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2014年9月の2件の記事

2014年9月14日 (日)

合宿の話をしたかったんですが・・・・・・

ご存じの方が多いと思いますが、この夏休み、希学園の灘コースはついに「合宿」を敢行いたしました。南港だったかどこだったか忘れましたが、いかにも埋め立て地らしい殺風景な街の何とかいう研修施設で、2泊3日でした。しかし、自分で言うのも何ですが、まだ一カ月しか経っていないのにこの忘れっぷりがすごいですね。僕はほんとうに記憶力が良くなくて、過ぎ去ったことはあっというまに次々と忘れてしまいます。高校のときの同級生の名前なんかもうまるっきりですね。会わなくなったらすぐ忘れます。はずかしいです。たまに、卒塾生に話しかけられることがありますが、何となく顔に見覚えがあっても名前はまったく出てこず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

「先生、おひさしぶりです。おぼえてますか」

「お、おお、きみは、そう、たしかに、みおぼえがあるよ、うん、そうそう」

などと言いつつ、うつろな目になってしまいます。

というわけで、合宿の報告をせねばと思いつつ、一カ月も経過してしまったために、何を報告したらいいものやら、もはやあまり思い出せないという情けない事態に陥りつつあります。

でも、とにかく、彼らはがんばっていました! 走り回っていました!

何を走り回っていたかというと、いわゆる「スパルタ」と呼ばれる形式の演習です。プリントを一枚仕上げたら、講師のところに持って行って採点してもらいます。全問正解したら次のプリントに進めますが、1問でもまちがえていたら、次には進めません。席にもどって考え直しです。解説もヒントもなしです。早く仕上げて先に進みたいので、みんなすごい勢いでプリントを手に講師のところへ突進してくるわけです。いつもスローライフを満喫しているのんびりした子も血相を変えて走り回っておりなかなかの壮観でした。もはやスポーツの領域と申しても過言ではない、というとやはり言い過ぎかもしれませんが、とにかく私も目をみはる勢いでした。

保護者の方にいちばん見せたかったのはあの走り回る姿です。だらだらしている姿を見なれているお家の方も、あれを見ると瞠目されたんじゃないかなと思います。

僕にとって合宿といえば、高校生のときの部活の合宿ですね。演劇部にいたんです。ひや~はずかしい。で、高校1年のときは、男子部員が僕だけでした。ひや~。合宿でどんな稽古をしたかなんてまったく覚えておりませんが、なぜか僕も大部屋で女の子たちといっしょに就寝したことは記憶に新しいです。花のようにかわいらしい先輩が、横ですごい寝相でのたうち回っていたのが印象的でした。2年生のときには男子の後輩ができましたが、なんだか空気読めない感じの理系っぽい子で同学年の女子たちと折り合いが悪く、よくわからないうちに間にはさまれてしまった僕はよく右往左往しておりました。この年の合宿では、OBの先輩に、きみは水太りだから水を飲むなと言われ、がんばって飲まないでいたら体調が悪くなり、こりゃあかんと思って水分をとったら深夜に大量に嘔吐するという悲惨な事態になりました。この合宿から帰った翌日に友人たちと対馬にテントを背負って行く予定だったのですが、家でリュックに荷物を詰めているときに、またしてもいきなり嘔吐してしまい、出発を1日延長してもらいました。1年目の合宿とくらべると、天国と地獄でした。

大学では「文化ゼミナール」といういかがわしい名前の自主ゼミのサークルにいたんですが、合宿というか、大学の研究施設に泊まって勉強会をやったりしました。勉強会のあと、みんなで「大貧民」というカードゲームをやるんですが、なんせ「資本論」を読んでいるメンバーなので、これが実に盛り上がります。あのゲームは「大富豪>小富豪>平民>貧民>ど貧民」というような分け方をしていたと思いますが、われわれがやるときには「ブルジョワ>プチブル>プロレタリアート>ルンペンプロレタリアート」というような分け方をし、かつ、身分が下の者は上の者に対して敬語を使わねばならず、上の者は下の者にどれだけえらそうにしてもよいというルールでした。僕がブルジョワになったときのえらそばり方が、シャレですまないくらい腹立たしかったみたいで、みんな何だか打倒ニシカワでえらく燃えていましたね。楽しかったなあ。

でも合宿って楽しいですね。自分を追い込むのって、ある意味リフレッシュになるような気がします。リフレッシュするにはいったん死なないといけないんじゃないかと思うんですが、自分を追い込むことにはそういう意味があるような気がします。ほんとうにへとへとになるまでやる。もうこれ以上できないようという限界までやってみることに意味があるんじゃないでしょうか。

山登りに行くのもそんな感じです。死にに行くといいますか、ほんとには死ねないので、擬似的に死ぬというか、ちょっと死をイメージするところまで自分を追い込むとリフレッシュできるというような、そういうことを求めている感じです。だから、もうとことん疲れるまで歩くとか、ちょっと怖い思いをするとか、そういう経験ができないと山に行っても物足りないです。

でもあんまり怖いと、何やってるんだろう俺、って思います。だいたいからしてひどい怖がりですからね。高いところも暗いところもスピードのあるものも全部ダメです。ついでに回るものもダメなので、もう遊園地なんか行っても何も楽しくない。ゲームセンターでコイン落としするだけです。

先日剱岳に行ったときは、いろいろ準備不足が露呈して、そのせいでだいぶドキドキしました。

北方稜線という、あまり人が来ないルートから登ったんですが、その前夜、山小屋に泊まっていると、おばちゃんたちを連れた登山ガイドと山小屋の主人がずっと話をしてるんですね。何をしゃべっているかというと、いまどきの安易な山登りの危険性について憤慨し糾弾しているわけです。

「4本爪のアイゼンなんて、おもちゃといっしょですよ、あんなもの何の役にも立たない」

「そうだよ、そのとおり」

「××なんて雑誌があおるから、素人があんなおもちゃを持って雪渓を登りにやってくる、とても危険です」

「そうだよね」

北方稜線に二カ所ほどあるかなり急な斜度の雪渓をトラバースするために「4本爪アイゼン」を持ってきていた僕はふとんの中で脂汗です。そ、そんなやばかったっけな、あの雪渓。去年あそこを通ったときも俺4本爪だったけど・・・・・・いや、12本だっけ? 結構怖かったのは確かだけど、どっちだっけ? 確か4本だったよな、だから大丈夫だよな。いや、待てよ、去年は10月のはじめだったから、今よりかなり雪はとけていたはずだ、明日は去年よりも雪が多いにちがいない、ということは、雪渓の距離も長く斜度も急なのでは? やばい? 俺やばい?

結論としては、去年よりも雪が少なくて全然怖くなかったんですけど、前夜は相当びびってました。びびりなので。でも、これがリフレッシュにつながるんです! 2月の八ヶ岳のテント場で寒くて体が硬直したとか、笠ヶ岳でシャリバテになって動けなくなったとか、ヒグマに遭ったけど、見つめられただけで追いかけられずに済んだとか、ツキノワグマに遭ったけど、向こうが逃げてくれたとか、新雪の積もった山中を十時間彷徨したとか、そういうことがリフレッシュのためには必要なんです!

今回の灘コース合宿の目的は、「死ぬほど勉強したけど、死なないもんだなあ」「やろうと思えばあそこまで追い込めるものなんだなあ」ということを感じてもらうことだったんですけれど、まだあの感じを彼らは覚えてくれているでしょうか。

2014年9月 4日 (木)

山に持ってく本

山にどんな本を持って行くか? これは非常にデリケートかつ重大な問題であります。

読み始めたが最後もう目が離せなくなって読み終わるまで眠れない、というような本はダメです。山登りのときは早出早着が原則なので、だいたい18時か19時には眠り、午前3時頃起きてごそごそしはじめ、まだ暗いうちに出発するものなんです。遅くとも15時までには山小屋あるいはテント場に到着せねばなりません。だから、夜更かしして睡眠不足になりかねない本はいけません。そもそも僕は山に4泊ぐらいすることが多いので、1日目で読み終わってしまったら困ります。

以前、冬の比良(滋賀の湖西にある山系です)に登ったとき、ポール・オースターの何だったかな、『孤独の発明』だったか『ミスター・ヴァーティゴ』だったか持って行ったらおもしろくておもしろくて全然眠れず、次の日しんどかったおぼえがあります。ああいうのはいけません。

かといって、つまらない本は持って行く意味がない。結局読まないから。

怖い本もダメです。怖がりだから。昔、山ではありませんが、旅行に(前職を辞めたときに、ウイグル、つまりシルクロード方面に行ったんです)島田荘司の『暗闇坂の人食いの木』を持って行ったら怖くて怖くて、ホテルの部屋でひとり眠るのが苦痛でした。それでバーでお酒ばかり飲んでいました。恥ずかしながら、高いところだけじゃなくてオカルト系も苦手です。大学生の頃、お化け屋敷に入ってパニックを起こしたことがありますからね。

ウイグルには2週間近く滞在したので、他の本も用意してました。『暗闇坂の人食いの木』とはえらいちがいますが、旧約聖書の『ヨブ記』を携帯しておりました。でも、バスや列車に乗って『ヨブ記』をひらくと、すぐに眠くなりました。おもしろくないわけじゃないんですけど、

この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、「無知の言葉をもって、 神の計りごとを暗くするこの者はだれか。あなたは腰に帯して、男らしくせよ。 わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。 もしあなたが知っているなら言え。 あなたがもし知っているなら、 だれがその度量を定めたか。 だれが測りなわを地の上に張ったか。 その土台は何の上に置かれたか。 その隅の石はだれがすえたか。 かの時には明けの星は相共に歌い、 神の子たちはみな喜び呼ばわった。海の水が流れいで、胎内からわき出たとき、 だれが戸をもって、これを閉じこめたか。・・・・・・・・」

てな感じでずっと続くわけです。これは、ヨブを襲った不幸に関連して、ヨブと友人たちが議論をしていると神の声がヨブたちを糾弾する、というかっこいい場面なんですけど、でも、ずっとこの調子でつづくと、ヨブには申し訳ないけどどうしても眠くなります。

そういえば、カシュガルでバスを待っていたら、白人の若い女性がヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読んでいて何だか格好良かったな~。すげえ、洋書読んでる、みたいな。

ヨブ記の良いところは、薄いところですね。ズボンの尻ポッケにすっと入ります。大学時代、寮で一緒だったTくんは、「旅に出るときは、文庫本を半分にちぎってポケットに入れて持って行くよ」なんて言ってました。「残りの半分はどうするんだい?」

「次の旅に持って行くのさ」

気障なやつでした。

さて。先日、またしても山登りに行ってしまった私ですが、このときの本の選択は、考えに考え抜いたあげく、白川静の『孔子伝』! これが大正解でした。適度におもしろく、適度に眠い!分量的にもちょうど良く、帰阪した翌日にちょうど読み終わるというジャストフィットぶり。『孔子伝』は、酒見賢一さんの超絶おもしろい『陋巷にあり』という長編小説の世界観に多大な影響をあたえた本でありまして、『陋巷にあり』にかつてめちゃくちゃはまっていた僕にはうってつけでした。この小説は、孔子とその弟子の顔回(「一を聞いて十を知る」と言われた俊秀ですね)が主人公のファンタジー歴史小説とでもいった趣の話なんですが、13巻まであって、読み応えも十分です。受験生諸君は中学生になったらぜひ読んでほしいですね。文庫本も出ています。でも山に持って行ったらダメですね。眠れません。

今回行った山は、なんと、またしても剱岳であります。もう4回目です。剱岳と富山が大好きです。しかし、山登りあるいは心から愛する富山市新富町のことを書いている時間的余裕はなくなってしまいました。この話はまた今度にしましょう。っていうか、その前に、灘コースの合宿について書こうと思っていたんですけど、なかなか・・・・・・。

すべてはまた今度!

 

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