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2013年6月の4件の記事

2013年6月30日 (日)

けけけけ

たしかに「かごめかごめ」の歌詞は妙です。「かごめかごめ籠の中の鳥はいついつ出やる夜明けの晩に鶴と亀と滑った後ろの正面だあれ?」。「籠の中の鳥」とは日光東照宮のことで、家康の墓の近くに「鶴と亀」が描かれたものがあり、そのあたりに徳川埋蔵金があるのです。ポルトガルの宣教師が「家康は、たくわえた金銀の重さで城の床が抜け落ちた」と書いているぐらいなので、家康は相当ためていたのですね。で、南光坊天海と明智光秀は同一人物であることは明らかで、「かごめかごめ」は天海すなわち光秀が作ったのです。そして、服部半蔵が松尾芭蕉を名乗り、全国に「かごめかごめ」の歌を広めていったというのは、いまや知っている人は知っている、知らない人は知らないという、有名な事実ですね。

江戸の町は完璧ではないながらも、陰陽道の四神に相応していることになっています。東の青竜は川を表すので、これは利根川でしょう。南の朱雀は湖ですが、東京湾という海で代用できます。西の白虎は道なので、東海道。北の玄武は山で、これが日光連山になります。それらの中央にあるのが江戸城で、江戸の内外にある神社仏閣は、じつは江戸城の出城という位置づけであり、日光東照宮は江戸防衛上の最大の砦だとか。そう思ってみると、たしかに「かごめかごめ」の歌は陰陽のような対比にみちみちています。「籠の中」と「出る」は内と外の対比だし、「夜明け」と「晩」、「鶴」と「亀」も対比、「滑る」は「出る」との組み合わせで、「失敗」と「成功」の暗示かもしれません。「後ろ」と「正面」も対比です。どう見ても、何かをかくした暗号のような感じがします。だれか、暗号を解いて埋蔵金を見つけ出してください。

ただ、チマチマとした暗号は、小説などでは暗号のための暗号になってしまい、かえってコッケイになることすらありますね。第二次大戦中、世界各国が暗号で連絡を取り合う中、日本では堂々と日本語をそのまま使って電話で連絡をしたという話があります。ただし、鹿児島弁ですが。純粋な鹿児島弁を早口で話したら、普通の日本人でもわかりません。アメリカによる盗聴は当然あったものの、全く意味不明、何語かさえわからないということで、しばらくは解読不能だったとか。実に大胆な暗号です。そのときにしゃべったことばの記録を読んだことがありますが、ちょっと鹿児島弁がわかる人なら、なんてことはない、ふつうの言い回しでしたけどね。海軍は薩摩がつくり、陸軍は長州がつくったので、海軍では鹿児島弁にはあまり抵抗はなかったのかもしれません。陸軍の「なんとかであります」も、もともとは長州弁らしいですな。

だいたい鹿児島弁そのものが、幕府のスパイを防ぐために、あえて人工的に作ったという説があるぐらいです。否定する学者も多いのですが、私の知っている鹿児島県人はみんなうれしそうに、「関ヶ原の合戦で逃げたあと、国境を閉ざすだけではなく、ことばも変えて、領土を守ったんじゃ」と言うてました。宮中では、一般庶民の世界とはちがうせいか、独特なことばが使われます。餅が「おかちん」になったり、数の子が「かずかず」になったり。なにか、ふざけてるみたいですが、御所ことば、女房ことばというのは、こんな感じです。でも、やっぱりスルメが「するする」というのは、なんかむかつく。蛸が「たもじ」になるのは、「文字」をつけるパターンですね。「杓子」の「しゃ」に「文字」をつけて「しゃもじ」、鮨が「すもじ」、「ひだるし」が「ひもじい」、お目にかかるのは「お目もじ」です。ほかにも、「くろもじ」とか「かもじ」とか「ゆもじ」とか、いっぱいあります。「おでん」は「田楽」に「お」がついたもので、「おかか」「おひや」「おかき」なども、もともとは宮中ことばでしょう。そういえば「御御御つけ」という、すごいものもありました。「おもや」に住む人で「おもうさま」、対屋に住む人で「おたあさま」というのは、父母のことであると、うちのおたあさまが言うとりましたな。で、島津の殿様が、このことばを故郷に持ち帰って、自分たちのことばにしたとかいう説もあるようですね。たしかに、鹿児島で豆腐のことを「おかべ」というのは、「白壁」から来ているのでしょうが、御所ことばです。

島津家は、表向きには源頼朝の落胤が始祖であることになっていますが、どうやら偽源氏で、もともと惟宗姓だったようです。近衛家の日向国島津荘の荘官だったのが、頼朝から地頭に任じられて島津と名乗るようになったということで、近衛家とのつながりが強い。摂政・関白になれる家柄は近衛・九条・二条・一条・鷹司の五つで、五摂家と言います。近衛はその筆頭で、肥後細川家の当主の細川護熙さんは近衛文麿の孫にもあたります。幕末には島津一族の娘が近衛家の養女となったうえで、将軍家定に嫁ぎました。篤姫ですな。そういう関係もあったので、鹿児島弁の中に宮中のことばがまじっていてもおかしくはなさそうです。

でも、「けけけけ」は御所ことばではないでしょう。実際には「けーけけけー」みたいな言い方のようですが、「貝を買いにこい」という意味になります。「貝」が「け」、「買い」が「け」、「来い」が「け」になるんですな。「ここに来い」は「こけ、こけけ」で、ニワトリ状態です。博多弁でも「とっとっと」がありますね。「(その席は)とっていますか?」「とっています」が「とっとっとー?」「とっとっとー!」になる。大阪弁の「チャウチャウちゃう?」「ちゃうちゃう、チャウチャウちゃう」「え? チャウチャウちゃう?」「うん、チャウチャウちゃうんちゃう?」とおんなじようなもんですかね。鹿児島といえば桜島で、灰がふってくる。天気予報では桜島上空の風向き予報をしています。洗濯物を干すかどうかの判断材料です。この「灰」が鹿児島弁では「へ」になってしまう。「蝿」も「へ」です。「屁」も当然「へ」。靴は「くっ」、「釘」も「くっ」、「櫛」も「くっ」、「来る」も「くっ」、首も「くっ」、口も「くっ」です。なぜか「頭」は「ビンタ」ですな。明治のころ、鹿児島出身者が軍隊などで引っぱたくときに、「びんた、行くぞ」とでも言ったことばが、行動そのものを表すことばだと思われて全国に広まっていったのでしょう。でも、体罰禁止とともに死語になるのかなあ。

2013年6月23日 (日)

贈るダンス

このところ左膝に痛みがありました。

4月ごろからですが、日によって痛むところが違います。半月板の損傷なら本田や長友みたいだと少し嬉しくなったりしました。やがて少し足をひきずるようになってきました。階段の下りがキツイのです。

今回は医者にかかるようなものではないと感じていました。体に関する初期判断は直感に任せています。思いあたるのは3月の合格祝賀会の講師劇くらいです。例によって老人役でしたが今年は初のひとりダンス付きでした。曲目はAKB48の「Everyday、カチューシャ」。「カチューシャ」という歌詞が最初に出てくるところまでイントロからひとりで踊ります。ひとりセンターです。過去最大の試練でした。踊りの類は高校の運動会以来。体の動きですからカンペも使えません。練習あるのみ。努力。根性。絶対合格!

生まれて初めてユーチューブをくり返しくり返し見ました。まさにヘビーローテーションです。まず歌を知りません。なかなか歌詞が頭に入ってきません。老喜劇役者に、どんなアイドルが出ていてもブラウン管に向かって「百恵ちゃーん ♪」と叫ぶネタがありました。思い出し笑いに涙が混じりそうです。体力はさほど衰えていないつもりですがダンスは守備範囲外です。十三のひと気のない小部屋で巻き戻しと再生をくり返すPC……。もの好きかご親切か、反転バージョンの投稿映像を見つけました。大きな出会いでした。

だんだんと仕上がってきたところに細かい発見をしてしまいました。イントロの最後で、膝を交互に軽やかに入れているのです。膝のキレに手ぶりを加えてカッコよく! 卒業生の笑顔を胸に、深夜の十三の小部屋でステップを踏みます。

当日を迎えました。出番が近づきます。曲がかかりました。リズミカルな動きから膝にさしかかります。キュキュッと膝を入れて腰を振ると、前列後方の女子の一群から歓声にも似た悲鳴が上がりました。……我に返ってしまってちょっとアガってしまいます。

このカチューシャは、注射ということばを引き出す壮大な序詞です。昨日病院でしてもらったアレの名前が出てこないという場面に続くダンスでした。

毎年この劇に向けてスタッフ一丸となります。秀逸な台本が用意され、卒業生へのはなむけに全力を注ぐのです。お手製の衣装には、ご才女の協力というか一族郎党の執念が感じられます。演者以外にも大道具小道具班が自然に動き出し、段ボールで書き割りの背景が作られます。合格はお金では買えません。だからこそ入試は平等なのです。かくてプライスレスの舞台が調います。最後の贈りものです。

さて膝です。5月の終わりにふと靴の中敷きを取ってみました。高校の時サッカーで右足の甲を怪我して以来、右がかなり甲高になり、靴によっては左だけに中敷きを入れてもらいます。よく履く2足の中敷きの接着剤がとれて靴の中でゆるんでいました。これを抜き取ったらぴたりと痛みが治まりました。変なチカラがかかった歩き方になっていたようです。

半月板でなかったのは残念です。右足の甲の自己診断は軽めの剥離骨折でした。祝賀会と合格体験記にまつわるほかの話を書くつもりだったのですが、そちらはいずれまた。

 

2013年6月15日 (土)

目くじらを立てる

国語科講師である以上、ことばの区別に関しては厳密であるべきかと思うのですが、

最近の「それは誤用だ」と言う主張が多いことに、すこし引っかかります。

もちろん、明らかな誤用が多くなっていると感じられるのも事実で、気になる人には気になるというのもうなずけます。

×取り付く暇も無い → 取り付く島もない

×狐に包まれる → 狐につままれる

 などは中学入試でも出たことのあるものですが、

×老体に鞭打って → 老骨に鞭打って

×極めつけ  → 極めつき

などになると、言われてみればそうか、と気づくレベルです。

×~いざ知らず → いさ知らず

×~采配をふるう → 采配を振る

なんてのは、「蘊蓄」レベルでしょうか。こういう誤用を集めた本もたくさんあるようです。

最近では、よくテレビで

「間髪を入れず」を「かんぱつ」と読むのはまちがいで、「間、髪を入れず」だ、とか、

「綺羅星のごとく」を「きらぼし」と読むのはまちがいで、「綺羅、星のごとく」だとかの指摘があります。

こういう話題が大嫌い、虫酸が走る、生理的に受けつけない、あーいやだ、という人もいることでしょう。

こういう話題で盛り上がる仲間、というのもいますね。 あ、国語科講師に限定しないでくださいね。

DVDはデジタル・ビデオ・ディスクじゃなくて、デジタル・バーサタイル・ディスクだよね!

なんて言うと、「おー!」と盛り上がるのは、どうも男性が多いようです。

ともあれ、言葉の移り変わりが激しい時代ですから、その中で誤用も生まれるのでしょう。

新語、消えていく言葉もありますね。

ふと思ったのは、「イケメン」「イクメン」「草食系」などの男性を形容することばが生まれるかげで、

「マザコン」ということばが消えているということです。

「マザコン」男性は減っているのでしょうか?

確かに「言い得て妙」という新語が生まれると使いたくなるのが人情で、われもわれもと一気に消費されていきます。

「美男子」と呼ぶにはちとわざとらしいレベルの容貌の方を軽い感覚でほめるには「イケメン」は手ごろです。

かくしてイケメンが増殖する。

「マザコン」も、※1佐野史郎さん扮する「冬彦さん」のお蔭(誤用)で、正しく親孝行な、単に母親思いの男性までが、

マザコン呼ばわりされる悲劇もあったのではないでしょうか。

言葉は世相を映す鏡 であるならば、言葉を正す鑑 でありたい、というようなことが、

辞書を編纂した、ある方の著作に書かれていたと記憶しています。

国語科講師として難しい立場に立たされるのが、宿題プリントに書かれた保護者のコメントに誤字や誤用を見つけてしまったときです。

さりげなく訂正しておくべきか、見て見ぬふりをすべきか、※2生徒への教育的配慮で訂正すべきか、やはり失礼だからやめておこうか、いや、もしかしたら試されているのか!? 

など、考え込んでしまってそれまで快調に書いていた(講師からのコメント)が停滞してしまいます。ここは斎戒沐浴して精神統一せねばというくらいの厳粛な気持ちでえいっと訂正することもあるのですが、

「国語の先生に見られると思うと、怖くて保護者コメントを書けません。」

という保護者コメントに「!」となってしまったこともあります。

塾生のみなさんの記述問題の採点・添削の際にも、悩むことしばしばです。

あまりに細かく添削をすると、「けちをつけられた」感にさせて、かえって意欲を失わせる結果になりはしまいか。

「やはり記述で点数は取れない」と思わせてしまうのではなかろうか。

そんな思いになることがあります。

 ※1昔、先生って佐野史郎に似てるよね、と女子生徒に言われて結構ショックだった。

 ※2 学校教育法かなんかでは、小学生は「児童」なので誤用かもしれませんので一応。

2013年6月 8日 (土)

土岐はいま天が下知る五月かな

永六輔が書いていましたが、ある礼儀作法の師匠がやってきたときに、貴族たちが茶漬けを出して、となりの部屋からこっそり見てた、という話があります。えらそうに礼儀だの作法だのと言ってても、だれも見ていなければ茶漬けをガサガサとかきこむだろう、それを見て笑ってやろう、という貴族の陰険さです。案の定、師匠はガサガサとかきこんで食べていったので、やっばりねと言いながら出てきて、ふと箸を見たら先の方が数ミリ濡れていただけだった、という話。永六輔は、その師匠もすごいけど、箸の濡れ方に気づいた貴族もすごいと書いてました。でも、そういうことに気づくことができるからこその貴族なのかもしれません。

頓阿は、古今伝授というものを藤原定家の血筋から受け継いでいます。古今和歌集の解釈の秘伝ということらしいのですが、細川幽斎も受け継いでいます。関ケ原の合戦で、自分の城を石田三成の軍勢に囲まれて絶体絶命のピンチに陥ったとき、そのことを知った天皇が勅使を出して囲みをとかせたということがあります。幽斎が死んでしまうと古今伝授を伝える者がいなくなるということだったのですね。うまい具合に、幽斎は生き延びるのですが、だいたいが世渡り上手の人です。室町幕府に仕えて、義昭を将軍にかつぎあげたあと、いつのまにか信長の家来になっており、信長が死んだときには秀吉と仲良くなって、関ヶ原の頃には、家康の味方をして、結局肥後熊本五十四万石の基を築いた人です。細川護熙さんの先祖ですな。

秀吉が詠んだ「奥山に紅葉踏み分け鳴く蛍」という句を記録せよと言われた連歌師の里村紹巴が「蛍は鳴きません」と言って、言うことを聞かない。だいたい、「紅葉」と「蛍」では季節も合わないし、鹿なら紅葉を踏み分けられるけど、蛍が踏み分けるというのもおかしいんですね。要するに無茶苦茶ですが、秀吉はそれでも書けと言う。そこへ幽斎がやってきて、「いや、蛍も場合によっては鳴くことがありますよ。こんな歌があります。『武蔵野の篠をつかねて降る雨に蛍よりほか鳴く虫もなし』」。秀吉は「そら見よ」とうれしそうに言うので、紹巴はやむなく記録して、後日、「あれは何という歌集に載っている歌ですか」と幽斎に問うと、「あれはわぬしの首をつぎたるなり」、つまり、とっさに幽斎が作ったのですね。あれ以上秀吉に逆らうと、おまえの首はとんでいたぞ、ということです。出典は何だったのでしょうか、たしか白陵の高校入試に原文が出ていて、授業でやったことがあります。その文章には出ていなかったのですが、幽斎が下の句をつけて、「奥山にもみじ踏み分け鳴く蛍しかとは見えぬ杣のともし火」とした、という話もありますし、幽斎ではなく、曽呂利新左衛門のエピソードとしているものもあるようです。

話を古今伝授にもどすと、これがまた、わけがわからない。「古今集に出ている歌」として、普通はばらばらにしか歌を見ませんが、たとえば「春」という部立てでは、春に関する歌をランダムに並べているのではありません。「雪の中に咲く花」というテーマの歌がやたら続くなあと思っていると、徐々に季節が移り変わっていくことに気づきます。いつのまにか雪が消えて、花が満開になり、さらに進んでくと、いつのまにか花が散っていく、というように微妙な季節の移り変わりに沿って歌が並べられています。絵巻物のように、イメージが変化していく様子を味わって読むべきものですね。ということは、こういう歌集はそれぞれの歌を個別に味わうのではなく、編集者のアレンジのすばらしさを味わうものなのです。つまり、古今集には編集者の意図が強く反映されており、古今伝授もそれにかかわるものではないでしょうか。「物名」の部立てにある「三木三鳥三草」というのが、昔から意味不明とされていて、古今伝授でも、その部分を「秘伝」としているとか。三つの木や三つの鳥にかこつけて、何かを伝えようとしているのではないか、紀貫之らがなんらかの暗号をこの部分に秘めているのではないかと考える人もいるようです。藤原定家の子孫である冷泉家には何か伝わっていないのかなあ。表に出ると日本の歴史がひっくり返るような重大な秘密だったりして。もしそうなら、勅使を出してまで古今伝授を守ろうとした天皇も、当然そのことを知っていた可能性があります。もともと、ことばには魂がこもるという言霊信仰がありましたが、とりわけ和歌というのはそのことばをとぎすましたものですから、そういう「秘密」が隠れていても不自然ではありません。

いろは歌でさえ暗号になっているという、有名な話がありますね。同じ音を繰り返さず、意味の通じる内容にしているというだけでもすごいのに、七五調四句を七音ずつに区切り直すと、「いろはにほへと/ちりぬるをわか/よたれそつねな/らむうゐのおく/やまけふこえて/あさきゆめみし/ゑひもせす」になります。各句の最後が「折句」になっているという人がいるんですね。拾っていくと、「とかなくてしす」つまり「とが(罪)なくて死す」ということばが浮かび上がります。では、無実の罪を着せられて死んだのはだれか。梅原猛説では柿本人麻呂ですが、もっと「トンデモ」なことを言う人もいます。もう一度「いろは歌」を見てみると、最初の音が「い」、七音にならない最後の「ゑひもせす」は「ゑ」で始まり、「す」で終わっています。この三つの字を並べると「いゑす」になります。罪なくして死んだ、いちばんの大物といえば「イエス・キリスト」に決まってるじゃ、あーりませんか。この強引な結びつけにはしびれますね。天海=明智光秀を前提とした徳川埋蔵金の話にも、同じパターンがあります。明智家発祥の土地である土岐市と、北陸の明智神社、日光東照宮、徳川幕府の本拠地東京、徳川家ゆかりの静岡、幕府財政の基になった金山のある佐渡の六つの場所を結ぶと、ダビデの紋章になる、という「アホちゃう?」というやつです。その形になるように、六つの場所を強引に選んでいるのに、六角形のかごの目になった、と喜ぶ「説得力のなさ」が馬鹿馬鹿しくてすばらしいです。しかも、それが綺麗な六角形ならともかく、相当いびつなので、もうちょっと考えて選べよー、と思います。でも、なんとか「かごの目」を出さなければならないんですね。これは「かごめかごめ」の歌が徳川埋蔵金のありかを示している暗号になっている、という説ですから。

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