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2014年5月の1件の記事

2014年5月11日 (日)

クイントリックス

山下を勝手に「アンダーマウンテン」としてはいけないように、英語にできないことばというものがあります。日本にはあっても、英米にはないものは英語に訳すことはできません。「すし」「てんぷら」「やくざ」「過労死」などは、そのままで言うしかないようですし、「相撲」も同様です。ただ、力士は「スモウ・レスラー」になるそうで、「上手投げ」とか「うっちゃり」なども英語に直すことは不可能ではないでしょう。でも、日本語のだじゃれの英訳は無理ですね。「となりに囲いができたね」「へい」とか「となりに囲いができたね」「かっこいいー」とか、「おかあちゃん、パンツ破れたよー」「またかい」というのは日本語でしか味わえません。

金田一春彦が書いていましたが、「間が悪い」というのも、訳せないようです。そういう状態になることはあっても、「間が悪い」という心理になることはないのですな、英米人は。いったん家を出たときに、掃除をしていた近所の奥さんと出会ったあと、忘れ物に気づいて家に帰ろうとすると、奥さんは表に出ていなかった。忘れ物をとって再び外へ出たら、またもや奥さんがいて妙な顔をしている。つまり家から二回出てくる金田一さんを目撃したわけですから、混乱しているのですね。事情を説明するのも変だし、こういうとき、日本人は「間が悪いなあ」と思います。ところが、アメリカ人は、「あなたは先ほど私のふたごの兄弟が出て行ったのを見ましたか」と言うのだそうです。でも、それは日本人には無理だろうし、言われたほうも困るだろうなあと金田一さんは言っています。アメリカ人なら、「いいえ、さっき庭を掃いていたのは私のふたごの姉妹ですから」と言うのでしょうな。

春期講習のテキストで、ムハマッド・ライースさんの『日本語のここが難しい』という文章をとりあげましたが、その中で、男女でことばがちがうというのがありました。「…だぜ」というと男だし、「…だわ」というと女だ、という時代がありました。いまや、そんなことはなくなってしまい、声を聞くのならともかく、書かれてしまったら、まったく区別できません。「あら、そんなことはなくってよ」なんて言う女の人は現実には存在しないでしょう。ただし、小説の世界ではまだある程度残っているようです。そうしないと、だれの会話か区別できないのですね。これも金田一さんが書いていたと思うのですが、『金色夜叉』でダイヤモンドを見た人たちが口々に「ダイヤモンドだ」という場面があります。「ダイヤモンドだ」「ダイヤモンドよ」など、文末のちょっとした違いで男女どちらの会話かわかるのですが、英訳すれば全部同じになってしまいます。

方言も英語には直しにくいのでしょうね。外国語にも方言があるはずで、英語と米語のちがいも方言と言ってよいかもしれませんが、同じイギリスでも地方によって訛りがあるようです。よくネイティブの英語とか言いますが、ひょっとしてイギリスの大阪弁をしゃべっている人かもしれません。というより、日本語の共通語にあたるものがあるのでしょうか。日本人が学校で教えられているのは、イギリスのどの地方、あるいはどの階層のことばなのでしょうか。いわゆるキングス・イングリッシュとかクイーンズ・イングリッシュと呼ばれているものでしょうね。日本で言えばNHKで使うことばが「共通語」であるように、BBCで使うことばが共通語というイメージなのでしょう。でも、スコットランド方言とか、リバプール訛りとかマンチェスター訛りとかあるはずで、だいたいロンドンの下町っ子のことばなんて、江戸っ子のことばと同じでしょう。コックニーというやつですね。「エイ」が「アイ」になり、「H」の音が落ちてハヒフヘホがアイウエオになるというのが有名です。

『マイ・フェア・レディ』で、ヒギンズ教授がイライザに教えたのは「ザ・レイン・イン・スペイン・ステイズ・メインリー・イン・ザ・プレイン」と「イン・ハートフォード・ヘリフォード・アンド・ハンプシャー・ハリケーンズ・ハードリー・ハプン」という文でした。イライザの発音では「ザ・ライン・イン・スパイン・スタイズ・マインリー・イン・ザ・プライン」「イン・アートフォード・エリフォード・アンド・アンプシャー・アリケーンズ・アードリー・アプン」になる、という有名な場面です。うまく発音できるようになると、なぜか唐突に歌い踊り出します。あのミュージカルというのは、どうもなじめません。日本にも、浪曲という一人ミュージカルがあることはあるのですが、語りから曲への移り変わりがまだ自然なので許せます。いきなり激しく歌い出すのは抵抗が強い、とタモリも言っていましたね。

話がそれはじめているので英語の訛りに話をもどすと、インド人の英語もシンガポールの英語も相当訛っています。シンガポール訛りの英語はシングリッシュと呼ばれるぐらいですが、ドイツ人だってフランス人だって、多少は訛るのでしょう。日本人が「ネイティブ」のように話せないのは当然ですよね。竹村健一という評論家がいましたが、あの人の英語もすごかったなあ。「だいたいやねぇ」から始まって、相当きつい関西訛りでしゃべる人です。「ぼくなんか、これだけですよ、これだけ」と言って、手帳のCMをやってましたが、あの人の英語も関西弁アクセントになってました。でも、通じているのですね。考えたら、外国人が多少変なアクセントで日本語をしゃべっても通じるのだから、「ホッタイモイジクルナ」が通じるのも当然でしょう。

映画で明らかにテキサス訛りでしゃべっているとき、字幕も「田舎風」のことばになっています。第一人称として「I」と言っているのに、字幕ではなぜか「おら」になっています。あれは方言というより「役割語」ですね。だいぶ前の朝日新聞にオリンピックの陸上のボルト選手と水泳のフェルペス選手のインタビューの比較について、興味深いことが書かれていました。ボルト選手は「オレ」で、フェルペスは「僕」と翻訳されているというのですね。「野性的」な感じと「知性的」な感じの対比でしょうか。それとも、黒人と白人の対比? こういう使い方が繰り返されるうちに、固定観念として一人歩きしていくのですね。少年マンガの主人公が「おれ」と言うのか「ぼく」と言うのか、ということだけでその性格がある程度想像できますし、アニメの博士はなぜか必ず自分のことを「わし」と言いますな。いまどき「わし」という人は少ないと思うけどなあ。

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