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2014年8月の1件の記事

2014年8月24日 (日)

あれはオレ

「ジャイケルマクソン」とか「けつだいらまん」などの言い間違いはスプーナリズムと名付けられています。「なつはあついなー」が「あつはなついなー」になるというやつですね。「オジョギリダー」とか、「バイアントじゃば」なんてのもありました。一語の中でのひっくり返りは「おじゃまたくし」とか「とうもころし」とか、「ブロッコリー」が「ブッコロリー」になったりするのがあります。でも、和歌山で「からだ」が「かだら」になるのは、順序のひっくり返りではなく、「ら」が「だ」に、「だ」が「ら」に置換されたということでしょうか。紀州弁の「かだら」はスプーナーさんのミスとはちがうようですね。

紀州弁になると関西弁というよりも、対岸四国のことばに近いのかもしれません。紀州弁にも土佐弁にも敬語がないという共通点があると言います。司馬遼太郎がそのことに触れていたのはなんという本だったか、「街道をゆく」だったかもしれませんが、自由民権運動との結びつきで説明していたと思います。自由民権運動が起こった背景には、敬語がないという土壌があるのではないか、敬語がないのは、平等という感覚が元になっているのではないか、というような…。「串本の町長やけんど、やにこうええさけ、いっぺん見んに来てくらんしよ」と町おこしのCMをやってましたが、いかにも和歌山でした。

土地土地の気風を表すことばに「近江泥棒伊勢乞食」という、テレビではNGになりそうなものがあります。「昔から、こういうことを言いますな」とか言いながら米朝さんがこういうことわざを挙げるんですが、たまに、「言いますな、と言うても実際にはこんなことば、聞いたことおまへん。私も落語ではじめて知りました」と言うこともありました。古いことばは落語に残ってるんですね。「宵越しの銭は持たない」と偉そうに言う江戸っ子は、実は「宵越しの銭は持てない」。要するに稼ぎがない。それに比べて、近江商人や伊勢商人が江戸の町で幅をきかせているのがしゃくだったのでしょう。「伊勢屋稲荷に犬の糞」という、江戸の名物を表すことばもあります。「乞食」はきつすぎることばで、伊勢屋と名乗る伊勢出身者には、倹約家が多かったのでしょう。「近江泥棒」というのも、近江の人は金銭勘定がうまいということでしょう。近江は昔から商才に長けた人物が出るようで、豊臣秀吉が近江長浜時代に新規に召し抱えた石田三成などの武将でも実務系ですね。他にも長束正家や大谷吉継、片桐且元、藤堂高虎、宮部継潤など、信長の野望のパラメータでは武力・統率系の数値が低そうです。黒田官兵衛の家ももともとは近江出身だったはずです。蒲生氏郷なんて、近江日野出身で、近江商人を作ったと言ってもよく、しかもそのあと、伊勢松阪に行っていますから、伊勢商人の生みの親でもあります。三越の三井高利も伊勢出身ですね。

大阪は「食い倒れ」と言います。「まゆげボーン」のおかあちゃんで有名な「くいだおれ太郎」の名前の元になった「食い倒れ」というのは、食中毒で倒れることでもないし、「行き倒れ」ともちがいます。飲み食いに金をかけすぎて貧乏になる、ということですね。ほかの土地では「京都の着倒れ」「神戸の履き倒れ」「江戸の飲み倒れ」というのもあります。江戸の人は灘の酒を取り寄せたのでしょうか。じつは、これらのことばの間で地名はいろいろ入れ替わったりするようですが。そういえば、「伊勢の系図倒れ」というのもある、とやっぱり司馬遼太郎が短編小説で書いてました。「美濃浪人」とかいうタイトルだったと思います。読んだのは四十年ぐらい前なのに覚えているのは、ちょっと嘘くさいなと思ったからかもしれませんが、刀狩りで農民になった美濃の有力者が、もともとは武士だったことを誇るために系図をかざりたてたとか。ニセ系図づくりを職業とする人もいたそうです。徳川家康にしても、むりやり源氏に結びつけるために系図を作ったと言われています。新田氏の一族の得川という家の子孫だということにして、源氏だから征夷大将軍になれると主張したらしい。

たしかに先祖に有名人がいるとうれしいでしょうね。織田信成は自称だけで根拠がなかったのかなあ。吉川晃司が吉川元春の子孫というのもよく言われていますが、どうでしょうか。加山雄三のところが岩倉具視というのはけっこう有名のようです。サンドウィッチマンの伊達は伊達の一族であることは確かなようですね。クリス・ペプラーが明智光秀の子孫、というのもどこかで読んだことがあります。「えっ、なんで」と思いますが、母方の先祖ということでしょう。セイン・カミュは最近あまり見なくなりましたが、アルベール・カミュが大叔父さんですね。藤原定家の直系の子孫なんて家もありますが、こんなのは誇らしいけど、先祖が石川五右衛門では誇れない。

大河ドラマの「黒田官兵衛」では黒田家の主君を片岡鶴太郎がやっていました。「ここが思案のしどころよのう」と鼻の頭を真っ赤にして言っていましたが、あれは「仁義なき戦い」の金子信雄へのオマージュなんですね。鶴ちゃんはよく金子信雄のものまねをやっていました。菅原文太に言う「わしゃあオマエだけが頼りじゃ」 という台詞が、そのまま「黒田官兵衛」でも使われてました。とにかく、ころころ方針を変える「バカ殿」でしたが、子孫が見てたらいやだろうなあ。蜂須賀侯爵が参内して応接室で待っているとき、テーブルの上にあった葉巻を一本ポケットに入れたところ、明治天皇がそれに気づいて、「先祖は争えんのう」と言った、という話も司馬遼太郎でしたか。先祖の蜂須賀小六が野武士あがりで、盗賊同然と思われていたからでしょう。蜂須賀家は歴史学者に頼んで、小六が盗賊ではないことを立証してもらったとか。「龍馬伝」のときの岩崎弥太郎にしても、あの汚らしさは岩崎家にとっては愉快ではなかったでしょう。

ドラマの場合はかたき役とか悪役がどうしても必要になるので、やむをえないでしょうが、古い時代ならともかく、比較的新しい時代をあつかったものになると、問題がありそうです。「坂の上の雲」でも、まぬけっぽく描かれていた将官の子孫はむかつきながら見ていたかもしれません。太平洋戦争を描いたドラマでは当然、東条英機が出てきますが、家庭人としての優しさなどは描かれるはずがありません。麻生太郎さんの祖父は吉田茂ですが、祖母の父親は牧野伸顕で大久保利通の息子ですから、麻生さんは大久保の血もひいていることになります。渡辺謙が吉田茂をやったNHKのドラマで、吉田茂の孫が走り回っていましたが、麻生さんはあれを見て「オレやがな」と思ったのかなあ。

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