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2014年3月の3件の記事

2014年3月29日 (土)

オーバー・アイランド・ドラゴン・ソルジャー

小さい子どもがオトナ語を使うのはいやですが、オトナのまねをしたくなるというのはわかります。背伸びしたくなるのでしょうね。よく知らないものでも、子どもというのは、何でも取りあえず言ってみるというところがあります。授業の中で「古代ギリシャの哲学者」という話になったとき、「○○○○ス ○○○ン ○○○○○○○ス」というふうに板書すると、「ゴンザレス」とか「コペルニクス」とか「アルキメデス」とか好き勝手なことを言います。真ん中のを「プ○○ン」としたら、「プランクトン」と字数を無視して言うし、最後のなんかは「ティラノサウルス」と言って受けを狙うやつもいます。「アリガトゴゼマス」と言ったやつの頭の中はどうなっているのでしょうか。

「生産者」を外来語にすると「○ー○ー」という形になる、と言うと、必ず「ヒーハー」と言うやつがいます。「メーカー」という答えが出て、では消費者も「○ー○ー」の形になるが、と言うと「メーカー」の反対だから「カーメー」という「バーカー」なやつが出てきます。副詞の呼応で、「たぶん」は「だろう」、「けっして」は「ない」ということばが必ずあとに来る、こういうのを「呼応」と言う、では「きっと」と呼応することばは、と聞くと、間髪入れず「カット」と答えるやつは頭がいいのか悪いのか。「比叡山を焼き討ちしたのは?」と聞いたら、「聖徳太子」と答えたやつもいました。思わず「おい!」と突っ込みましたが、灘志望の男の子は社会の知識がない者が多いので、しかたありません。仏罰があたっても、あたっていることにも気づかないでしょうな。

「(  )民」を「中産階級」という意味の三字熟語にしろ、という問題では、さすがに「小市民」はなかなか出ませんでした。「非国民」と言ったやつは、ほめてやってもよいのではないでしょうか。「ミイラが三人発掘された」を訂正する問題がありました。正解は「三体」なのですが、「ミイラ」を「ミイラ男」にしたらあかんのか、という発想をした生徒がいます。相当鋭いようですが、「ミイラ男が発掘された」というのは、なんか変ですし、ミイラ男は、はたして「三人」と数えるのか? 妖怪はどうなのでしょうか。「ぬらりひょんが三人現れた」と言ってよいのか。「ぬらりひょん」自体、種族名なのか固有名詞なのか。鬼太郎は、「おい、ぬらりひょん」と呼んでいるようなので、固有名詞のような気もします。固有名詞なら、ローマ字で書くと、最初は大文字にしなければなりません。

ローマ字も、考えたら妙なことがありますね。「天満橋」の駅の表示を見ていたら「TEMMA」と書いてありました。「M」があとに来るため「ん」の音も引っ張られて「M」になっています。ところが「天神橋」なら「TENJIN」です。「橋」が「HASHI」になったり「BASHI」になったりするのは、実際に発音が変わるのだから納得ですが、「M」と「N」の発音の変化はちょっと聞き分けられません。「天王寺」も当然「N」ですね。「天王寺」は「TENNOJI」となって、「てんのーじ」ではなく、「てんのじ」とも読めます。長く伸ばすのかどうかも問題ですね。また、人名でも「大野」と「小野」はどう区別するのでしょうか。野球の「王」さんは「OH」にしないと、背番号が「0」なのかと思われます。安倍首相は「Abe」で、なんの問題もないようですが、日本人なら素直に「アベ」と読んでも、アメリカ人などは「エイブ」と読んでしまうのではないでしょうか。小泉さんも「ジュニチロー」と発音されていましたが。

逆に、外国人の名前でも、どう読んでいいのかわからないというのもありますね。「ギョエテとはおれのことかとゲーテ言い」という川柳があります。たしかに「Goethe」はどう読むのか、なやみます。アメリカ大統領のレーガンは、はじめはリーガンでした。映画俳優だったときには自分でもリーガンと発音していたそうですが、身近な人で綴りは違うのですがやはり「リーガン」という人がいたので、区別するために自ら「レーガン」に変えました。映画がらみで言えば、「オードリー・ヘップバーン」と言っていますが、ローマ字のヘボン博士と同じ綴りだとか。まあ、だいたいイエス・キリストだって、日本ではイエスですが、アメリカではジーザス・クライストでしょ。だからアメリカでは「あなたはキリストですか」「イエース」と言っても笑ってくれないのですな。「エスさんわてを好いてはる」という関西弁の歌は賛美歌です。「エスさん」は「イエスさん」の訛りですね。古代ギリシャの歴史家トゥキディデスが「築地です」に聞こえるというのもありました。

同じ名前でも国によって発音が変わるという例でよく出てくるのはピカソですね。スペイン読みだと「ピカソ」でも、英語読みすると「パイキャッソー」なので、まったく別の人みたいです。ミハエル・シューマッハは本人がマイケルと呼んでほしいということですが、「ミハエル」自体、「ミヒャエル」と書いてあったり、「ミハイル」と書いてあったり、書き方の問題もありそうです。最近は「アンビリーバボー」と表記しますが、綴りの感じからは「アンビリーバブル」ですね。「チューン・アップ」とか「ライン・アップ」も「チューンナップ」「ラインナップ」と書くべきなのでしょうか。人名については、その人の国でどう呼ばれているかにしたがうのが素直なような気がします。イギリス人のジョージはゲオルグと呼ばれたくないでしょうし、チャールズはカルロスと言われたら、「だれ?」と思うでしょう。アンリ・シャルパンティエをヘンリー・カーペンターと言ってしまうと、まったく別の店のようです。このあたり、西洋ではどう扱っているのかなあ。自分の国の発音で呼んでいるような気がします。そもそも綴りが変わるでしょう。

中国や韓国の人の名も現地読みになりました。金大中あたりから変わったような気がします。同じ漢字を使いながら、日本では習っていない読み方で読まなければならないのは不自然なような気もしたのですが、世界の報道と日本の報道とで読み方がちがうのはおかしいということだったのかもしれません。向こうの人から文句を言われたのかなあ。ということは、安倍晋三さんは、中国のニュースでも「あべしんぞう」と正しく発音されているはずです。日本に現地読みを要求しながら勝手に中国の発音にしているなんてことはまさかないでしょう。でも、フランス人は鳩山さんの最初のHは発音しないから「あとやま」と読んでしまうだろうなあ。BとVとか、RとLのように、カタカナで書き分けられないものもあり、発音の系統がちがうのでもともと無理があります。とはいうものの、やっぱり自分の名前をアンダーマウンテンライトライトとは言われたくないしなあ。

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2014年3月18日 (火)

お天気の話→京都人の話→雪山の話

なんか暖かくなってきましたね。やはり東大寺のお水取りが終わるとぐっと春らしくなります。

なんてことを《ザ・京都人》の前でいうと、ひんやりした空気が流れて、「は? 関係あらしまへんやろ」的な顔をされてしまうわけですが、ぜひとも京都と奈良、同じ古都どうし仲良くしてほしいものです。

ちなみに、ここでわたくしが《ザ・京都人》と呼ぶのは、単に京都に住んでいらっしゃる方のことではなく、いかにも京都人らしい京都人、以下の項目のいずれかにあてはまる人のことです。

1 京都が盆地でいかに寒いかを強調する。「でも京都がいくら寒いって言っても昭和基地ほどじゃないでしょう」と反論すると、「京都は底冷えしますさかいに」とやんわりたしなめてくる。

2 「あの店は井戸水使たはるさかい」と言う。

3 おのぼりさんのことを揶揄して「『しじょうとりまる』言わはるさかい、どこのことやろ思て」と、知っているくせにとぼける。

いかがでしょうか、みなさんのまわりにもいらっしゃるのでは? ザ・京都人。もしかすると、「うちのことどすか」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。失礼しました。

以前にも、奈良県の人に「リニアモーターカーは、奈良は通るだけで止まらないんですよね」と言って怒られたことがあるんですが、我ながら懲りないもんです。と、そういえば、リニアモーターカーはどうなるんですかね。京都ではちょっとしたキャンペーンやってますね、リニアモーターカーを京都に! みたいな。あれ、奈良の人は怒っているんだろうなあ。これについては奈良の人に同情的です。

もし大阪が「府」から「都」になってしまったら、やはり《ザ・京都人》は「きっ」とまなじりを吊り上げて、京都も「府」ではなく「都」に、みたいなキャンペーンをはるんでしょうか。そしたら、「京都府」から「京都都」になるのかしら?

それはともかく、僕としてはそもそもリニアモーターカー計画自体がどうも。南アルプスの下を通すって聞いた瞬間に頭がくらくらしてしまいました。

ああ、南アルプスのことを思いうかべたら山に行きたくなりました。入試が終わったら雪山に行こうと思っていたんですけど、新年度の準備も忙しかったし、なんだかこの冬は妙に寒がりになってしまって、「雪山? 考えただけでガクガクブルブルだよ~」とか言って日和っちゃったんです。後悔しています。

雪山というのは格別です。例によってカメラマンの腕前がへぼで申し訳ありませんが、

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だれもいない山のうえでこんな風景のなかにいると泣いちゃいます。

夏山もそりゃじゅうぶんに美しくて幸せなんですが、やっぱり雪山は、ちょっと、別格です。ヒマラヤとか行ったらもっとすごいんでしょうね。でも、行きません。僕なんかが行ったら死ぬから。

日本の雪山でもちょっと油断したらすぐに死ねます。

雪山に行きだしてすぐの頃、北アルプスの雪山にひとりで行くのはまだちょっと自信ないなあ、でも滋賀の比良山系ぐらいならね、みたいな気分でいた頃ですが、10月下旬にひとりで穂高に行きました。Y田M平trに、「この時期の秋山は一晩で雪山になることがあるから、ピッケルとアイゼンはちゃんと持っていくように」と言われて一応持って行きましたが、まあ、だいじょうぶだろうと何の根拠もなく思ってました。単なる願望ですね。シーズン最後の山登りですから、雪なんか積もっていない、安全で楽しい秋山登山がしたい、できなければいやだ、できるはずだ、みたいな。うん、我ながら人間の小ささがよく出てるなあと思います。

上高地に着くと、山には雪が。もちろん、真っ白というわけではありません。ところどころです。だから、だいじょうぶだと思ったんです。すごく甘い判断です。甘いというか、何もわかっていないですね、平地のイメージなんです。大阪あたりの街中でところどころにしか雪がないというのは日陰以外は雪が解けちゃってるからですよね。なんとなくですが、そんなイメージでとらえてしまってるんですね。標高ざっと1000メートルの上高地から3000メートル級の山を見て、そんなふうに見えるってことは、実際に登ってみたらどうなっているのか、ということがまるでわかっていなかったわけです。

で、るんるん気分で前穂高めざして登りはじめました。登山道に雪はありません。さっさと穂高岳山荘に着いてビールを飲みたいので、ぐいぐい登っちゃいます。当時、前穂高に行く途中にある岳沢小屋は再建工事中でした。横を通ったときに、小屋の人になんとなくいぶかしげな、変な顔で見られたような気がしましたが、あまり気に留めませんでした。

重太郎新道は結構きつい急登の連続です。だいぶ登ったあたりで、ところどころ雪が出てきました。そのうち雪を踏まないと歩けなくなり、バランス感覚が悪くてすぐに足を滑らせてしまう僕は、やがてアイゼンを履きました。Y田先生の言うとおり持ってきてよかったなあ、なんて呑気に思ってました。すぐに登山道は完全に雪に埋もれました。

それでも、前穂高と奥穂高の分岐までは比較的良いペースでした。ザックを分岐に放り出して、前穂の頂上をめざして登り始めたときに、ようやく、ちょっとまずいなと思いました。なんか怖いんです。アイゼン履いてピッケルも持っているんですが、まあ、素人同然です。今でもそうですが、当時はもっとそうでした。だから、まともに歩ける気がせず、滑りそうで怖いんです。しばらくがんばって進みましたが、ちょっと血の気が引いてきたので、分岐に戻りました。問題はそこからです。奥穂高に向かう道は「吊尾根」と呼ばれています。前穂と奥穂を結ぶ、まさしく「吊橋のような美しい弧を描く稜線」だからです。

僕の実力を考えればそこで下山するべきでした。なのに、何を考えたのか、僕は吊尾根に突っ込んでしまったんです。なんとなく、しばらくがまんして歩いたら奥穂はすぐだというような錯覚があったみたいです。所要時間についての判断もおかしくなっていました。夏山と同じようなもんだろうという、まったくもって非理性的な判断を、なんとなくしてるんですね。「なんとなく」という言葉がくり返し出てくることがそのときの僕の心理を物語っていると思います。ふわっと行っちゃったんです。

吊尾根は、雪のない季節に歩くと、とても気持ちの良い道です。ほどほどに鎖場もあって岩登りっぽいところもあって楽しめます。でも、そこに40~50センチほど雪が積もっていると、状況は一変します。

まず、ルートを示す目印(たいてい、岩にペンキで丸印や矢印が描かれている)の多くが隠れてしまいます。

そして、まだそのうえをだれも歩いていない新雪が積もっているということは、単に登山道が消えるということだけではなく、平坦な部分がなくなっているということです。本来の山の斜度そのままの雪の斜面を延々トラバースしつづけることになります。雪山素人の僕が。

岩場にくると、むき出しの岩と雪のミックスです。岩にアイゼンを引っかけて進みますが、手で岩をつかもうにも、手でつかみやすい形状になっているところは雪が積もっています。

で、このあとが問題なんですが、僕はこのとき、ものすごく油断していたのか、手袋を忘れてきていました。ほんまにアホなんです~。だから、ずっと素手でピッケルを握り、ときには雪に手を突っ込んで岩をつかんだりしなければなりませんでした。

さらに怖ろしいことに、というか、アホなことに、いざというときのためにつねに持ち歩いているべきツェルト(まあ、簡易テントとでも思っていただけばよいかと)まで僕は忘れてきていました。

このあたり、恥をしのんで告白しているわけですが、ほんとに最低の登山者でした。

途中、ルートがわからなくなり、たぶんこっちだろうと思いながら雪の斜面を登っていくと、登り切ったところが向こう側にすっぱり切れ落ちた断崖になっており、また、横にトラバースすることもできないような斜度の雪面になっているため、怖い思いをして元に引き返すなんてことも何度かありました。当然下りの方が怖いわけです。基本的にトラバースの連続ですから、つねに左側は切れ落ちており、滑落したら、滑落停止訓練なんかほとんどしていない僕は数百メートルは止まらなさそうです。

気がついたら、日が暮れようとしていました。

なんとかザックをおろせる場所を見つけて、ヘッドランプを出したんですが、点灯しない。電池は切れていない証拠に、ときどきは点く。でもなぜかしばらくすると消える。ずっと手でスイッチを押していたらなんとか点いていますが、上述したような状態なので、そんなわけにもいきません。

そうこうするうちに、ガス(霧)がすごい勢いでわいてきました。

終わった、と思いました。

これが遭難か。遭難した人たちってたとえばこんなふうにして死んだんだ。ルートが見えなくなってむやみに歩き回ったあげく、注意力が散漫になって滑落したり、疲れ果てて低体温になったり。

とりあえず、Y田M平に電話でもしてみよう。何かアドバイスがもらえるかもしれない。電波が通じればの話だが。

と思って試しに電話するとなんと電波がつながりました。

「はい」

「Y田先生、遭難しちゃった」

「え!?」

ツーツー。

なぜかこの絶妙のタイミングで電波が不通に。そしてそれっきりつながりませんでした。あとで聞きましたが、Y田先生、めっちゃ心配してくれたらしいです。そりゃ心配しますよね。ほんとにすみませんでした。

死にたくなかったらとにかく歩くしかないので、僕としてはめずらしくビールのことなどほとんど考えずに(つまり少しは考えた)、とにかく滑落しないように細心の注意を払って、アイゼンを雪面に蹴り込み、ピッケルをたたき込んでぐいっと引きちゃんと岩にかかっているか確認しながら、一歩一歩カニみたいに横歩きしていきました。頭のなかでは5:5とか4:6とか、気力が萎えかかると3:7とかそんな数字が踊ってました。

何がありがたかったかといって、霧がすぐに晴れたこと、そして、そのあと、雲ひとつない夜空にきれいな半月が出たこと、僕が助かったのはあの月のおかげですね。今でもときどきお月様には手を合わせるようにしています。

吊尾根を突破して、奥穂直下までたどり着いたときに、これで死ぬことはないな、とようやく安心しました。以前、春に、Y田先生と雪の奥穂に登ったことがあったので、慎重であることさえ失わなければだいじょうぶだと確信できました。でも、かなり疲れ果てていたので、なんだかきれいな鈴の音が聞こえてきたり、岩に話しかけたりして、若干ではありますがおかしな状態でした。前の日、自分で車を運転してきたのでほとんど眠っておらず、ほぼ徹夜だったんです。バスの中で、30分ぐらい眠ったかなという程度でした。

穂高岳山荘に着いたときには、夜10時をかなり回っていました。ざっと15時間歩き続けた計算ですね。

次の日、ベテランぽい登山客に「吊尾根通ってきたって? 自殺行為だな」と吐き捨てるように言われました。まあ、僕について言えばそれは当たりかもしれません。でも、ヒマラヤに何度も行ってるY田M平みたいな人であれば、自殺行為ってことはないはずで、単に僕の判断と技術と心がけのすべてがまるでなっていなかったという、それだけのことです。

こうして書いていても冷や汗が出てきますが、今となっては、いい経験をしたなとも思います。

車にひかれかけて「もう少しで死ぬところやった」みたいなことはよくありますが、このままだと死ぬなあと思いながら歩き続けるなんてあまりないですからね。

「絶望」ってどういうものか少し垣間見えたような気さえしました。なんというか、心が黒く塗りつぶされていく感じです。「いや、だいじょうぶ、なんとかなる」と自分に文字どおり言い聞かせ言い聞かせて、黒いのを振り払いながら歩いた、そんな10時間でした。

次の日、電波がつながるところまで下りてY田先生に電話をし、無事を報告しました。くり返しくり返し僕の携帯に電話をくれていたみたいです。感謝。すみませんでした。

さあ、反省もしたことだし、雪山行くぞ~。

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2014年3月 9日 (日)

オトナ語

歌舞伎のせりふを会話や文章の中に入れるのは最近さすがに見なくなりましたが、外国ではシェークスピアや聖書のフレーズを引用することが今でも多いのでしょうか。昔、ラジオで「心に愛がなければどんなことばも相手に響かない。聖パウロのことばより」とか言っていましたが、「聖パウロ」が何者なのかわからないので、そのことばもいまいち響かない。タモリが外国人宣教師に扮して、片言の日本語で、「みなさーん、そうでジンジャー…おお、まちがいましーた、そうでしょうが」とやってました。こちらのほうは響きました。「知らざあ、言って聞かせやしょう」とか、「こいつぁ春から縁起がいいわい」のような歌舞伎のせりふをなんの断りもなしに会話の中に入れても、あれだなとすぐわかったように、聖書のことばを引用すると、向こうの人はピンとくるのでしょうね。

日本語に訳されたものでは、たまに語注がついていて、なるほどと思うことがあります。「俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの」という、よく聞くフレーズも、もとはシェークスピアらしいですね。ただし、「俺のものはおまえのもの、おまえのものは俺のもの」だったとか。「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ」は、日本語のせりふとして使うと、くさすぎます。「生きるべきか死ぬべきか」はあまりにも有名ですが、「To be or not to be,that is the question」をいちばんはじめは「ありますか、ありませんか、それは何ですか」と訳したとか。「ながらうべきか、ただしまた、ながらうべきにあらざるか、ここが思案のしどころぞ」とか「死ぬがましか、生くるがましか、思案するはここぞかし」とか、簡潔なのは「生か死か、それが問題だ」とかありますが、実際に使う機会は当然ながら多くありません。

ある場面では必ず使うフレーズというものがあります。常套句というよりテンプレートの文ですね。合戦の場で武士が言う「やあやあ我こそは」も決まり文句ですね。「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ」というやつです。敵討ちのときに言うせりふも決まっています。「ここで会うたが百年目、盲亀の浮木優曇華の、花咲く春の心地して、いざ尋常に勝負、勝負」とか言います。百年に一度しか水面に出てこない亀がいたそうで、しかも目が見えない。それなのに、大海に漂う浮木のたった一つの穴にはいろうとしたということから、出会うのが至難の業であることをたとえて「盲亀の浮木」といいます。「優曇華の花」は、三千年に一度開くということで、これもめったにないということのたとえです。「がまの油売り」というのもありました。小学校のときに覚えたと思うのですが、元になったのは何だったのやら。「さあさあ、お立合い。ご用とお急ぎのない方はゆっくりと見ておいで。手前ここに取りいだしたるはガマの油。ガマはガマでもただのガマではない。これより北、筑波山のふもとで、おんばこと云う露草をくろうて育った四六のガマ。四六五六はどこで見分ける。前足の指が四本、後足の指が六本、合わせて四六のガマ。山中深く分け入ってとらえましたるこのガマを、四面鏡ばりの箱に入れたるときは、おのが姿の鏡に映るを見て驚き、タラーリタラーリと脂汗を流す。これをすきとり、三七、二十一日間、トローリトローリと煮つめましたるが、このガマの油」というやつですが、これは長すぎる。

短いフレーズなら、あいさつや政治家の答弁でもよく見られます。「ただいまご紹介にあずかりました山下でございます」という言い回しや「ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」という締めのことば。これらを使えば一応かっこうがつくという点では便利です。ただし、心がこもっているようには受け取られない。何か事件があったときの政治家の「jまことに遺憾に存じます」も心がこもってはいませんが。「それが本当なら大変だ。可及的速やかに善処いたします」が「何もする気がございません」という意味と同じであるように、黙っているわけにもいかないので、取りあえずしゃべるフレーズという位置づけですね。結婚式の「本日はお日柄もよく…」や会のはじめの「ご多忙の最中ご来場有難う御座います」なども取りあえず語として重宝します。ある業界の方の「ただで済むと思うなよ」などは、びびらせる効果がある分、ちょっとちがうようです。

糸井重里の『オトナ語の謎。』という本では、子どものときには絶対に使わなかったのに、大人になったらよく使うことばが載っています。「お世話になっております」「よろしくお願いいたします」「お疲れ様です」など、いつのまに使うようになるのでしょうか。「いただいたお電話で恐縮ですが」「ご足労頂きまして」「その節はどうも」「お噂はかねがね」なんてのは「熟練」したサラリーマンという感じです。こういうことぱがサラッと出てくると、おヌシできるなと思われるようになります。「取り急ぎ」「落としどころ」「ざっくりと」「さくっと」なんてのもオトナ語ですね。「なるはや」「午後イチ」となるとサラリーマン語でしょうか。「一両日中に」というのも子どもは使いません。相手の会社の名前に「さん」を付けるとか「営業のニンゲンに聞いてみます」のような、普通のことばを特殊な用法で使うのもオトナ語です。月のはじめの日のことを「いっぴ」と言うのも、オシャレと言うかダサいと言うか、特殊な世界のことばのような感じがします。「いや」を四連発で「いやいやいやいや」と重ねたあと、「なにをおっしゃいますやら」となるとおっさんですな。オヤジ語としては「ロハで手にはいる」とか「今夜はノミュニケーション」「ガラガラポン」なんてのがあります。「なんにも専務」とか、会議中に寝る人がいたら「山下スイミングスクール営業中」とか、ダジャレ系になると脱力してしまいます。 「さもありなん」「ならでは」「あらずもがな」「聞こえよがし」「やいなや」などはいかにも古くさいことばですが、灘の入試で出ていました。こんなことばを使う幼稚園児はいやです。大人が日常使うことばをどれだけ知っているかが、国語力の有無をはかる上で大きな指標になりますが、可愛げがありませんな。しかし、いつかは覚えなければなりません。そこのところ、ひとつよしなに。

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