょうが。『乱調文学大辞典』の「デカダンス」の説明「和田アキ子の踊り」はわかりやすいけど、「誰がために鐘は鳴る」の説明として「もちろんジミーブラウンのため」なんてのもありましたが、わかるかなー、わっかんねえだろーなー、って、このフレーズもわかんねえだろうなー。

2012年9月16日 (日)

かあちゃんはモンローです

「知らんけど」というのは、すべてを台無しにする力ぬけフレーズです。関西人、とくにおばちゃんがよく使います。「あんた、それ絶対まちがいないで、知らんけど」とか「フランシスコ・ザビエルが首につけてんのんシャンプーハットやて、知らんけど」とか「知らんけどとか言う人なんかおらんやんな、知らんけど」とか、よく言うとるようです、知らんけど。推理小説の最後で探偵が言います。「おまえが犯人やろ、知らんけど。」責任丸投げの高田純次みたいな破壊力がありますな。

で、前回の続きですけど、実態を知って、えっ、あの人ってそうなん、と思うことがよくあります。ムンクの絵はすごいと言いますが、あの人は精神病院にはいってて、その病気はまわりの情景が歪んで見えるようなものだったらしい。ということは、あの絵はリアルな具象画っていうことになるんでしょうか、知らんけど。裏情報を知ると変な感じになることもあります。サマセット・モームの『月と六ペンス』なんて、ゴーギャンらしき人物を追いかけるだけの妙ちくりんな小説ですが、なんとモームの本職は諜報員です。ということは例のMI6ですな。イギリス情報局、ミリタリー・インテリジェンス・セクション6です。かっこいいですな。今は名前が変わってしまったらしいですけど。モームは、はげしい諜報活動で体をこわして療養中にこの作品を書いたとか。グレアム・グリーンも所属してたらしいけど、意外性は少ないし、007のイアン・フレミングは当然でしょう。でも言うても諜報員です。スパイですぜ。「00」は殺しのライセンスです。「THE MOON AND SIXPENCE」の中にも「ダブルオー」がはいってます。ひょっとして、モームのコードナンバーは006? サイボーグなら中国系の張々湖(チャンチャンコ)、口から火をはいてましたが、なんのこっちゃわからんやろな。

作品と作者の実像が結びつかないことがよくあるのは当然でしょう。ハードボイルド作家が軟弱であったり、耽美的な作品を書く人がマンガみたいな顔をしていたり、歴史小説の大家が大木凡人みたいであったりしてもおどろきません。悪役を演じる人は、憎らしく思ってもらえれば本望とか言って、とことん憎たらしく見せるのですが、じつは善人だとはよく聞くことです。でも、顔はどう見ても「悪人づら」をしています。人は見かけによらないものであるなら、善人や正義の味方を演じる人の真の姿はどうなんでしょう。じつは悪人? お笑い系の人も舞台を降りると無口であったり、普段はおもしろさのかけらもないという人もいるそうですが、素ではなく芸の力だけで笑わせるというのはすごい。しかし、「知らんけど」を連発するような大阪人はそういうのはあまり好きではないようです。舞台の外で出会った芸人にも「ギャグ」を要求します。裏表があるのをきらうのでしょうが、芸人としては疲れます。プライベートなしです。

道行く大阪人のほとんどは、指をピストルのようにしてバーンと言われると、「やられたー」とか言って大袈裟に倒れるという高尚な実験をテレビでやってました。素人がつねに芸人であるという不思議な風土です。話をしていても必ず、「で、オチは?」と言われます。希学園の国語イベントでも、「漢字の征服」「語句の制覇」にひきつづいて「文法の○○」を作ろう、ということになって、ネーミングどうする? というと「制圧」とか「攻略」とか勇ましいのが出てきますが、みんな心の中では「語句のセーハ」の次に文法でヒーコラ言わせるんやから「文法のヒーハー」に決まっとるやんけ、とつぶやいている声が聞こえきたのは気のせいか。「目ェ充血してるで」と言われて、たしかに痛かったりするのに、「そんなふうにめーまっかー」と返す、かなしき大阪人。だじゃれがすべっても、「ここ笑うとこよ、ここのがすと、あと笑うとこないよ」とかぶせてきます。「オレオレ詐欺」の電話がかかってきても、「あんた、だれ、太郎やろ」「うん、太郎」「太郎、どないしてん」とさんざん相手に話させておいてから、「あ、そや、うちとこの息子、三郎やった。あんた、まちがい電話やで」とか、「そうか、太郎、たいへんやったな。ほな、本人と変わるわな」「え?」息子がかわって「もしもし、俺も太郎やけど、あんたも俺か」というような遊びをせんとや生まれけん。

電話の詐欺は顔が見えませんが、詐欺師も見るからに詐欺師では商売にならんでしょう。英雄の顔はどうなんでしょう。見るからに英雄でしょうか。義経なんて、じつはブッサイクやったと言いますね。でも、神木隆之介にさせるんですね。滝沢義経の少年時代を演じたので二回目だそうです。国広富之や野村宏伸もやりました。菊之助と言ってたころの尾上菊五郎もやりましたが、蛭子能収はけっして演じません。塚地武雅も信頼役は許せても義経をしてはいけません。見ている人は、イメージとちがうとむかつくのですね。顔だけでなく声も同じで、むかしはマンガがアニメ化されたときの声がイメージとちがうと言って文句をつける人が多くいました。最近は少なくなったのかなあ。ドラえもんの声が変わったのはどうなんだろう。サザエさんのカツオの声が変わったときも文句を言ってる人がいました。どっちも見てないのでわかりませんが。丹下段平の出てくるCMがあります。何のCMか知らんけど。さすがにあの声は元の藤岡重慶とは全くちがうので、違和感があります。藤岡重慶さん、二十年ぐらい前になくなってるのでやむをえませんが、「やましたー」と言って、西郷輝彦をいじめる坂田軍曹という役がよかったです、知らんやろ。ルパン三世の声をやってた人が死んでしまったあとは、栗田貫一がものまねでやってましたね。山田康雄は、ルパン以外にはクリント・イーストウッドやジャン・ポール・ベルモンドの吹き替えもやってました。洋画の吹き替えの担当は固定化するのですね。アラン・ドロンと言えば野沢那智、この人はアル・パチーノとかダスティン・ホフマン、ジュリアーノ・ジェンマもやってました。ブルース・ウィリスもやってたような。『ボルサリーノ』では野沢がドロンをやって、山田康雄がジャン・ポール・ベルモンドを吹き替えたはずです。女優では、ブリジット・バルドーが小原乃梨子、マリリン・モンローが向井真理子、オードリー・ヘップバーンが池田昌子というように決まっていました。お子さんが学校の作文で「ぼくのお母さんはマリリン・モンローです」と書いたとかいうような話を永六輔の本で読んだ記憶があります、知らんけど。

2012年9月10日 (月)

またクマに遭ってしまった私

北海道の大雪山でヒグマに遭遇した話を前に書きましたが、またしても、ある日森の中クマさんに出会いました。

今度はツキノワグマです。森の中というより、稜線近くのハイマツ帯ですね。不意にがさがさっと音がして、ツキノワグマの逃げていく後ろ姿が見え(その距離2~3メートル)、慌てて僕も走って逃げました。ほぼ90度の方向にクマと僕が脱兎の如く逃げていく姿を想像すると自分でもなんだか微笑ましくなりますが、そのときは血の気が引いてました。

クマこわいです。

さて、それはともかく。

『国語の学び方・教え方』と題した教育講演会(『国語の教え方・学び方』だったかな?)を現在実施中です。なんと私の持ち時間は1時間15分。しゃべりたい放題です。やった~。西宮北口と谷九については終了しましたが、今週水曜日に四条でも実施します。ぜひお越しください。

2012年9月 1日 (土)

そういえば

山下先生の記事を読んで思い出しましたが、大学のときにいっしょに住んでいた友人がホラー好きでした。「ハロウィン」という当時創刊されたばかりのホラー漫画雑誌を毎号買って読んでました。

僕はダメなんです。怖い話、怖い漫画、怖い映画、すべてアウトです。「エクソシスト」とか「オーメン」を爆笑しながらみている寮の先輩が理解できませんでした。明るい部屋で、友だちもいたりすると、なんとなく気が大きくなって、こんな僕でもだいじょうぶな気がして、いっしょに映画みたりするんですが(なんせ先輩は大爆笑しながらみてるし)、あとで悔やむことになります。友だちがとなりの部屋にいるとわかっているので、まだ何とかなりますが、いっしょに住んでる友だちがふたりともどこか行ってたまにひとりぼっちだったりすると、恐怖のあまり眠れませんでした。っていうか、怖くて目をつぶることができません。隙ができるような気がして。とりあえず、家中の照明はすべてつけてましたね。

当然、お化け屋敷も無理です。とにかくストレスフリーな人生をめざしているので、心臓がばくばくするものはすべて嫌いです。もちろん、ジェットコースターにも乗りません。高所恐怖症ですから。

それなのになんで山登りなんてしてるんでしょう??? 

足元が何百メートルもすぱっと切れ落ちてる岩場とか、すごく怖いんですけどね。

八ヶ岳の稜線にテント張ったときは、夜のあいだずっと足音が聞こえてましたけどね。

テントかついで急登すると心臓ばくばくですけどね。

自分で自分がよくわかんないな~。

やっぱり、恐怖や疲労に打ち勝つ快感みたいなものを求めているんでしょうか? 人が辛いもの食べたり苦いコーヒー飲んだりするのも、そういう苦痛に打ち勝つことで、脳内に快感物質が分泌されるからだぜ~と聞いたことがありますが、それかな?

塾生諸君も毎日がっつり勉強したらすごく気持ちがいいんじゃないかな。

「克己」はしんどくない! 気持ちいいんだ!

どう? やる気にならない?

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